MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【64】
 白く塗り潰された意識に、ぱ、ぱ、と、映像と声がフラッシュする。
 たぶんそれは、過去の記憶。
 それがオズマの記憶であると気付いたのは、ずっと後になってからだった。


 ねえオズマ、私いつまでここにいればいいの? マムはどこにいったの?
 問いかけられたオズマは、この少女に召喚された相棒が何をしようとしているのかを知っていた。
 ユリアの願いはガーディアンが叶えるには少し特殊すぎる。そのため、いままで一度もうまくいったためしはない。だから、人間に協力することによってユリアの存在を認めて貰おうと奔走しているのだ。
 ムダなことだと思う一方で、少し、期待も寄せていた。
 協力してやりたいのは山々だが、ユリアのためにモンスターの数を増やしたオズマは人間に信用されていない。出来ることといえば、寂しがるユリアを慰め、モンスターの生産を抑えることくらいだ。
 マムはここにいる。だからもう少し待とう。そのうち帰ってくる。
 そう告げて、遊び相手の小さな飛竜を与えた。
 人間がこの星を捨てようとしていることは知っていた。
 だが彼は、この建物が何のために用意されたか知らなかった。

 【契約違反[ヴァイオレーション]】という怪しげな術を人間が秘めているなど、彼は知らなかった。だから、ユリアが連れていかれた時も、マムに会わせるという人間の言葉を信じた。
 怪しいと直感が告げる。
 だが人間に信頼されていない彼が、この頃、ユリアのためにできたことはただ一つ。マムと人間を信じること。それ以外の行動はユリアの存在をおとしめるだけだと気付いたから、大人しく人間にも従ったのだ。
 それが間違いだった。
 探して、探して、ようやく手元に返ってきたユリアは、すでにユリアではなかった。
 心が壊れ、人形のようになってしまって。
 魂に焼き付いた日常動作を繰り返すだけの、虚ろな瞳の少女は、日に日に弱り続けていった。

 マム……マム……。
 相棒の名を呼んでも、あの柔らかな声の返答はない。
 両腕に抱えたユリアから、少しずつ、命の重みが消えていくというのに、この星にはすでに彼女の存在も、人間たちの気配もないのだ。あるのはただモンスターの存在だけ。
 マム……なぜだ、なぜ我らを置いていく。
 ユリア……ダメだ……死んではならぬ……。私をひとりにするな……。
 氷雨に打たれ、懇願する。青々と茂る一年草に膝をつき、哀願が天に届くようひたすら祈る。
 だが何者も、彼の願いを聞き届けてはくれなかった。
 ――もう頼れるのは自分だけだ。
 今までだってずっとそうだった。ユリアの願いを叶えるため、自分の力を揮ってきた。それは当初、ユリアの立場を更に危うくするだけにしか作用しなかったが、今さら、何を躊躇う必要があるのだろうか。
 ここにはもう、ユリアと、自分と、モンスターだけしか存在しないのだ。
 枯れかけたユリアの肉体を放棄させ、自分の一部として魂を繋ぎとめる。
 果たしてその状態を「生きている」と呼べるかどうかは分からなかった。
 だがひとつだけはっきりしていることがある。
 ――独りは嫌だ。ユリアに召喚される以前は、孤独など当たり前で、それが寂しいということにまるで気付きもしなかった。しかしユリアがいて、マムがいて、三人がともに過ごす時間の温かさを知ったいまは、あの狂おしいまでの孤独に耐えきれないだろう。
 どんな形でもいい。
 置いていかないでくれ。マムのように、いなくならないでくれ。
 頼む――!!


