Magna Mater τρια #002

 見覚えのない部屋だった。
 個室にしてはかなり広い。天井が高く、四、五メートルはある。
 ベッドが並び、医療器具があり、全体的に白い部屋。
 病院か、それに準じる医務室だろうと見当をつけ、実際、その予想は当たっていた。
「おお、目覚めたぞ」
「二日か。あと一日はかかるかと思っていたが……」
「やはり若年層の脳活動は活発だな」
 七三分けのおじさん、小太りのおじさん、眼鏡のおじさん。
 やけに馴染んでしまった三人が、遠慮なく、ずずいっ、とわたしの顔を覗きこんでくる。
「えと……ここ、どこ……ですか?」
「おお! 喋ったぞ!! 言語障害はなさそうだな!」
「記憶障害もなし、と」
「立てるか?」
「え、あ、はい」
 七三分けのおじさんに促されて、わたしはその場に立ってみた。
「ふむ、運動機能も良好だ」
 その一言で確信した。
 こいつら……人の体で人体実験してたな……。
 よくよく見るとわたしが落ちたところ――つまりわたしが寝ていたベッドの周囲には色んな機械が置かれてて、わたしの体にはあちこち電極が貼り付けられていた形跡があった。
 治療のため……だと考えたいけど――実際そうだったとしても――彼ら三人は計器から得られるだけのデータを集めていたにちがいない。
 なんて救いようのない人たちなんだろう。
 だけど彼らに助言を受けなければ、わたしはマーシトロンと誓隷の戦いを傍観していただけだっただろうし、彼らがわたしに無茶な要求をしなければ、ダメな大人に失望してやる気になどならなかっただろうし。
 わたしがいま、こうして心身共に無事に、彼ら三人に呆れていられるのも、何割かくらいは彼らのおかげと言える。
 そう思うと怒る気も失せてしまって、わたしはため息をついた。
 でもお礼は言わない。言うもんか。
「で、どうだった?」
「は?」
「は? ではない、シンクロだ。どんな感じがするものなんだ?」
「やはりあれか! こう、頭がごちゃごちゃになるのか!?」
「シンクロ中の体の五感は遮断されるものなのか?」
 矢継ぎ早な質問攻めに遭い、わたしはその圧倒的な熱意に体を引いた。
 この人たち、専門は誓骸じゃなかったっけ? ……いや、「誓隷に関する」という広義で見たらシンクロも誓骸も同一分野になる。一乗《デカ》クラスの誓隷に我を忘れて興奮するくらいの人たちなんだから、各々が専攻する科目はもちろん、なんにでも興味があるのだろう。
 知識に貪欲――というより、単なる好奇心のかたまりのようにも思えるけど、学者の看板を上げるにはこのくらい必要なのかもしれない。パパだって、ごはんを食べることは忘れても誓隷のことは忘れないくらい偏っていたし。
 そういう熱意が一点に集中していると、得てしてとんでもない威力を発揮するものだ。
 この場合、問題なのは、その熱意がわたしに集中しているということ。太陽光を虫めがねで集めて焦点を合わせると紙を燃やしてしまうように、わたしにはいま、かなりの気概で迫られていた。
 おまけにクリストフォロスのような美人ならまだしも、迫り来るのは四十がらみのおじさんたち。嬉しくもなんともない。
「思考能力は!」
「交信速度は!」
「同位交換は!」
「それくらいになさって下さい。怖がっています」
 ぐいぐい押してくる三人を諌めてくれたのは、いつの間にか現れたクリストフォロスだった。
 呆れ声を上げた彼女はわたしの背後に回りこみ、わたしの肩を両手で包んで優しく一歩後ろに引かせてくれる。
 けれど三人は諦めない。
「なにを言うか! どれだけこのときを待っていたことか!」
「二日だぞ!? 二日もお預けをくらっていたんだぞ!?」
「それをここにきて、これ以上待てと!?」
「Oταν στη Πετρα」※1
 凄みのある声音だった。クリストフォロスは、彼女にしては低い声で、一言だけ告げた。
 すると三人はぴたり、と静かになる。迫力負けしたんだろう。
「ようやく目覚められたのですから、いまはご遠慮ください」
 理解を求める追撃を受けて、三人はこくこくこくと何度も頷いた。クリストフォロスの冷気にあてられて、ようやく鎮まったようだ。それから三人は追い払われるように部屋を出ていった。
 わたしはそれをを見送りながら、高まった心拍数をどうどうと宥める。
 パパのおかげで|ああいうもの《・・・・・・》に対する対応力は鍛えていたつもりだったけど、ここにきてその自信は失われつつあった。人間の熱意って怖い。周りが見えなくなるって、ああいう状態なんだろうな。
