MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【57】
 ミルキーウェイをさかのぼり〈バイオ〉へと到着したエルグランドは、自動補正で大気圏内へ突入し、オズマの生息地にほど近い森の上空にホバリングした。
 機体の安定を確認したエスコートの一人が、「これより着陸態勢に入ります」と、艦内通信を使って搭乗者全員に宣言する。
 いよいよだ。
 艦の船首部に設けられたブリッジに映し出されたモニターを一番下のフロアから見上げ、シュリは緊張に身を強張らせた。
 外は、夜というには少し早すぎる宵の口だった。
 巨大スクリーンに映し出された森は夜の闇にすっぽりと覆われてはいるが、西の空にはまだ微かに緋色[あけいろ]の残光が細長い雲のように横にたなびいている。光の残滓は毒々しいほどの輝きを残しているものの、空間を照らす力は全く残っていないようだ。肉眼では樹木の線があいまいで、ほとんど闇と同化してしまっていた。ただ、森の中央には穴が開いたようにぽっかりとした空白域があることは確認できる。エルグランドはそこを目がけて徐々に下降していく。
 心臓の鼓動に合わせ、耳の鼓膜がうるさいくらいに脈打っていた。
「あのときの森だ」
 希薄な声で四道が独白する。
 あのときとはすなわち、シュリ達がこちら側の宇宙に来たばかりのときのことを示しており、その際に踏み込んだ森といえば、初めての戦闘を経験し、ヴィクスとライトに巡り合った森のことを指す。
 すべてが始まった、元始の地。
「なんで分かるんだよ」
「樹の種類と割合」
「さすがタカっすね、その通りっすよ」
 半信半疑だった三好が「え?」と驚くが、ニナは特に構う様子も見せずイスを稼働させてくるりと半周した。
「まさにここが三人が迷子になってた森っすよ。エスペランサ・フォレスト、島の中央部の九割を占める巨大な森っす。島は比較的暖かい地方にあるんっすけど、森の中央にある大きな活火山の標高が割と高いんで、吹き下ろしがくるとけっこう冷えるっすよ」
「水が豊富な土地なのね。強い気配を感じるわ」
 二階から降ってくる声はステラのものだ。彼女の足元で、水の怪物ウィカチャが「ぶにゃー」と不機嫌そうにひと鳴きする。いつもあんな鳴き方をするので、本当に不機嫌なのかどうかは不明だ。
「水は殆ど地下に埋蔵されてるっす。活火山に近い所はマグマで温められてるっすから、その辺を適当に掘ると温泉に入れるっすよ」
「え? 温泉あンのか!?」
「学校の周りもその手の観光名所ばっかりだったじゃないか」
 確かに、あのあたりは余りにも数があり過ぎて逆に寂れが目立つほどの名所だった。学校が建設されてからは、周囲数キロが限界警戒区に指定されて、地元民も立ち入り出来なくなってしまったが、それまではそれなりに観光客の脚があったのだ。
 〈ノウア〉があちら側での火星に、〈バイオ〉が地球に準ずるというのなら、詳細な地域も対比していると考えるべきで、それはつまり、モニターに映るこのエスペランサ・フォレストが学校のあった地区なのだいうことになる。
 学校周辺が温泉地だったのだから、この辺りに温泉が湧くのも当然だ――と、四道は言っているのだ。
「じゃ、もしかして火山ってのは、阿蘇山?」
「そういうこと」
「島、って……」
「九州」
「…………妙な感じだ」
 むう、と三好が唸った。
「広大な森を育める豊かな大地と、豊潤な水、地下に蠢くマグマの炎に、吹き下ろしの風……。エスペランサ・フォレストは自然条件が整った稀有な土地だ。オズマがここに腰を据えておるのは、偏りなく陰陽を纏うこの土地から気を食み、自らの裡に取り込んでおるためだ」
「なんのために?」
 四道が尋ねる。
 マムはこれに、「消えぬためだ」と務めて穏やかに返した。
