MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【58】
 クリスタルキューブのない元補佐官たちをエルグランドに残し、彼らの安全をエスコートとセラフィムに頼むと、シュリたちはガーディアンを伴って一路、オズマの膝元へと出陣した。
 大陸からやや離れた島の、約七割を占めるエスペランサ・フォレストは、たびたびこの地に遠征するプラタによって二つの区画に分けられている。プラタがモンスターを狩る外周と、オズマの根城を中心にした森の内周、この二区だ。
 内周は〈ノウア〉政府によって立ち入り禁止命令が出ており、ここ二十年ほど誰も出入りをしていない。
 その措置は、無論、オズマによる死者をこれ以上増やさないためでもあるが、どちらかというと、オズマの正体、ひいては政府が長年隠し続けてきた、オズマの契約者《コントラクター》との一連のいざこざを隠蔽しておきたいのが本音だろう。
 そうでなければ軍のデータベースからわざわざ記録を抹消するはずがない。情報の混乱、不足は、軍人の――とくにプラタたちの殉職率を底上げする。何者かがついうっかり迷い込んでしまったときのためにも、せめて地図くらいは残しておきたいのが人情である。
 それをせず、全ての記録を抹消した潔さこそ、真実が露見することを恐れる政府の本音だ。
 オズマという大きな脅威を前に、〈ノウア〉の統一を図ったこれまでの政府代表たち。彼らの判断が間違っていなかったことは、今の〈ノウア〉を見れば明らかだ。デゼスペレ・オズマという最大の敵を目標に、〈ノウア〉の民たちは強靭な軍を育て上げ、強力な兵器を生み出した。
 シュリたちにとって問題だったのは、彼らが生み出した大型兵器レーゼンメーテルが、故郷であるもう一つの宇宙に、ときどき深刻な影響を与える、ということ。
 影響を止めるには兵器をこれ以上使わせないようにしなければならないのだが、異世界の存在など、どれだけ説明しても簡単には受け入れて貰えない。迅速な対処方法として最も現実的な手段は、オズマを倒す、その一つだけに絞られた。
 そのために必要だったのは、オズマへ至る道を記した地図と、周辺域に出没するモンスターの情報だ。それを知るのは、二十年前、オズマにもっとも肉薄した部隊の生き残りのイーサンのみ。
 彼の行方を捜索し、探し当てた末に、シュリたちはオズマの秘密――オズマが実はモンスターではなくガーディアンであることを知ってしまったのだが、オズマの正体がなんであれ、シュリたちの意志には何ら影響を及ぼさなかった。
 いまはただひたすら、オズマを倒すことに集中するのみだ。
 元女王ステラがイーサンの義娘ユリアに【後継契約】を行っている最中に、ニナがイーサンから内周の情報を得、二十年分の修正――主に兵器実験による地形の変形――を入力して、特製の地図と敵情報の一覧が作られた。その地図を用い、ニナがシュリ達を奥へと誘導していく。
 途中、何度もモンスターとエンカウントしたが、殆ど大事には至らなかった。
 エスペランサ・フォレストは、〈ノウア〉に送り込まれるモンスターが棲息する森なので、〈ノウア〉に辿り着いて独自に進化したモンスターを除く、動植物系すべてのモンスターが出没する。

 そんな戦闘を幾度も繰り返しながら、進むことしばらく。月が中天に昇り、毒々しいまでに赤かった色もいつも通の柔らかな真珠色に戻るころ、不意に森が拓け、断崖絶壁の谷間が出現した。
 谷の幅は目算で数十メートル、月光では光力が足りず谷底がまるで見えない。かすかに聞こえる水音から、底に小川が流れていると推測できるが、分かるのはそれくらいだ。女王の足元で、不機嫌そうな猫が不機嫌そうな声で鳴くのは、水の気配に誘われたからだろう。