 三人がいなくなり、室内は急に静かになる。
 ほっとすると同時に、座りの悪さが気になる静寂だ。クリストフォロスは怒らせてはいけない……。そんな密やかな緊張がわたしの水面下に残った。
「さっきの、どういう意味ですか?」
「さっきの、と仰ると?」
「えっと……おうたーん……?」
「ペトラにいるのならペトラに従え、という意味です」
「…………」
 うん、よく分からないけど、なんとなく通じるものはあったので、わたしも静かにすることにした。
「体は大丈夫ですか?」
 クリストフォロスは今日も美人だ。化粧の腕前以前に、基《もと》となる顔立ちが整っている。はっきりとした頬の輪郭に、すうっと通った鼻筋。唇は肉惑的で厚め。それが今はとても心配そうに形作られている。
 倒れた人を心配するのは当たり前なのかもしれない。だけど、あの三人衆にさんざんな扱いを受けた後なので、その一言はやけに人間味が感じられて、わたしは思わずホロリと泣きそうになった。
 きっとわたしをまともに心配してくれたのは、この人だけなんだろうなぁ。
「はい、ご心配おかけしてすみませんでした」
「とんでもありません、謝罪しなければならないのはこちらです。あなたに無理やり荒事を押しつけてしまったのですから。しかしおかげさまで私たちは全員無事でした。ありがとうございます」
 そっか、みんな無事だったんだ。
 良かった。あのマーシトロンの彼は、どうしてもみんなを助けたがっていたし……きっと彼もほっとしているだろう。
 ……そうだ。
「マーシトロンの……あのひとは?」
 そういえば、わたしは彼の名前を知らない。「マーシトロン」は種族の名称であって、個人の名前じゃない。あのときはそんな場合じゃなかったから、聞けず仕舞で終わってしまったけど……。
「ええ、彼も無事です。一番重症だったのは二日も目を覚まさなかったあなたでした。彼はあなたに負担をかけてしまったと気に病んで、執務の合い間によくこちらに足を運んでいたようです」
 え……。
 そっか……いたんだ、ここに。
 ……居てくれたんだ。
 にやけてしまう顔を、必死に元に戻そうと努力する。
 それをじっと見つめるクリストフォロスの視線が痛いものに感じられて、居たたまれなくなったわたしは視線を泳がせた。
 その先に窓があった。
 わたしは誘われるように――あるいは逃げるように、ふらりと窓辺に寄った。
 知らない町並みが、ずっと続いている。
「ここは――」
「アルコン=ブリアレオスが統治する都市国家《ポリス》※2――ペトラポリスです」
 白壁に、オレンジの屋根が映える町。ところどころ大きな岩があって、それを避けるように家々が並んでいる。大きな広場もある。道は一本の大通りを中心に路地が伸び、人々は徒歩で移動している。
 遠方で、家影は途絶え、平原が続き――遥か彼方には、地平線。傾いた太陽が半分だけ大地から顔を出していた。
 生まれ故郷の秋津とちがって全体的に緑が少ない。そのせいか風も乾ききっていて、砂っぽかった。
 これがペトラポリス。
 千年都市とあだ名される、マーシトロンの統治国家のひとつ――。
「あの後、遺跡から必要な調査資料を集め、こちらに撤退してきました。聖堂はしばらく封鎖されます。あちこち壊れて倒壊の危険性がありますから」
 クリストフォロスが補足してくれたけど、わたしの耳にはその半分も届いていなかった。わたしの思考は、もっと別のところにあった。
「パパは……ここに居たんですね」
「ええ、そうです。ロクス・アモエヌスの敷地内にある学術館に卒業生の写真が飾られていますが、ご覧になられますか?」
 そんなクリストフォロスの言葉を遠くに聞きながら、わたしはパパを思い出していた。
 偏屈で頑固なじぃじに育てられたパパ。そんなじぃじに反発して、家どころか国さえも飛び出したパパ。留学が終わったあとは実家に戻ったものの、なにもかも、じぃじと正反対な生き方をしているパパ。なのに偏屈で頑固なところはよく似た親子。
「いえ――」
 小さく首を振って、郷愁に似た物思いを振り払った。
 わたしがここまで来たのは、パパが通った学校を見学するためじゃない。パパに頼まれたからだ。
「クレイオスというマーシトロンに会えませんか?」
 クリストフォロスは何度か瞬きをし、小さく微笑した。
 なにか可笑しなことを言ったっけ?
