MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【56】
 世界規模の食糧危機に見舞われたあの国は、より確実に未来を繋ぐため国民の大半を切り捨て一部を優先するというノア計画を施行した。それによって選抜された一部の少年少女たちの未来は保証されたが、彼らの出身地では食料の配給が停止され、遺された人々は自力で食料を得なくてはならなくなってしまったのだ。
 いまだ混乱が続くあの国で、自力で得られる食料は少ない。誰かが「選抜」されるということはつまり、残される人間にとって死刑宣告も同然だった。
 だが自力で生き延びれる可能性が潰えたわけでもないのだ。事実、シュリたちがこちらに来る直前までは、選抜された地域の約半数にまだ存命者が残っていた。
 だがシュリの故郷は高齢者が五割を超える超高齢地区で、体力的な問題から長くはもたず、入学してほどなく経った頃、担任教師から全滅の通告を受けた。
 つまり「誰もないない」とは、故郷に戻っても家族も誰も残っていない、ということだ。
「私には守りたいもの、あちら側にはないんだなって思ったら、オズマと戦うのが急に怖くなったの」
 怖気づいたんだよ、と、自分の感情を言葉でなぞる。
 オズマは危険だと、最初から分かっていたことだ。理解し、そのうえでシュリはオズマ討伐を提案した。――はずだった。
「……覚悟が足りてなかった」
 覚悟の決め方を教えて貰ったはずなのに。なのに、生かし切れていない。それも悔しい。
 彼女が遺してくれたものは何一つ無駄にする気はないのに、意志に心が伴わない。より濃くなった死の気配に、進めと命じる意志に反して体が拒絶反応を起こしている。足が竦む。怖気づいたのは、何よりも心が足りていなかったせいだ。
 情けない。
「一木さん……」
「大丈夫だよ」
 笑い顔はちゃんと作れただろうか。
 気遣ってくれる彼らをその場しのぎで安心させるために造形したのではなく、本当の大丈夫を伝えるための笑顔は、きちんと彼らに届いただろうか。
「ほんとうに大丈夫。さっき三好君が言ってたでしょ、もう行くしかないって。その言葉で覚悟の欠片を分けて貰えたから。。……あんなこともあるんだね。誰かの覚悟が、同じ志を持つ人の覚悟を引っ張ってくれるようなことが」
 三好の言葉がシュリの腕を引き寄せてくれたのだ。
 おかげで一歩、踏み出せた。
 あの感覚を何と例えて二人に伝えればいいだろう。
 一歩踏み出す勇気を分け与えてくれたことに感謝するこのあたたかな気持ちを、ぬくもりをそのまま伝える言葉を、シュリは知らない。だがこれだけは確かだ。
 三好も、四道も。この場にはいない二の宮も、もう他人のようなクラスメイトではない。仲間、なのだ。
「それに私の故郷に誰もいなくても、三好君や四道君のところはまだ誰か残っているんでしょう? もしかしたらそれは二人の家族かもしれない。だったら私にも戦う理由はあるよ」
 天秤の片方に「シュリの故郷の人々」だけを乗せるから偏ってしまうのだ。「〈ノウアスフィア〉の平和」と「地球の平穏」、「仲間の故郷を守る」、そんな理由を追加すれば天秤は均衡を保ち、オズマと戦う十分な動機になる。少々大仰で、規模が大き過ぎる理由が混じっているが、この際理由なんて何でもいい。
「あんな父親、どうなろうと知ったことじゃないけどね」
 憎まれ口をたたいた四道は、しかし数秒後、ふと表情を改めた。
 前後に脈絡の掴めない、突拍子もない切り出しだった。
「……あのさ、一木さん。僕の夢は、宇宙飛行士になることなんだ」
「はぁ!? オマエが!? 宇宙飛行士!? ジョーダンだろ、オマエがそんな可愛い夢持ってンのか!?」
「うるさいな、他人に話すのは初めてなんだからからかうなよ!」
 黙っておけと三好を怒鳴りつける四道の耳は真っ赤だった。人間の肌とは思えない変色具合はクレヨンか絵具で塗り潰してしまったかのようだ。
「きっかけは些細なことだったんだけどね!」
 三好を強引に黙らせた四道は、ごほん、とわざとらしく咳払いをし、相変わらず頬を染め上げたまま続けた。
「僕の母親が死ぬ間際に言ったんだ。死んだ人間は星になるんだって。僕が四歳のときだ。聴いたそのときは、そんなわけがない、宇宙の星のほとんどはガスの塊だろって思ってたけど」
「さすが、可愛げのねぇガキだな」
 ゴッ!
