MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【55】
 形ばかりの艦長に就任したセラフィムから全員にあてて招集がかけられたのは、〈バイオ〉へ向かう工程の半分弱を消化したあたりだった。
 特にやることもなく、宛がわれた自室でぼんやりしていたシュリは、メッセージが表示された《ポータル》を閉じ、エオリアを伴ってすぐに集合場所のブリッジに向かう。途中、三好と合流して歩調を合わせることしばし、建物三階分を吹き抜けにしたブリッジに到着した二人は、前方スクリーンに大迫力で映し出された宇宙空間に、奇妙な光の筋を見た。
 白光の道筋だ。ときどき、玉虫色の光を返す。銀河の帯――天の川をもっと密集させたような光の道だが、天の川にしてはずいぶんと距離が近い。
 巨大スクリーンの中点から左端へと伸びるそれは、このエルグランドに向かっているようにも見える。
「何だ……?」
 呻いた三好の声に応えたのはヴィクスだった。シュリ達の後から到着した彼は、スクリーンを見るなり顔を顰める。
「こりゃマズいな」
「なにがマズいんだよ」
 三好に問われ、彼はしばし唸った。おそらく難しい解説になるであろうそれを、通称『ジンサイズ』に縮小しているのだろう。数秒だけ考え込み、声の調子もやや落とし気味に説明を始めた。
「オズマは〈バイオ〉に残ってる昔の機械と合体してめちゃめちゃ強くなったって、ずいぶん前に話しただろ。もう何百年も前の、人間が〈ノウア〉に移住した直後あたりらしいが」
「ンな話し、したっけか?」
「かなり前にな。――んで、その機械使って、オズマは〈バイオ〉のモンスターどもを〈ノウア〉に送ってきてるわけだが……、これはそれの前兆だ。この白い道を通って、モンスターが〈ノウア〉に乗り込んでくる。オレ達はミルキーウェイって呼んでる」
「それ、天の川のことじゃねぇの?」
 織姫と彦星の。
 と、三好が付言するが、それは地球で、日本での呼び名だ。ここでは意味もニュアンスもまるで異なるのだろう、ヴィクスが渋い顔をした。
「お前たちのとこでどういう意味なのかは知らねえが、〈ノウア〉じゃミルキーウェイって言ったらいい顔はされないな。不幸の前兆、悪魔の飛来だ」
 吐き捨てたヴィクスは表情を更に険しくし、モニターに見入った。
 シュリもそれに倣い、最上階の艦長席に座るセラフィムが、なぜ全員をここに呼び集めたのか、その理由を考える。考え込んだシュリの脳裏には、恐怖する〈ノウア〉の民の悲鳴が響いていた。
 〈ノウア〉に残存するモンスターにだけでも手を焼いているというのに、そこに〈バイオ〉から新たなモンスターが追加されるのだ。ブルーコート、特にプラタの面々は当面、あちこちに派遣されるだろう。予備兵にも召集がかけられるはず。だが、プラタでも生え抜きだったヴィクスやライト、それにセラフィムを欠いた討伐隊で、果たしてどこまで対応できるだろうか。
 それに現在の〈ノウア〉は、女王の一件で少なからず混乱のさなかにある。政府も対応に遅れをとるかもしれない。もし対応の遅延で死者数が増加すれば、シュリ達は少なくともダースマンには恨まれるわけだ。
 何より問題なのは――。
「このミルキーウェイは、いつ〈ノウア〉に届くの?」
「およそ五日、長くて十日」
 セラフィムの低い声が、いつも通りの心地よさで響いた。声音には一切の気負いも感じられないが、返答の内容は深刻だ。
 五日から十日。その日数は、シュリ達が〈バイオ〉に到着し、オズマが棲息する森を突破してオズマを倒す、としている時間とほぼ同数だ。
「つまり、ギリギリ間に合うか間に合わないか」
 セラフィムの隣のライトが肩をすくめた。
 間に合えばそれでいい。オズマによる〈ノウア〉の襲撃は阻止され、〈ノウア〉の悲願も果たされる。
 だが間に合わなければ結果は最悪だ。
 シュリ達がオズマ討伐に失敗した場合、反撃出来るような戦況でないと判断されれば、生き残った人間は即座に〈ノウア〉に戻る計画を考慮していた。あれだけ大々的に宣言して倒せず戻ってきた、では体面が悪いが、命あっての物種、その後の〈ノウア〉のためにも、優秀な戦士はひとりでも多く生き残っていたほうがいい。
 しかしこの現状で敗退すれば、定期的にモンスターが送られるというこのミルキーウェイすらもシュリたちの責任にされかねない。実際、オズマさえ倒せばミルキーウェイも防げるのだから、それは事実だといっても過言ではないだろう。
 結果、〈ノウア〉の人々は、「今回のミルキーウェイはあいつらのせいだ」という結論を打ち出す。冷静かつ客観的にみれば突拍子もないが、モンスターの来襲で混乱する人々は怒りの矛先をシュリ達に向ける。