「ええ、もう何度か会っていますよ」
「え?」
「あなたの様子を見に、何度もこちらに忍んで来ていたようです」
 どこかで聞いたような話しだ。
 ……あ。
「えっと、じゃあ、もしかしてあのひとが……?」
「ええ。今は執務が立てこんでいるので難しいですが、スケジュールの調整をしておきます。あなたが目を覚ましたことを伝えれば、安心されて執務も捗るでしょう」
 クリストフォロスにとって大事なのは、彼――クレイオスの安心と、執務の進捗と、どっちなんだろう。今の言い方だと、お仕事優先に聞こえるなぁ。
「その前に――」
 クリストフォロスを遮るように、ぐりゅりゅりゅぅーと、わたしのお腹が盛大な鳴き声をあげた。あのイノシシの誓隷もかくも、という音量で、わたしは耳まで真っ赤になる。
 クリストフォロスは瞠目し、笑った。目も口も楽しそうだった。これまでの笑顔は微笑ていどの穏やかなものだったけど、いまはちょっとちがう。笑い過ぎて、わたしに不快感を与えないようにとの配慮からか、笑顔を奥に引っこめようと頑張っている。
 そんな無理やりも、美人がやれば様になるもので、わたしは改めて彼女の整った顔立ちと、それに相応しい振る舞いとに見入った。
 なるほど、美人が美人なのには理由があるんだ。どんなに顔が綺麗でも、手を口許にあてる指先に隙があってはいけないし、それを支える腕の角度にも気を配らなければならない。
 彼女は、彼女にしては大爆笑に分類される笑いをなんとかおさめて少し間を置き、ほんの少し上目遣いの、ほんの少し流し目の、麗しい視線を贈ってきた。言葉はないけれど、ごめんなさいが聞こえてくる。
 わたしはそれに、あはは、と誤魔化し笑顔を返した。
 美人は得をすることが多いらしいけど、それは滲み出る無意識の習性あってこその利益だ。そこにあるのは努力とか、家族の方針とか、育った環境とか、様々な、それぞれの要因があるのかもしれないけど、いずれにしても、板に着いた芸は身を助けるのだと確信した。
「ちょうど晩餐の時間です。準備をしましょうか」
 ……ばんさん?