 谷の向こう岸には、古い寺院のような、尖塔のある建物が見えた。固い土肌が顕わになった崖のような斜面にうずくまるように、石造りの入り口が見える。さらに奥の背景には、ゆるやかな稜線を描く連山。琥珀色の月と、微かに瞬く星々。深い闇の色に取り込まれそうな薄い雲。
 まるで、一枚の風景画を見ているようだった。生命の気配が非常に希薄で、それでいて、自然の息遣いが聞こえてきそうな、圧倒的な圧迫感、圧倒的な光景。
「……あれがオズマの?」
「――ああ」
 四道のか細い声に、ヴィクスがやや緊張した声音で答えた。
 ――とうとう来てしまった。
 唾を呑み下すと、ごくり、と喉が鳴る。
 一同はしばし目を奪われ、自ずと歩みを止めた。呼吸を忘れてしまいそうなほどの深い沈黙が、闇に呑まれ、霧散する。
「で、どうやって向こうまで行く?」
「向こうに橋がある。そこから迂回する」
 ヴィクスが歩き始め、全員がそれに追随した。
 暗くてよく分からなかったが、確かに少し歩いた先に橋があった。それも、今にも切れてしまいそうな、不行き届きなつり橋などではない。岩石を繋ぎ合わせた石造りの、がっちりと頑丈な石橋だ。横幅はおよそ五メートル、カテナリー曲線を描いたアーチ型の橋をしていて、落下防止のための衝立部分がない。うっかり端近に近寄り過ぎると落ちてしまいそうだが、浅川の橋ならばともかく、こんな大峡谷に落ちては気絶している間に天に召されそうだ。
「さすがにコエーな」
 見えもしない谷底を覗き込んで三好。
 他の全員は彼が武者震いしている間に橋を渡り終え、谷にほど近いオズマの牙城の正面玄関を真面から見据えた。
 材料は石だろうか。少なくとも鉄や木の類ではない。錆びも腐食もない、なぜか風化すらも窺わせない門構えに、年月の重みなど感じとれというほうが難しい。一般家庭の扉の三倍は大きいし、それなりに飾り枠が彫られているが、貧相な第一印象は否めない。
 それでも、この奥にオズマがいると思うと、それだけで足が竦む。
 ほんの十歩ほど扉から離れた場所で、シュリたちは互いに顔を見合わせていた。
 誰が最初に突入すべきか、腹の探り合いをしているのだ。攻撃性から選べば三好がいいだろうが、経験の豊富さはヴィクスのほうが上だ。気配に敏いシュリ、あるいは真逆に内部の様子を探るべく隠密が得意な四道という選択肢もある。
 どれを選ぶべきか誰もが決めかねていると、なんの前触れもなく地響きが始まり、オズマの牙城の扉がじわじわと亀のような緩慢な速度で開き始めた。
 全員、脊髄反射で体を適度に筋張らせ、各々の武器を手にし臨戦態勢をとる。
 まさかオズマが出てくるとは思えないが、ここは敵の本拠地だ。その「まさか」もありうるかもしれない。何が起こるか分からないからこそ、一層警戒心を強め、観音式で開く扉の割れ目に注視を送る。
 数センチ、数十センチ、徐々に大きくなっていく切れ目に月光が注がれると、ちょうど真ん中に黒い影が見えた。
 緊張が走る。
 敵、と認識とすると同時に、シュリたち全員、そして、その影自身も動いていた。
 隙間を縫うよりも手っ取り早いと判断したのか、影が高く跳躍する。
 柔らかいはずの月明かりをギラッと鋭く返すのは、肉厚な斧だ。ハルバードに見られる突起はなく、形状はトマホークに近い。薪割り斧の刃をそのまま大きくしたような武器が、仕切り相手を特定せず一番高い所から落ちてくる。
 斧の刃を見上げながら、刹那の間、受けようか流そうか逡巡したが、あの高さから振り下ろされてはとても受け切れないと判断し、ダッシュで回避。シュリと同じく他の五人も各方向へ放射状に飛び退いた。
 ドォオォォン!!