「もしオズマを倒せずに帰ったら、ウチらは袋叩きっすねー」
 緊張感の欠片もなく、ニナ。二階の端に設けられたメインオペレーター席に座っている彼女は勢いに任せて回転式のイスをぐるりと一周させた。
 〈ノウア〉の人々にとって、シュリたちは「女王官邸を襲撃したテロリスト」で、「大切な女王陛下をかどわかした極悪人」だ。たおやかなステラが女王という枠組みを越えてアイドル的な存在であったがために、テロリストたちに対する反発は相当に大きい。そこに、「オズマを倒せなかった」「ミルキーウェイを防げなかった」などの要素が加われば、世紀の大悪党も夢ではない。
 それに政府にはダースマンが控えている。こんな弱み、あの男が見逃すとは思えない。混乱状態の〈ノウア〉をひとつにまとめるため、間違いなくシュリたちを疑似敵に祭り上げるに決まっている。
「さもありなん。したが、仕切り直しも利かぬであろう」
 マムの言う通りだ。
 今回は不可能と諦め、いまからでも〈ノウア〉に帰ることは出来るが、出来るだけだ。五日から十日が過ぎてミルキーウェイが〈ノウア〉に届けば、結局、極悪非道のテロリストというレッテルを貼られるのだ。全員が投獄や監禁、監視の憂き目に遭えば、全員が再び集合することも難しく、結果、オズマ討伐そのものも諦めざるをえなくなる。
 退路が完全に断たれてしまった。
「じゃー、アレだな。なにがなんでもオズマをぶっ倒さねーとな」
 至極明るい声音だった。
 いや、シュリの耳にだけそう聞こえたのかもしれない。三好にとって、それは当り前の、いつもの短絡的な結論だったのだろう。ただシュリには、それが天の啓示に聞こえたのだ。目の前がぱっと拓けた――そう感じた。
「さっさと倒しちまおーぜ。んで、とっとと帰りゃ、誰もモンク言わねぇだろ」
「相変わらずバカだな」
「なんだと、ゴルァ!」
「――でもま、たまにはバカもバカなりにバカな発言以外も出来るじゃないか」
「バカ言うな! 四回も言いやがって!」
「タカって素直じゃないのネー。イイこと言うなーって、フツーに褒めたげればいーじゃん」
「バカはしょせんバカだ」
「でもいま、前向きなのはイイことだーって思ったでショ」
「…………」
「図星ィー」
「私もジンに賛成だわ。いまからあれこれ考えてももうどうしようもないもの。後に引けないのなら、気持ちを切り替えて進むだけよ」
 賛同の声が次々と挙がり、全員の意志が確認される。そこにシュリの意見を挟む余地はなく、成し崩すように今後の方針が決定されると、その場は誰が言い出したわけでもなくお開きとなった。
 その流れに逆らわずブリッジを出たシュリは、ぼんやりを継続したまま居住区の一画に設けられたテラスに入った。カフェを兼ねたその場所は、オープンスペースに大きな窓が設けられていて、お茶を片手に外の景色が楽しめるよう設計されている。エルグランドが通常運行されていればそれなりに賑わっていただろうが、必要最低限の人数で航行する現在のエルグランドにはカフェに割ける人員などいるはずもなく、必然的にテラスには人影などまるでない。
 しかしいまはそれが幸いだ。
 手近にあった一人掛け用のソファに身を崩し、長く息を吐いて瞼を閉じる。
 右耳の後ろあたりで、きゅぴ、と心配げなエオリアの声が聞こえたが、あえて無視した。
 発声するのが億劫だった。重く打ち沈む心を少し整理しようと、胸元から連なった二人分のドッグタグを取り出す。
 予備兵に登録した際に、インカムや《ポータル》と一緒に支給されたものだが、形はシュリが知っているものと異なっている。平たいプレートに必要最低限の情報が文字で書きこまれた地球製とは違って、〈ノウア〉のドッグタグは石柱状のネックレスだ。五ミリにも満たない直径に、高さはほんの一センチ程度。水晶に似た光を反射する小さな記憶媒体には、名前や所属、住所、顔写真や略歴まで埋め込まれていて、内容を確認するには専用のインターフェースが必要だ。
 改めて中身を見たいとは思わないが、片方にはシュリの、もう片方には二の宮の名前が書き込まれている。
 あのとき――二の宮がレーゼンメーテルに呑み込まれる瞬間、咄嗟に伸ばしたシュリの手が辛うじて掴んだものだ。
 本来なら殉死者の家族に手渡されるべきなのだが、この世界に二の宮の家族はいない。元の世界にこのタグを送り込めたとしても、彼女の家族はどこに住んでいてどういった人物なのかまるでわからないので送り様がないのだ。