 余計なひと言に制裁が入った。いまのは三好が悪い。
「けど、子ども心にどこか本気で信じていた部分もあって……。七歳か、八歳だったかな。いや十歳? ともかく、小学生のころ、父にそれを言ったんだ。宇宙飛行士になりたいって。そうしたらなんて言ったと思う? あの馬鹿親父……!!」
 四道の拳に力が入る。
 その隣で、鉄拳を見舞われたばかりの三好が首を竦めた。
「宇宙飛行士なんて前時代的なの職業だの、予算不足で宇宙開発業には未来がないだの、さんっざん言ったあげく、お前は政治家になれ! だ!! まったく、いま思い出しても腹が立つ!! けっきょく自分の理想を押し付けたいだけなんだよ、あいつは!!」
 大迫力だ。怖い。
「――ということで、父の本性を見せられてね。それに猛反発した僕は、なにがなんでも絶対に宇宙飛行士になってやるって硬く決意したんだ」
 なるほど、その反骨精神はいかにも四道らしい。意固地と頑固が相まって、頑なに夢を貫き通す、その後の彼の姿が目に浮かぶ。
「だから宇宙物理に詳しかったんだね」
 四道は理数専攻だ。母国語、グローバルカバー言語の他にもロシア語が堪能だと、何かの拍子に知ったことも思い出す。どれも宇宙飛行士には必要な教養だ。
「そう。本当は高校で留学するつもりだったんだけど、あんなことになっただろう? とりあえず大学まで保留にしていた」
 あんなこと、とは、世界中を巻き込んで勃発した深刻な食糧不足のことだろう。あの一件で人生を狂わされた者は少なくはない。餓死した人間も大勢いる。その中で留学など、よほどの事情とコネがなければ無理だっただろうし、シュリ達は「選別」によって選ばれたたノア計画の代表者だ。国外へ出る許可など降りるはずもなく、岩よりも固い決意を胸にした彼でも手の打ちようがなかったのだろう。
「だったら良かったじゃねぇか。いま外はちょうど宇宙だぜ? 異世界の、だけど、まぁ大して変わんねーだろ」
 夢は叶ったじゃねぇか。
「そう言えなくもないね。……まあ、いまはとりあえずどうでもいいけど」
 三好に同意し、四道は声音を改めた。少し表情が沈む。
「いま考えると、あの時の僕はただ父に認められただけなんだと思う。あの人にとって僕はつねに『父の子』であって、僕という個人ではなかったんだ。僕はそれが憎かった。もちろんいまも。ただ――何と言うか、人間はそうやって相互干渉する生き物だと思うんだ。地球の引力によって月が地球を離れないみたいに、月の引力で潮が満ち引きするみたいに、影響し合って、良かれ悪かれ変化をもたらす。僕の決意もある意味、父の影響だ。あいつがいなければこの世界の本質に気付くことはなかったかもしれない。……だけどやっぱり、僕にとって父は最悪だった。逆に、一木さんにとって僕らが良い影響を及ぼしたというのなら、それは凄く嬉しいよ。僕たちも一木さんにはいろいろ助けられたからね」
「オレもかよ」
「違うのか?」
「いや、違わねぇ」
「だろう? 一木さんが言いださなきゃ、僕たちはオズマ討伐なんて大胆なこと始めなかったよ。そしてたぶん、歳をとってから凄く後悔したと思う。どうしてあのとき何もしなかったんだろう、って」
「そーだな」
 両足の間で組んだ手のひらに目を落とし、三好が神妙に頷いた。
「逃げようとしてたからな、オレら」
 無言で四道が首肯する。
 二人の沈黙は短かったが、無言で交わされる過去への回想は膨大だった。空気を媒介に伝わってくるのは小さな後悔の積み重ねだ。仄かに色づく恐れは、未知の世界〈ノウア〉に対するもの。激しい遺恨は二の宮の面影に向かって真っ直ぐ伸びている。
 地球からここに至るまでの道程を、回想でほぼ踏破した二人は、不意に視線を重ね、浅く苦笑した。彼らのその微々たる笑みには見覚えがあり、シュリはまるで鏡を見ているような気分になった。
「ひとりじゃ逃げ出したくなるようなことでも、まとめてかかれば何とかなるってことだろ。いいじゃねぇか、オレは好きだぜ、チームプレイ」
「僕は嫌いだ」
「私も苦手」
 パスだとかトスだとか、あの辺がどうも駄目なのだ。タイミングも合わないし、力加減も儘ならない。だが呼吸の合わせ方だけはどうにか覚えたらしい。
「息ぴったりじゃねーか」
 笑わせんなよ。
 三好が破顔し突っ込む。シュリと四道はちらりと視線を交えると、ふっと口の端を持ち上げ、笑った。
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