「オズマはこの地に残っておった旧時代の遺跡、つまり兵器を身に取り込み、兵器に搭載されていたコンピュータで〈ノウア〉の現在位置を割り出し、己の力を使ってモンスターを〈ノウア〉へ送り込んでおる。したが、〈バイオ〉から〈ノウア〉までの道のりは遠い」
「平均で約七千八百万キロだね」
「うむ。それをモンスターに踏破させるためには相当量のエネルギーが必要だ。オズマはそれをなんとか捻りだしておるが、妾達の力というのは己の存在力と同意義である故、使い過ぎると己が消滅するのだ。それを免れるため、オズマは土地の気を喰む。自然界のエネルギーは妾達の存在を安定させておるエネルギー波に似ておるからの」
「人間の精神エネルギーが環を描いてエネルギーを循環させると、パーソナルフィールドが発生する――という理論を学会で発表しましたが、ガーディアンは肉体の代わりにそのパーソナルフィールドで己を保っているのでしょうか」
 これはブライアン。ステラの右隣に立つ彼は、四道の傍に控えるマムに向けて問い尋ねた。
「ほぼ合っておる」
「なるほど……」
「そのあたり、一度じっくり講義を受けたいな。是非とも講師は二人で」
「いいですね、それ」
「よかろう。戻ったら、の」
 優しく緩んだマムの視線がモニターへと移る。
 森を頂点から見下ろしていた画面は、いまはすっかり変わって巨大な樹木を真横から映していた。
 ゴン、という、重い振動。
「着陸しました」
「機体を固定しろ。お前たちは直ぐに準備を」
 前半を操舵班のエスに、後半部をシュリ達に向け、セラフィムが艦長席を立った。


 入念に支度を終えて、エルグランドのタラップを踏み終えると、そこにはすでに全員が揃っていた。タラップを囲むようにひと塊りになった彼らは、思い思いの相手を捕まえて出撃前のわずかな時間を共有している。
「ちゃんと気をつけなさいヨ、ステラ! アナタときどきボーッとしてるんだから!」
「ありがとう。きっと大丈夫よ。ウィカチャもいてくれるんだから」
「ぶにゃぁ」
「……まァ、頼りになるとは思うケド」
「私のことよりも、ここに残るみんなのことをお願いね。ブライアンも、十分気を付けて」
「君が向かう場所に比べればここは遥かに安全だ。私たちのことは気にせず、何が何でも帰ってきて欲しい」
「ブライアン……」

「なーんだよ、タカ。おまえ緊張してるのか?」
「うるさいな。ヴィクスには関係ないだろう」
「関係あるに決まってるだろ。緊張し過ぎると体が固くなってロクに戦えなくなるからな。――お前の銃はみんなが頼りにしてるんだ。頼むから、自分を見失うなよ」
「それだけは、絶対に、ない」
「その調子なら問題なさそうだな」

「さみーな、お前は寒くないのかよライト」
「ミッションであちこち行くから慣れてる」
「オレ、寒いのはダメなんだよなー」
「いつも暑苦しいから、寒いくらいで丁度いいんじゃないの?」
「なにぉう!?」

 務めて気配を圧し、彼らの間をなんなくすり抜けていくと、タラップから真っ直ぐ進んだ一番遠い場所にセラフィムが立っていた。
 彼の隣に立つ。
 背の高い彼の横顔を見上げると、いつもは表情の薄い面に、なにか感情めいたものがやんわりと浮いているように見えた。だが陽炎のように揺らめくそれを、的確には掴めない。ただ彼の感慨だけが海波のようにさざめいている。
 真っ直ぐと逸らされることのない瞳はいったい何を見ているのかと、彼の視線の先を辿ると、そこには真円を描き、燃えるような色を讃えた月と、白い帯状に煌めくミルキーウェイがあった。
 森の向こう側から宇宙へ、柔らかな弧を描いて伸びるミルキーウェイは、こうして見ていると本当に天の川のように見える。あの白虹のような帯の裾に、オズマという最強の敵がいるとは考えられないほど綺麗だ。白い色が、いっそのこと清々しいまでに。
「逃げるかと思っていた」
 セラフィムの低くてよく響く声が、シュリの耳朶を優しく叩いた。
 声音にはシュリを責めるようなものは一切聞き取れない。彼もまたシュリの心中を察していたのだ。