 シュリの二の宮との付き合いが家族にまで至らなかったのも理由だが、そもそもあの「学校」に集められた生徒は、本来故郷に配給されるべき食料を食べているという罪悪感から、故郷や家族の話をタブー視していた。自分の過去を話す生徒は誰ひとりいなかったし、生徒たちの身元は学校側も秘匿していたので、生徒たちはお互いに互いの出生を画し易かったのだ。道徳的対応として一部偽名を名乗ることを許された生徒もいた。
 案外、二の宮も偽名だったのかもしれない。「苺」と書いて「マイ」と読む、漢字の字面が、なんとなく彼女が好きそうだな、と思う。
「それ、マイのタグか?」
 三好だ。
 瞑目する瞼を持ち上げ、カフェテラスの入り口を見やると、四道と三好が心配そうにこちらの様子を窺っていた。
「……うん」
「……ずっと持ってるのか」
「置いてくわけにはいかなかったしね」
 ヴィクスに急かされるままにオーキッドの寮を出てきた。元々、地球からここへ来た時も持っていたのは制服くらいだったから、あの時も持ち物にさして困らなかったのだが、これだけはどうしても置いていけなかったのだ。
「様子がおかしかったのは、それのせい?」
 四道が首をかしげる。
「おまえスゲー変だぞ」
 同じく三好。
 正直、驚いた。まさか二人にそれを指摘されるとは……。
 以前の彼らは、シュリの極微な変化など気にも留めなかっただろうし、そもそも気付きもしなかっただろう。彼らに非があるのではなく、シュリの表情の変化が絶望的に乏しいせいだ。それでも家族には十分通用していたし、特に親しい友人を作ろうとも思わなかったシュリにとって、「何を考えているのか分からない」と敬遠されることは、煩わしさの解消になりはすれど、寂しいと落ち込む理由にはなりえなかった。なにかと都合が良かったのだ。
 人間のぬくもりを求め、寂しさを募らせたユリアという少女が、あるいはシュリであったなら、現在の〈ノウア〉はなかっただろう。
 浅く苦笑し、別に、と答えようとして止めたのは、シュリの表情を探る彼らの目が真摯だったからだ。本気で心配してくれている。なんとなく、二の宮を思い出す。
 口からでまかせを言ったところで彼らは信じてくれないだろう。それほど、彼らはシュリの情感を見抜いている。それも、無理ないのだ。地球からここまで、それだけの時間と出来事を共有してきたのだから。
「オズマを倒す――なんて、馬鹿だよね」
「あ!?」
「だってオズマは〈ノウア〉の人たちがもう何百年も倒せずにいるんだよ。そんなのに挑もうなんて、無謀だよ」
 なによりもリスキーなのだ。
 シュリ達が向かう先はオズマの聖域だ。多くのブルーコートたちが戦いを挑み、そして果てていった。その中には元軍人のイーサンに天才と言わしめる少年と仲間たちも含まれている。シュリ達もそうならないという保証はない。
 だが、果たしてシュリたちに代償を覚悟してまでオズマと戦う理由はあるのだろうか。
「言いだしたのオメェだろ」
「――うん。でもマムがオズマ討伐に参加してくれるって言ってくれたとき、本当にオズマを倒しに行くんだって思ったら、ちょっと冷静になったのかな。――オズマを倒せば〈ノウア〉の人たちはレーゼンメーテルを使う理由がなくなって、地球への悪影響もなくなる……それは分かるけど」
 〈ノウア〉の民はオズマの存在そのものが最悪の問題なのだが、シュリ達にとって一番深刻なのはレーゼンメーテルを使用されるたびに発生する重力子の次元移動だ。〈バイオ〉で消えた重力子は三次元世界を抜け出て五次元へと到達し、シュリ達の故郷である三次元へと辿り着く。その質量が地球に作用し、地震や豪雨などの天災を引き起こす。その災害によって命を落とす人々は、必ずしも少ないわけではない。規模によっては百、万単位で数えられる場合もある。
 この事実を知った段階ではまだ知らぬ顔も出来ただろう。しかし、地球への帰還が叶い故郷に戻れたとしても、テレビで各地の自然災害のニュースを見るたびに〈ノウア〉を思い出すのだと考えただけで苦かったのだ。
 帰れず、このまま〈ノウア〉に留まったとしても、今度は逆にレーゼンメーテルが使用されるたびに故郷を心配しなくてはならないのだ。
 ひとはそれを後悔と呼ぶ。
 後悔すると分かっているのなら、後悔が少しで済むように、いま出来ることをしよう。――そう考えて、オズマ討伐を提案した。
 だが冷静になって、気付いたひとつの事実。
「でも私の故郷、もう誰もいないの」
 諦観の声音で告げると、三好と四道の表情がぴたりと固まった。
<< back   top   next >>
Copyright (c) 2003 - 綿子 All Rights Reserved. Since 2003.04.23.