 ◇ ◇ ◇


 わたしがペトラポリスについて知っていることは多くはない。
 北大陸の西部に位置していること。
 マーシトロンが都市を管理、統治していること。基本的な人権を守るために衣食住は政府から提供されること。生涯学習を奨励していること。
 気温は秋津とあまり変わらないけど、夏は乾季、冬は雨季になる。
 あと、ロクス・アモエヌスという場所に、パパが通っていた学校があるらしい。
 といっても、ロクス・アモエヌスが学校というわけじゃない。
 ロクス・アモエヌスはペトラポリスの実際的な中枢を示す名前だ。街の北側にあって、街の五分の一くらいの敷地面積がある。その中に議事堂や学芸館、高度医療施設、国賓のためのホテルや温泉などなど、ペトラポリス中の機密と技術とお宝が詰めこまれている。
 当然、一部の市民に開放されている区画を除外して、敷地内の警備はとても厳しい。入る人間も出る人間も厳重にチェックチェック。
 ペトラポリス政府に招待されたパパの代理であるわたしも例にもれず、失神している間に荷物の検査がされたらしくて、クリストフォロスはそのことを丁寧に陳謝してくれた。事前に了解を得ずにすみません、と。
 まあ、気にしていないけどね。
 わたしが持ってきた荷物はリュックサックがひとつだけで、中身も極端に少ないし。必要な物はすべて先方が用意してくれると言ってくれたので、替えの服すら用意しなかったのだ。だから見られて困る物は入っていない。
 でも、荷物検査以前に、あの聖堂で中身を落としたり壊したりしちゃったかもしれない。
 そう考えると不安になったので、念のため中身を確認させててもらった。荷物はすでに、わたしが宿泊する部屋に運び込まれていた。
 ロクス・アモエヌスの北側の、岩の丘の上のホテル。要人専用、空調完備、警備員完備、全室スイートルーム。
 建物の至るところが裸足で逃げ出したくなるくらい豪華で、絵画とか壺とか絨毯とか、物の価値が分からないわたしですら触りたくなくなるくらいの威圧を放っていた。
 そしてやっぱり天井が高い。見上げると、シャンデリアが眩い光を放っていた。下に長く垂れるものではなく、横に這うように伸びた大きなものだ。その分、室内空間が広く開放感がある。
 何事もコンパクトにまとめようとする秋津人としては、いたたまれなさを覚えるほどで、廊下を歩くときはついつい壁に寄り添ってしまうため、クリストフォロスは不思議そうな顔をしていた。
 彼女の説明によると、ペトラポリスの建物はすべてマーシトロンの身長に合わせて造られているらしい。だから一階一階の天井は五メートルから六メートル、あるいはそれ以上あり、代わりに階数が少なくなっている。最大でも三階建て。例に倣《なら》って、ここのホテルも三階建てだ。
 わたしの部屋は最上階に用意されていて、ベッドルームが二つもある部屋をひとりで占領することになった。
 リュックサックはリビングルームのテーブルの上にあって、すぐに見つかったんだけど、部屋の大きさに比べて貧相で泣けてきた。おまけに聖堂での騒動で汚れてるし……。だけど中身はちゃんと無事だった。杞憂で済んで良かった。
「では、支度を整えましょうか」
 クリストフォロスに促されて、シャワーを浴びた。
 ホテルの傍には露天風呂があるらしいけど、今は時間がないので断念。
 その後はクリストフォロスの手によって、夜会仕様に仕上げられた。
 髪は後頭部でお団子にされて、耳の横だけちょっと垂れて。化粧は、下地からファンデーション、口紅、グロス、アイシャドウにつけ睫毛。
 クローゼットから出てきたラスボスは総丈のキャミソールドレス、色は赤だ。
 仕上げに本物の宝石があしらわれた髪飾りとブレスレットを装着される。
 出来上がったわたしは、うん、悪くはないけど、背伸びしているお子様という感触が否めなくて、素直に喜べなかった。似合わないというわけではないけど、胸とか腰のくびれとかお尻とか、女らしさ不足だ
「あの……これじゃないと、ダメですか?」
「晩餐会ですから」
 逃げたい。
 ああ、でも晩ご飯……。豪華なお料理……。
「ちなみにその晩餐会って、クリストフォロスさんは……」
「そばに控えさせて頂きますが、ご来賓の交流を主な目的としていますので」
 自分はあくまでも出席するわけではないとクリストフォロスは主張した。
「来賓って誰です?」
 というか、わたしも来賓扱い?