 *


 静かだ。
 そして、冷たい。
 硬い床の上に倒れていると気付いて、もやのかかった頭を必死に回転させる。
 ユリア=オズマにありったけの力を送り込み、押し返したところまでは覚えている。
 それからどうなったのか……。
 上体を起こし、周囲を見回したシュリは、目に飛び込んできたそれに、どきりと鼓動を跳ね上げた。
 ユリアがいる。オズマと同化した姿ではない。彼女本来の姿で茫然と床に膝をつき、足元に転がる何かをただ見ているのだ。
 一体何を見ているのか、ユリアの傍に横たわるそれに注視を送ると、それが人間の形をしていることに気付いた。ほっそりとした体躯、長く美しい指先、尖った顎。そして、致命的な傷を背中に負い、もはや立つことすらままならないその人物が〈ノウア〉のガーディアンの長であるビッグマムであると気付くのに、たいした時間はかからなかった。
 なぜ!? と、声をあげようとしたところで即座に応えが煌めく。
 マムがユリアを庇ったのだ。
 どうしてと、問いただす必要もない。
 憎んでもおかしくはない〈ノウア〉の民に、まるで実母のように愛情を注ぐマムが、どうしてユリアを捨ておけるだろう。倒す、と宣言しても、母親の愛情はほとんど本能だ。
 少なくともシュリは、過保護な自称保護者にそうやって育てられてきたし、愛情を欠片も感じて貰えていない四道の父親だって、傍から見れば父親なりの愛情が窺えた。ダースマンにだって、彼なりの愛情表現があった。だから、幸薄いユリアをマムが捨ておけるはずがない。ずっと、後悔し続けていたのなら尚更だ。
「マム……」
 マムの意志を察したのだろう。シュリよりも遅れて気を取り戻したステラが、消え入りそうな声で呟いた。その後、三好、四道も起き上がり、予想だにしなかった展開にしばし言葉を失う。
 裏切られた――という情感が、一瞬だけ伝播した。だがそれは即座に上書きされ、マムらしい、という言葉に塗り替えられる。
「……リア……ユリ、ア……」
 長く整った指先が動いた。血まみれだった。
「無事……か……?」
 切れ切れの言葉の合間にヒュウヒュウと息の漏れる音が聞こえる。喋るのも辛いだろうに、マムは二の腕をもたげ、ユリアの手に触れた。
 ユリアは何も答えなかった。――正しくは、答えられなかった、だ。ついさっきまでユリア=オズマに対立する側にいた彼女が、どうして目の前で、しかも血まみれで倒れているのか、許容しきれていない。戸惑いも隠せないまま、現実を直視できずにいる。
「…リ、ア……すま、なんだ……。妾、が、愚かで――」
 ゴフッ、と、マムの口腔から鮮血が飛び、唇を染める。
 飛沫した僅かな血がユリアの手の甲に飛び散り、ユリアはそこでようやく眼前の現実を見た。
「どうして……どうして私を庇うの……」
「そな、たは……かぞく…だ……」
 ――家族。
「妾の……愛し子……」
 そう、言い残し。
 マムの手が、ぱたりと床に落ちた。
 誰も彼も言葉を失う。ステラは目から涙を落とし、口元を両手で覆った。
「……マム? マム」
 ユリアが揺さぶっても、もうあの声は響かない。繊細な指が温もりをもつこともない。慈愛の眼差しが、穏やかな微笑が、マムであったすべてが永久に葬られてしまった。
「……マム」
 もう一度、ユリアは強くマムの身体を掴んだ。しかし何度呼び起こしたところで結果は同じだ。
「マム…………いやだ……いやだよ、ねえ、マム! マム起きて! 起きてよ! 起きて! ……なんでいまさら、なんでこんな……いやだよ……ねえ、マム!」
 ユリアの声が少しずつ涙交じりになっていく。
「いやだ……お願い、置いていかないで……置いていかないで!! 独りにしないで!!」
 嘆願を繰り返すユリアの髪に、そっと、白い手が触れた。
 ――悲しいの?
 シュリでも、ステラでもない。勿論、三好や四道とも違う。
 ――寂しいのね。
 色素の薄い――というよりも、殆ど透けて向こう側が見えるほどの、華奢な手。
 ――じゃあ、一緒に来るといいよ。
 思ってもみなかった提案に、ユリアが顔を上げると、そこには彼女の知らない、そして、シュリ達には見知った姿がぼんやりとあった。
「うそだろ……」
「二の宮さん……?」
 三好と四道が茫然と呟く。
 どうやらシュリの目に見えているものと、全く同じものを彼らも見ているらしい。
 脱色し、きついウェーブがかけられた髪、丁寧にカールされた睫毛が縁取る二重の目、同じ日本人とは思えないほどすらりと長い手足。シュリの記憶をそのままに制服を纏った彼女は、両腕に大事そうに何かを抱えている。
 水晶玉によく似たそれがマムの魂だと悟ったのは、殆ど直感だった。
 ガーディアンにも魂があるのかとか、ガーディアンはもともと魂と似通った存在だったんじゃないのかとか、いろいろ頭をよぎったが、それはそれとして、直感が間違っているとは思えなかった。
 ユリアもそれを悟ったのだろう。二の宮がいだくマムの魂を、しばらくぼんやりと見上げていた。
 そして、泣きはらした目で二の宮を見上げた。
「行って……いいの……?」
 ――いいよ。本当はあなたもずっと前に来るはずだったの。だから、だいじょーぶ。
 差し出された手にユリアは一瞬だけ躊躇いを見せた。
 だが二の宮の笑顔が、即座にそれを払拭する。いつまでも変わらない、ひとの警戒心をかき消してしまう二の宮の笑顔。いつの間にかシュリもほだされてしまった、あの爛漫の笑顔に、ユリアも強い温情を感じたのだろう。
 ユリアは、それに引き寄せられるようにおずおずと己の小さな手を差し出した。少しずつ、少しずつ、二人の距離が縮まっていき、ついに二つの指先が触れ合う。と、
 カッ!!
 強烈な光が二の宮の背後から後光のように差し込み、シュリたちは数秒、目を眩ませてしまった。
 薄っすらと再び瞼を開いた時には、もうユリアの姿はなく、聖母のように二の宮が立ちつくすのみ。そのかいなにはマムと、ユリアが優しく抱きとめられており、すやすやと寝入った赤ん坊の呼吸のごとく、穏やかに明滅していた。
「マイ……」
 ――今度は迷子にならないように、道案内してくるね。
「……ダイジョーブかよ……お前のほうが迷子になんねぇの……?」
 力弱く、三好が憎まれ口を叩くと、二の宮は可愛らしく両頬を膨らませる。
 ――もう。ちゃんと分かってるから、心配しないで。
 答え、二人はしばし見つめ合う。それから二の宮はシュリへと視線を動かしたが、シュリには何も、かける言葉などなかった。
 言いたいことがなかったわけではない。むしろ、たくさんある。もっと早くに打ち解けられなかったこと、どこまでも素っ気なかった自分の態度を謝まりたかった。普通の友達のように出かけて、おしゃべりして、二の宮のひたむきで前向きな姿に少しだけ憧れていたことも告げたかった。
 けれどそれは今は必要ない。きっと、彼女は分かってくれている。
 言葉もない、頷きもない。それでも十二分に交感し終え、二の宮は満足げに次へと視線を移動させた。
「二の宮さん」
 四道に名を呼ばれ、少し、間が空く。
「……行ってらっしゃい」
 それから彼女はにっこりと、たんぽぽのように笑って。
 シュリ達に背を向けて、光の中心へと旅立っていった。