 凄まじい地響きと、扉が開き切った音とが、低音部で絶妙なハーモニーとなる。
 ついさっきまでシュリが立っていた場所は、周囲の半径約六十センチの土を巻き込み、大きく陥没してしまっていた。中央に重々しくつき立てられた斧。そしてその斧を、ぐいっと担ぎあげる――少女。
 未だ年端もいかない、ほんの十歳……いや七歳か八歳くらいの、とても小柄な女の子だ。
「え……女の子……!?」
「迂闊に近付くでない、ステラ!! それはオズマによって改変された、ユリアのかつての朋友だ! すでにヒトではない!!」
 避けた拍子にバランスを崩したマムが体勢を整えながら叫ぶと、半歩ほど踏み出しかけていたステラはたたらを踏みながらも何とかその場にとどまった。
 全員が己の耳を疑っている。
 それらとは対照的に、対峙する少女は涼やかだった。
 幼いだけの顔立ちはどこまでも無表情で、感情の動きがまるで読めない。ふっくらとした輪郭を描く柔らかな頬のすぐそばには、彼女の顔よりも倍は大きい斧がある。幼女らしい細肩に担がれたその斧は、小さな彼女にあまりにも不似合いなのだが、まるで思惟のないオーラと相まって、むしろおかしなほどの威圧感を放っていた。強力なモンスターに感じる威圧と同種の気配だ。
「そんな……人間まで……? オズマが――本当にオズマがやったのか……?」
「そうだ、他にも幾人かおるはずだ。皆、ユリアの友になる予定だったのだが、情緒が失われ人形のようになってしもうたのだ。ユリアが存命だった頃は、ユリアの身の回りの世話をしておったようだ」
「そんな……」
 受けた衝撃をそのまま呑み込むかのように、ステラが両手で口を覆った。憐れみのような、同情のような眼差しが少女に向けられても、彼女は何一つ反応を見せない。読み取れるのは、侵入者に対する攻撃性、それだけだ。
「いくらユリアのためだからって、なんでもやっていいってわけじゃないだろ……こんな――こんな小さな子どもまで……」
 三好の顔がぐしゃりと歪み、前に突き出した拳から僅かに力を抜いたようだった。
 彼はオズマの正体を知らされた辺りから、オズマに――正確にはオズマとその召喚者であるユリアに、感情移入しているようだった。肩入れしている、というべきだろうか。
 三好はおそらく、地球に残してきた彼の弟と、ユリアを、どこか重ねて見ているのだ。
 マムとオズマを召喚したユリアの年齢は八歳。ノア計画の規定年齢外だったという三好の弟は、多く見積もっても十二歳ということになり、あまり変わらない年頃ということになる。男と女という性別の違いはあっても、それが外見的差異に及ぶまでにはあと少しだけ猶予があるし、〈バイオ〉に見捨てられたユリアと、故郷に置き去りにされ今は遠い地球にいる弟君と、符合する点は多いように思える。直情的な三好が情に駆られてもおかしくはない。
 だがここにきてユリアとオズマへの憐憫は裏切られてしまった。
 いくらユリアが哀れな娘であったとしても、周囲の人間がとりたてて残酷な仕打ちをしていたわけではない。人付き合いが少し苦手な娘を、少しばかり扱い辛く思い、手を焼いていただけにすぎない。
 ところがオズマは、そんな彼らから感情を奪い、モンスターと変わらないモノへと改造してしまった。
 ユリアのためとはいえ――オズマは、やはり「善」なる存在ではないのだ。
「ジン、そなたの言う通りだ。オズマはこれまでこのような罪を幾つも犯した。同時に、それを止められなかった妾の罪でもあるのだ。――ここは引き受ける。そなたらは先にオズマの元へ急ぐのだ!」
 そしてオズマを止めて欲しいと懇願したマムは、斧を掲げる少女の前へ飛び出した。が、それを大きな背中が遮り、マムをその場に留めさせる。マムの代打で少女と相対した人物は、背中に背負った剣を抜き、振り降りてきた斧をがっちりと受け止めた。
 ギチギチ、ガギン! と、何度も火花が飛び散る。
「倒さなきゃいけねえのはこの子じゃないだろ? ここはオレとライトで止める! だからお前らこそさっさと先に行け!」
 斧と大剣とで激しい鍔迫り合いを重ねながらヴィクスが叫ぶ。
 いま倒すべきなのはデゼスペレ・オズマであって、この少女ではない。オズマさえ倒せば、あるいは少女を救う方法があるかもしれない。なんの確証もない希望的観測にすぎないが。
「行こう、彼の言う通りだ」
 ステラの二の腕を四道がそっと掴んで、やや引き摺るように引っ張っていく。
 彼らの言い分はステラも分かっているはず。それでも承服しかねているのだろう、後ろ髪を引かれるステラは名残惜しそうな視線を二人に向け、二人がかりで少女の斧を押し返す背中を見つめた。
「死ぬなよ!」
 二人の後を追いかけながら、三好が呼号すると、ヴィクスが肩越しにニヤリと笑った。
「ガキが心配すんな」
 力で押し負けた少女が斧を担ぎ直し、開いたままの扉に向かって走り出すシュリ達を追う。だが進路をライトに阻まれ、彼女は急ブレーキで足を止めた。
 立ちはだかる人間は二人だが、体格的に無理に通ることはできない。また、容易に通らせてはくれなさそうな気迫を放つ二人に対し、少女が諦めの気配を落とした。
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