「あの三人です。彼らとあなたの四人だけになります」
「ああ……」
 特に名指しがあったわけではないけど、すぐにそれが例の三人組だと気づいて、それはならある意味安心かもしれないと息をついた。
 他にもたくさんのお偉方が一緒、なんて言われたら、緊張で料理の味も分からなくなりそうだけど、あの三人が相手なら張り詰めた神経も自然に緩みきってしまう。来賓といわれるようなレベルの学者たち――とはいえ、なんと言ってもあの三人だもん。緊張するどころか、白々しい目つきで三人に突っこみを入れる自分が容易に想像できて、わたしは一気に肩の力を抜いた。
 そこに、クリストフォロスから一言。
「癖毛がひどいですね。髪をもう少し整えるように心がけると、見栄えが変わると思います」
 ……ご忠告、どうも。

 晩餐会はホテル内の一室で行われる。
 クリストフォロスに案内された部屋は、割と小ぢんまりしていた。
 天井は高い。花を模したクリスタルのシャンデリアが下がっている。
 床には古代紫のウールの絨毯。
 真正面には、上部が半円のアーチを描く優美な窓があり、その脇には緋色が映える重厚な天鵞絨ベルベットのカーテンが飾り紐で結わえられていた。ガラスの向こうにはペトラポリスの夜景。
 部屋の中央には、大きめのテーブルが一つとイスが四脚。テーブルクロスは白。
 壁際にもテーブルがあり、すでに料理が用意されていて、例の三人はそれをつまみながら楽しそうに談笑していた。
 ドレスアップしたわたしを見て、三人は一様に珍獣を見るような目つきになったけど接遇は悪くない。歩み寄って飲み物が入ったグラスを手渡してくれるあたり、少しは好意があるらしい。
「お前はジュースだな」
「どーも」
 今までのわたしの扱いが決して良いとはいえなかったから、彼らの態度は少し気味が悪いくらいだった。
 彼らとしては、多少なりとわたしを気分良くさせて、ひとつでも多くの情報を引き出したい魂胆があるんだろう。それを隠し切れていないところが彼ららしい。悪い人たちじゃないんだよなぁ……。ちょっと……いや過分に、誓隷に対する情熱が熱すぎるだけであって。
「で、どうだった?」
「はい?」
「はい? ではない、シンクロだ!」
「やはり、こう、頭がごちゃごちゃになるのか!?」
 ああ、第二ラウンドってことね……。
 呆れていると、絶妙なタイミングでクリストフォロスが割り入って来た。
「本日はご来賓の皆さまの親睦会も兼ねております。どうぞ、節度ある態度でお臨み下さい」
 おじさんたちの破竹の勢いがなりを潜めた。さすがクリストフォロス。
 おかげで今度は彼らの勢いに及び腰になることもなくシンクロしていたときのことを喋れた。
 その途中で本格的に晩餐が始まって、壁際のオードブルが引き上げられ、それぞれ席に着いた。秋津には上座の概念があるけれどここにはない。席は自由で、わたしの真正面には七三分けのおじさんが座った。右隣に小太りさん、右斜め前に眼鏡のおじさんが腰を落ち着けた。
 食事こそがメインだと、とにかく食べることを中心にしていたわたしは、彼らをヤキモキさせながらも話しをゆっくり進める。
 ホウレンソウに似た緑色の野菜のソテーと、白身魚のグリル。
 お米を丸めたような白い粒が沈む黄土色のスープ。
 パンは三種類、バターロールと、様々な種が混ぜられた白パンと、オニオンパン。添えられたディップからは香草の香りが漂っていて、撫でるように食欲をそそってくる。
 ひと通り喋り終わったのは、それらを全て平らげたころだった。
「推測するに、お前たちは相性が悪いようだ」
「相性?」
「シンクロの相性だよ」
 七三分けさんの呟きを補足してくれたのは小太りさんだ。
 七三分けさんはさらに言い募った。
「シンクロはお互いの思考を無線通信で繋ぐようなものだ。目に見えないパイプで頭を繋ぐ、と言ったほうが分かり易いか。……マーシトロンの種族特性であるアジル波がそれを可能にしているが、人間の思考は、マーシトロンに言わせると「溶けやすい」らしい。アジル波で化学反応を起こし、溶けた思考が、パイプを通じてお互いの間でやりとりされる。このパイプの太さが相性になる」
 たぶん最大限に噛み砕いてくれたんだろう。その説明は分かりやすかった。
 なるほど、パイプかあ……。
「まだはっきりしないが、性格の傾向や嗜好が相性を左右していると言われているな」
 眼鏡さんが間に入ってきた。