 光が収まったあとの室内は、まさに「祭りの後」といった静けさだった。
 すべてが夢か幻だったかのように何も残っていない。凄まじい戦いの爪痕と、エオリアたちが未だ人型であることは戦いの前と違っているが、それだけといえばそれだけで、振り返ればいまだにビッグマムがいるような――そんな気がする。
「終わっ……た、のか……?」
 少し上ずったような、三好の声に、
「ええ――終わったのよ」
 やや心あらずのステラが頷く。
 失われたものがある。それでも生きている人間はこの先も生きていかなければならない。だから、ひとつの終わりはひとつの出発点だ。
 しかし今だけは――。今だけは、この余韻を、あの、ぬくもりを。
 …ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
「な、なんだぁ!?」
「地震!?」
「ジン! タカ! シュリ!」
 三好、四道の声に続き、遠くから聞こえてきたその声はヴィクスのものだった。
 振り仰ぐと、ヴィクスとライト少年がこちらに駆け寄ってくる。
「陛…いえ、ステラ様もご無事でなによりです」
 ライト少年が軽く礼をとると、ステラは「ええ」と短く頷いた。
「無事だったな! なんかいろいろ増えてるが……それより早く逃げるぞ! 建物が崩れてて、入口はもう使えない。ここからの出口は!?」
「出口つったって、オレらだってそこの入り口からしか――」
「あ、あそこ!」
 ステラが指差したのは、玉座の向こう側に穿たれた大穴だった。おそらくシュリ達の最後の一撃で穿った穴なのだろう。微かに薄ら青い光が見て取れる。新鮮な空気の流れも。
「他に出口もなさそうだ。一かバチか、あそこしかないな」
「よし、行くぞ!」
 四道の一言を合図にヴィクスが先陣を切り、それに三好、ステラ、四道、シュリが続いた。その後ろをライト少年と、エオリア達が追いかけてくる。
 落ちてくる天井の欠片を振り払いながら大きな横穴に辿り着き、その奥へ進む直前、一度だけ、後ろを振り返る。
「……大丈夫か?」
 心配そうに声をかけてきたライト少年に「うん」とだけ頷いたシュリは、脱出口を目指し、奥へと進んでいった。
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