「……いまでもまだ逃げる理由はあるよ」
 そこで初めて彼の視線が動く。顔の向きはそのままに、瞳孔だけがこちらに。シュリを睥睨する彼の蒼白い瞳は、宇宙から見た〈バイオ〉にどことなく似ていた。
「でも今は逃げない理由もできたから」
 まっすぐ、ミルキーウェイを見つめる。オズマに続く、白い道を。
 セラフィムの返答はない。代わりに背後からブライアンの声がシュリを呼んだ。振り返るとステラたちがこちらへと歩を進めており、ヴィクスや三好たちが彼らを見ていた。
「大きな戦力にはならないだろうけれど」
 と、前置きしたブライアンが、両掌に大事そうに包んでいた物を差し出す。
 大きさは直径一センチほどのボールだった。いや、たかが一センチではボールと呼べるほど大きくもないだろう。せいぜいビー玉程度だ。それが全部で五つ、金属製で、繋ぎ目が模様のように見える球体だ。全体をもっと大きくすれば、完全に《ホグス》になる。
「これは……?」
「《ホグス》を携帯可能なよう改良したものだよ。小さくなった分、持続時間が極端に短くなってしまったが、威力は十分だ」
「短いってどのくらい?」
 四道の問いに、ブライアンは短く「ほんの数十秒だ」と答える。確かに短い。
「それから、使えるのは一度きり。出力を上げるとどうにもね……。まだまだ改良の余地は多いが、いまはここが限界だ」
 ――そうか。これは、彼のせめてもの想いなのだ。
 これまでずっと彼はステラが女王であるがためにあえて彼女から一定の距離を保ち続けていた。それが女王監禁事件を経て、ようやく傍近くにいられるはずだったのに、ステラ自身が望んでこれからオズマの討伐に向かう。
 クリスタルキューブを持たないブライアンは、彼女に同行することはできない。
 彼はまた待たされるのだ。
 この小型《ホグス》は、そんな彼のせめてもの想いなのだ。たった一度きりで、ほんの短い限られた時間内であろうとも、元女王ステラを守りたいという……。
「ステラを頼む」
 そう言ってブライアンは一歩踏み出し、シュリに《ホグス》を差し出した。
「――…」
 果たしてそんな重要な物を、受け取っていいのかどうか。
 迷い、シュリは逡巡した。
 ヴィクスやライトにすら気付かれるほど長く、シュリはしばし硬直していた。
 これから向かう先はオズマの聖地。これまで何人もの軍人が息絶えた土地だ。
 使い方次第では十分戦力になるだろう《ホグス》を、生かすか殺すか、それは使う人間次第になる。タイミングを誤れば、約束も果たせないだろう。
「どうして、私に」
 オズマ討伐の中で一番の責任者はヴィクスだし、戦闘経験だけを見ればライトの方が上だ。四道だって三好だっている。なぜ自分なのか。
「君は人の心を察することに優れている。それはつまり状況を把握する能力にも優れているということだ。一日、数日、訓練したところで身につく能力ではない」
 日々の努力の賜物だよ。
「君ならどんな混乱に陥っても冷静に状況を分析できるだろう。場合によっては不利な状況を《ホグス》で丸ごとひっくり返すことすらも出来るかもしれない。これを君に託すのは、一番確実な相手だからだ」
 頼むよ、と告げたブライアンの懇願は、痛ましいほど深かった。
 そろそろと手を伸ばし、《ホグス》を掴んだシュリの手を、ブライアンがぎゅっと握る。託される。
 ダイレクトに流れ込んでくる彼の想いに、言葉は無用でしかなかった。言語は音によって想いを形にできるが、単語の些細な解釈の違いによって小さくはない誤解を生む。こうして、手のひらの温かさから想いが読み取れるのなら、もう言葉は必要ない。
 交わされる無言の約束。
 シュリは《ホグス》とブライアンの願いを引き取り、ぽんぽん、と強く、彼の肘を叩いた。
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