「だがしょせん憶測にすぎない。そもそもシンクロの原理もはっきりしないし、マーシトロンが使うアジル波とやらも不明瞭で、実際どんな作用を起こしているのか分からない」
「誓隷のヌミノースも似たようなものだ。自然エネルギーが引き起こす超自然的なものだとか言われておるが実態はさっぱり分かっとらん」
 小太りさんが七三分けさんの後に続く。
「異種族間の過干渉は不文律だからな。結局どの研究も遅々として進まんのが現状だ」
「まあ中には掟も解さないマッドな輩もいるが」
 七三分けさんが皮肉を言うと、三人はこちらに焦点を合わせた。
 そんなこと、わたしに言われても。言いたいことがあるなら直接本人に言って欲しい。
「お前、あの奇人の娘だと言ったな」
「病的な誓隷好きの」
「筋金入りの人間嫌いの」
 ……否定できないのが悲しいよ。
「なぜ奴はここに来ない?」
 眼鏡さんの質問は室内の空気を切り裂いた。他のおじさんたちは押し黙り、静かな目をわたしに向けてくる。きっとずっと訊きたかった質問なのだろう。答えを待つ彼らからは、剣呑なのほどの真剣さが窺えた。
「その前に一つ、聞いておきたいんですけど」
 運ばれてきたデザートに視線を奪われつつ、問いかけた。
「三人は、ペトラポリスの管理者さんに呼ばれてここに来たんですよね?」
「そうそう」
「あの誓骸の調査のためにな」
 小太りさんが頷いて、七三分けさんが重々しく答えた。
 眼鏡さんはブリッジをくい、と押し上げた。
「言っただろう。誓骸を運ぶより、専門家に来てもらったほうが話は早い」
 やっぱり積まれたんだ、なるほど。
 この人たちなら、誓隷や誓骸が関わっているならどこにでも飛んで行きそうだもんなぁ。管理者の人選は間違っていない。
「お前はちがうのか?」
 七三分けさんの鋭い質問に、わたしは首肯で答えた。
「元々はクレイオスというマーシトロンがパパを呼んだらしいんですけど、なにか事情がいろいろあるらしくて、パパが代わりにわたしを送ったんです」
「事情?」
「内容は知りませんけど……」
 パパはなにも言わなかったし、わたしも特に聞こうとは思わなかった。それを知っているパパが、わたしが適任だと後援した事実だけで十分だったから。
 三人のおじさんたちは密やかに顔を見合わせている。もしかしたらその事情に心当たりがあるのかもしれない。
 一つの都市国家《ポリス》の中に、国を管理するマーシトロンと、もうひとりのマーシトロン……。なんとなく察するところではあるけれど。
「そのマーシトロンとお前の父親は知り合いなのか?」
「友だちだと言っていました」
 三人の顔が一斉にしょっぱくなった。
「――友人――」
「――あの変人に――」
「――あの誓隷にしか目にない男が――」
 わたしも初めて聞いた時に同じことを考えたので同罪だ。ついでに言えば、ほんの少し前まで疑っていた。あのパパに友だち? いやまさか、と。
 だけど実際にクレイオスと会って、疑念は払われつつある。
 あのマーシトロンの彼なら、パパの友だちになることもあり得るかもしれない。力強く、優しさに溢れた彼ならば。
「それから手帳を渡してくれって頼まれて」
「「「手帳」」」
「はい、|ただの手帳《・・・・・》です」
 一言添えたにも関わらず、おじさんたちは満面の喜色を浮かべてお互いの顔を見合わせた。
 ここまであからさまだと、いっそ面白いくらいだ。
 どうせなにか仕掛けがあるのだろう? と、目で訴えられる。
「内容は?」
「さあ」
「読んでいないのか?」
「読みませんよ」
「父親から聞いていないのか?」
「なにも」
 矢継ぎ早に繰り出される質問に答え終わる頃には、期待の目は残念なものに変わっていた。
「――とはいえ、誓隷先生だぞ――」
「――内容は推して知るべし――」
「――うむ、決まりだな――」
「…………」
「それで、その手帳をどうすると?」
 おじさんたちの鼻息は荒い。瞳が輝きを取り戻して、爛々《らんらん》と光っている。
 これじゃあ、どう説明しても納得してもらえなさそうだ。
 行動の無駄は時間の無駄。わたしは抗議を諦めた。
「ペトラポリスの、クレイオスに、渡します」
 今度こそ、情報が歪みなく彼らの脳みそに到達するよう祈りながら、一言一言を区切って放つと、おじさんたちはそろって怪訝そうに眉を寄せた。
「――マーシトロンなんぞに渡してどうするのやら――」
「――あるいは相応の研究機関に――」
「――もしやどこぞの研究者に――」
 不意におじさんたちの目がわたしに向けられた。
 なんだろう?
