MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者- EX. EK04
 うららかな、おだやかな日差しの中から、微風に乗ってかすかに聞こえていた歌声が止まった。
 おや、と首をめぐらせて開け放った窓から村の広場を見渡せば、手入れされた草の上に寝転がる子どもたちの姿が見える。その中には我らが女王陛下のお姿もあり、テラコッタの村医者を勤める男は思わず苦笑した。
 まあ、無理もないだろう。陛下は昨日、村を騒がせたモンスターを自ら掃討して下さったのだ。陛下の仲間のうち、ふたりは療養のため隣のベッドの住人を申しつけたし、残りひとりも先ほどようやく完治の宣告をしたばかり。仲間達のおかげで陛下は比較的軽症だったとはいえ、なんの負荷もなかったわけではない。女王として、もしくは年頃の女の子としては少々はしたない気もするが、他の村人たちがそうしているように彼もまた見て見ぬふりを決め、医務室の専用のイスに腰を落とした。
 昨日の一件は軍の不備が認められ、村が受けた被害は全面的にブルーコートが補償する運びとなった。といっても、問題のモンスターは女王をはじめとした彼らが迅速に片付けてくれたし、住人に怪我はなく、被害と言えばせいぜい祭事用の井戸が壊れたくらいだ。最悪の事態を最小限に食い止めてくれたことに関して、住人からの不満はない。もちろん彼も。
 だが……昨日のできごとで起こされた記憶に、彼は小さな寂寥を覚えていた。
 もう何年前になるだろうか。過日と同じように軍がやって来、昨日と同じようにモンスターが村を襲った。そしてこれまた同じように、速やかに討伐されたあのときは、彼がまだ子どものころで、せいぜい十歳前後だったような気がする。
 そのとき、大人たちに混じって自分と同い年くらいの小さな少年がモンスターとの対戦に参戦していた。脚がはやく、小柄を生かして敵の懐にもぐりこみ、あるいは逆に速力で距離をとり、見事な緩急をつけて戦う少年だった。当時まだ子どもでモンスターとの戦いというものを知らない彼の目からでも、明らかに少年の強さが分かったが、最後に少年は敵の一撃をくらって浅くはない傷を負ってしまった。
 遠巻きにそれらを見ていた彼は、戦闘が終わるや否や父親の制止を振りはらって駆け出し、少年に近付いた。
 当時、クリスタルキューブのなんぞやも知らなかった彼には、少年がこのまま死んでしまうと思われたもののだ。
 しかし少年は気丈にも――実際に少年の体はキューブの力でほとんど軽傷と変わらなかったはずだ――笑顔で彼の心配に答えてくれた。
『怪我はないか?』

 あのひとことは、衝撃的だったなぁ……。
 眉根を寄せ、けれど口許はほころばせ、彼はこのうえもなく緩んだ苦笑をこぼした。
 ボロボロだったのはむしろ目の前の少年なのに、無傷の自分を心配してくれる彼に……、なんというか、「偉大」という言葉の意味を身をもって実感させられた。自分には行きつけない領域、とでもいうのだろうか。大きな、包みこまれるような、一歩二歩では埋まらない距離感。
 そんなものを感じながらも、少年の傷を見た幼い彼は、手を伸ばせば届く距離にある赤い染みを、小さな手のひらで必死に押さえた。
 お父さん、お父さん、と何度も叫びながら、泣きじゃくりながら、少年に大丈夫だよと頭を撫でられながら、彼は自分の無力さを痛感していた。
 母親は、彼が転んでひざをすりむいたとき、どう治療してくれただろう。ただ単純に傷口を消毒してくれただけの、そんな単純な作業を思い出せないくらいに混乱しながら、幼い彼は悔しさをにじませた。
 少年の「偉大」さには手が届かない。
 それはそれでいい。けれど、手が届くこの傷の治療ができないなんて、自分はなんて情けないのか――。
 その後、少年は駆けつけた軍医の手当てを受けて、半日もたたずに回復したけれど。
 そのときの思いは彼を医者の道に駆りたて、今までその志を支えてくれた。
 そんなことを、どうして今さら思い出したのだろうか。
 座り慣れたイスにもう一度座り直し、体勢を整えると、ふと、机の上に放置されたままだった使用済みの包帯が目にとまった。
 きっと彼女のせいだ。容姿も、髪の色や目も、そもそも性別すらちがっているのに、どうしてか彼女を見ているとあのときの少年が思い出された。面影、とでもいうのだろうか。陰影が写された大人びた表情。
 おそらくあの時と似たような状況下であることも原因のひとつなのだろう。

 久方ぶりによみがえった記憶に、かつての幼子は遠い過去を見る。
 彼は元気だろうか。――きっと元気だろう。世界のどこかで軍人となって活躍しているにちがいない。
 その確信の半分は願望であると自覚しながらも、彼は使い終わった包帯の消毒に取りかかった。
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