従者の結婚
Main Story

 耳をうたがう。
 耳に残った言葉の残滓を再生し直す。
 そしてもう一度、部下の発言を反芻する。
 それでも信じられず、私は眉をしかめて、口許を引きつらせ、懇願した。
「……もう一度言ってくれないか」
「ええ、何度でもかまいませんよ。結婚が決まりましたので、是非、閣下にも式にご臨席いただきたく――」
「もう一度!」
「結婚が決まりましたので、式にご出席を――」
「もう一度!!」
「結婚が決まったので――」
「もう一度!!」
「結婚が――」
「もういっ――ごふっ!!」
「いいかげんにして下さい、この独身上司」
 参考資料にするために部下に取って来させていた分厚い辞書を脳天に放り投げられ、私は流血しながら床に突っ伏した。
 ひどい、ひどすぎる。私は上司なんだぞ? なんなんだ、この扱いは! 不当すぎるだろう! ええい、服務違反だ! 暴力反対!!
「どうしたんだ突然。私に対する当てつけか!? 宣戦布告か!?」
「被害妄想ですよ、閣下。たしかに結婚が決まったのはつい昨日で、唐突ではありますが、前々から考えていたことですし、個人的には遅いくらいかと思いますが」
 部下の年齢は二十一歳。たしかに適齢期を少し過ぎている。
 対して、私の年齢は二十五。これはもはや開戦の合図だ。
「くそぅ……お前だけは仲間だと信じていたのに……」
 さめざめ、おーいおいおい。
 嗚呼、とめどなくあふれるこの涙……。大雨を降らせる大空よ、お前ならば分かってくれるだろう……。
「アホな同意を空神に求めないでください、閣下」
 ごすっ。
 軍靴はやめろ、軍靴は! ええい、踏むな!
 というか、私の心の声を読むでない!
「しかし、たしかに今後閣下のお立場はますます大変でしょう。地位、身分、権力、お金、どれをとってもピカイチなのに、結婚できないのは不能ゆえと――」
「誰が不能だ! だいたい私は結婚できないのではなく結婚しなかっただけだ!!」
「そんなことは周りは知ったこっちゃないでしょうし、言ったところで負け惜しみか言い訳にしか聞こえませんよ」
「ふぬおおおおお」
 私が気にしていることをおおおぉぉぉ!
「いいかげん腹をくくればいいものを、いつまでも先延ばしにされるからそういうことになるのですよ。言いよってくる虫がいない、というわけではないでしょうに」
「やかましい」
 お前の知ったことか。
「そういうお前はうまく魚を捕まえたとでも言いたいのか」
「未来の妻を魚呼ばわりしたことは大目にみましょう」
 ごめんなさい。げんこつでこめかみをグリグリしないでくださいごめんなさい。
「魚ではなく、幼馴染ですよ。閣下もご存じでしょう」
「ああ、あの子か――」
 一度しか会ったことがないため、思い出せるのはほとんどおもかげだけだ。
 第一印象は小さくて可愛い、だった。身長は私よりもふたまわりほと小柄で、華奢で、頬を朱に染めながら笑う。女、というよりは少女に近い印象。実際、部下の紹介で会ったとき、彼女は少女と呼べる年齢だったはず。
 あれから数年。部下と大して年が変わらなかった少女は、果たして「女」になったのだ。
「しかし……たしか彼女は一度振られて逃げられたんじゃなかったのか?」
「あの後すぐ謝り倒してよりを戻したんです」
「謝り……!? 倒した……!? お前が……!?」
 ビシャアっと雷に打たれた勢いで驚愕すると、部下の白い目が私を獲物としてつけ狙う。
「どうやら踏み足りなかったようで」
 ちがいますごめんなさいごめんなさいごめんなさい。軍靴だけは勘弁してください。靴裏の鋲が痛いんですごめんなさい。
 涙目で訴えると、幸い真剣よりも恐ろしい眼力は少しだけ和らいでくれた。
 それから私はぼそりと呟く。
「そうか……彼女か……」
 神妙に繰り返し、その感触を確かめる。
 彼女ならば仕方がないかもしれない。
 小さくて、愛らしくて、いかにも男が守ってあげたくなるような彼女は、大柄で、横柄で、実力と家柄をかさにたて女だてらに将軍の地位をもぎとった自分とは、対極にある存在だった。
 ならば、叶うはずもない。
 女として、恋敵として。
「……かくして私は騎士団の再編成を図り、お前は幼馴染との関係を再建するわけか」
 皮肉だな。
「後者はともかく、前者はあまり時間をかける余裕はないかと。首を切られそうな連中が一矢報いてくるとも限りませんからね。ま、フォローはして差し上げますから、さっさと片付けてくださよ。でないとおちおち結婚もしていられません」
 なるほど……ギリギリまで騎士団再編成を引きのばし、結婚を妨害――ッッッ!!
「さっさと終わらせますよ?」
 すいませんすいませんすいません。ちがうんですちょっと考えただけなんです。だから首をつかんで冷気を放たないでください。
 やだなあもう、ちょっとしたお茶目だっただけなのに……。
 うじうじと口をちょっとだけとがらせながら、書類をてきぱきと片付ける部下の様子をちらりとうかがう。
 自分にはもったいないくらい、良い部下だ。
 もとは実家に仕える使用人で、私の従軍に付き合って自分も軍に入隊。その後もかいがいしく私の世話を焼いてくれたあたり、部下というより従者に近い。まあ、実家のお目付け役といえばそうだが、仕事はできるし、なにより気心が知れていたので、辛い時期が乗り越えられたのも彼のおかげなのだ。きっと誰よりも世話になった。
 その彼が、幸せをつかもうとしている。
 私は自然と口許を綻ばせ、「なあ」と彼に呼びかけた。
「婚約おめでとう」
「ありがとうございます」
 可愛げのない部下の礼に恋心がずきんとうずいたが、立て直せないほどのダメージではない。
 私のチキンハートも意外と丈夫なんだな、と苦笑しつつ、渡された書類に目を落とした。

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