 首をかしげて見せると、今度は仲良くため息をつかれる。
「――あの奇人の娘だぞ――」
「――金も脅しも効かんだろ――」
「――やるだけ無駄だな――」
「…………」
 なんでだろう。すごくわたしが悪い人に聞こえるのはなんでだろう。
 立ち位置を理不尽に追い詰められているような気がするが、口は出さない。話の成り行きを静観する。
 すでに手帳の内容を決めつけているおじさんたちは、今後、件の手帳がどこに向かうのかを題材にして大いに話し合った。終盤になると会話の主軸はクレイオスへの直談判へと変わっていった。情報を公開すべきだ、パパの意志を継ぐのは自分たちだ、聖堂の誓骸を生かすためには、ペトラポリスのために、云々……。
 その間にわたしはデザートをおかわりして、大いにお腹を満足させた。そしてこっそり思う。
 クレイオスは――あの蒼い瞳のマーシトロンは、パパが友だちだと言い切るようなひとだ。きっと一筋縄ではいかない。わたしよりもよっぽど巧みな方法で、あの三人の我欲を回避するだろう。
 なにより、彼とシンクロしていたからこそ、確信がある。
 パパの選択は、決して間違ってはいない。

 それから間もなく晩餐の席は解散になった。彼らの話し合いはまとまっていなかったけど、とりあえず意見は出尽くしたらしい。
 わたしも部屋に戻ろうと席を離れた。
 部屋に戻るまでクリストフォロスが付き添ってくれた。
 子どもじゃないんだし、部屋に戻るくらいひとりで大丈夫なんだけどな、と思っていたが、彼女の意図は別にあったらしい。部屋の前で呼び止められて、わたしはそれを察した。
「タオさん」
 なんだろう。
 距離感を感じさせる事務的な呼びかけの中に硬質な響きがあるのを耳ざとく聞きとったわたしは、何かしらの苦言があるのかと身構えた。
「先ほどの……お父様の手帳なのですが」
 他の耳の存在を警戒するように、彼女は周囲にちらちらと目を配る。
 それから、よりいっそう声を潜めた。
「保管には十分注意を。誰かが狙っているとも限りません」
 真剣な声音だからこそ、そのセリフは私の耳にはとても滑稽に聞こえた。
 クリストフォロスにとっては、言わずにはいられない、重要な忠告なのだろう。
 だけど忠告というのは、喜ぶだろうと思って贈ったプレゼントが捨てられてしまう可能性があるように、相手によっては真面に受け取ってもらえないこともある。
 いまがまさにそれだ。
 彼女が言う誰かとは、眼鏡をかけていたり、小太りだったり、七三分けだったりするのかもしれないけど――あるいはちがうのかもしれないけど――いずれにしても、狙われていると言われても、いまいちピンとこなかった。
「大丈夫ですよ。さっきも言った通り、ただの手帳なんですから。逆に変に身構えると、勘違いさせてしまうと思いますよ?」
「……でしたら、いいのですが……」
 頷きつつも、納得しているとは思えない反応だった。
 でもわたしはそれについて彼女を説得しようとは思わなかったし、その手間に価値があるとも思えなかった。
 パパがクレイオスに託した|ただの手帳《・・・・・》は無価値だ。
 そのことに、誰も彼もがすぐに気付くと思っていた。

<<back   main   next>>

※1 Oταν στη Πετρα. 引用:When in Rome. あるいは When in Rome, do as the Romans do. 意味、郷に入っては郷に従え。この場では「部外者は黙ってろ」

※2 都市国家《ポリス》  マーシトロンが管理する国の総称。一国一国はたいして大きくはない。