MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【54】
 潮を含んだ爽やかな微風。
 燦々とそそぐ天上の光輝。
 等間隔で配置された樹木と、陽気な音楽に、はつらつとした表情の住人たち。
 活気があり、一方で穏やかな、臨海都市ウルトラマリンは――本日。

 ドカ――――――――ンッッ!!

 ど派手な爆音と、爆発の衝撃で跳ね上がった水飛沫により、安穏とした日常を壊されてしまった。
 第三副都市とも言われるウルトラマリンの大部分を占める軍港の一画から、もくもくと白い煙が上っていく。
 突如、町中に轟いた爆発音に驚き、互いに顔を見合わせていた住人たちは、その「目印」を見つけ、ある者は指を指し、またある者は大声で知人を呼び招いた。
 もくもくと煙り立つ粉塵の中から、戦艦の船首がのそりと出てくる。なんとなく鯨の頭めいた船首だ。バランス、飛行制御を請け負う両翼は鳥よりも魚に近く、後部では尾翼の代わりに巨大な推進装置が六つもつけられている。全体を赤よりもくすんだ蘇芳色に、要所を白練に塗ったその巨大戦艦が、先日新造されたばかりの戦艦エルグランドであると気付いた者は、果たして多かった。
 住人たちは声を張り上げ、他の住人を呼び込み、異変を告げる。
 町人たちの動揺は、軍の敷地との境界を跨ぎ、エルグランドが格納されているドックの警備に当たるブルーコートたちにも届いた。
 現場の指揮を任された管理職の男が、水平線に向かってはばたこうとするエルグランドの背を追いかけ長銃を構える。だがこんな弱々しい火力では弾が届くはずもない。構えた筒を下ろし、左腕を大きく振って男は部下に命令を下した。
 即座に発射されたのはホーミング機能のある対空砲だ。対象であるエルグランドを追いかけ、爆発したものの、しかし仕留めるまでには至らず、戦艦はさらに速度を上げた。
 手持ちの武器ではまるで歯が立たない。
 それもそのはず、エルグランドは現在の技術の粋を集めて造られた最強の戦艦だ。二年後に完成予定されている新型レーゼンメーテルを搭載するつもりで設計されているので装甲強度が上げられているのだ。また、戦場からの素早い離脱を可能にするため巨体には見合わぬ速力が与えられており、大気圏内ではあの女王専用艦プリマヴィスタに劣るものの、宇宙空間での最大速力は他の戦艦の追随を許さない。
 とはいえ、まだエルグランドは大気圏内だ。他のドックに収容されている戦艦を急ぎ起動させれば、あるいは追いつけるかもしれない。
 だが――その先はどうする?
 追いつけば間違いなく戦艦同士の砲撃戦になるだろう。そして、軍港に格納されているいずれの戦艦は、最強と謳われるエルグランドに敵うはずがない。
 エルグランドを強奪した連中が何者かは知らないが、準二級指定されたウルトラマリンの警備を掻い潜り、軍の敷地に入る際のチェックも、軍の敷地内に張り巡らされた警備システムの網すらをもすり抜けてしまうような周到な連中であることだけは確かだ。目的はさておき、エルグランドの速力と攻撃、防御力を十分に考慮したうえでエルグランドを狙ったのだとすれば――エルグランドを奪われた時点で、こちらに勝ち目はないと思うべきだろう。
「どうします!?」
 対空砲も効果がないと察した部下が声を荒げる。
 だが、どうしようもなかった。
「……攻撃中止。本部に連絡しろ」

 ウルトラマリン軍港の警備担当をするブルーが攻撃を諦めたことをニナが告げると、エルグランドのブリッジには歓喜が沸き起こった。
 これでようやく、ここに至るまでの苦労が報われたというわけだ。
 IDチェックを抜けるため巷間に顔が知られている女王を化粧とかつらで変装させた上、ニナと女王補佐官とで「仲良し女四人旅」などを演出して見せたり、ブライアンが三好や四道と「出来の悪い弟とその友人との旅行に保護者で付き添い」を演技して見せたり、ブルー内で有名だったため変装も通用しそうにないセラフィムやライト、ヴィクスが、ニナ作「排水管まで知り尽くしている地図」でこっそり――苦労はごっそり――ウルトラマリンに浸入したり、エスの皆さんもそれぞれ分散して貰ったり。
 潜入後は軍の敷地に入るため観光客を装ったり、ナンパの連続で遅れて到着したマムに基地内のセキュリティを切って貰ったり、見張りのブルーに見つかった後は銃撃戦をしたり。迷路のように入り組んだ基地を進み、エルグランドが格納されているドックにやっとの思いで辿り着いたり。
 ここまでの苦労が、ようやく報われたのだ。
 ――だがまだここは、通過点のひとつに過ぎない。
 瞑目していた瞼をそっと持ち上げ、シュリはエルグランドのブリッジに目を巡らせた。
 ブリッジは一階から三階までを吹き抜けにしたホール状になっており、進行方向に向かって操舵席やオペレーター席などが用意されている。席の数は十にも満ちておらず、その全てに、シュリ達に協力を約束してくれたエスの面々が座っている。
 一番高い場所、三階部分の艦長席にはとりあえずセラフィムに座って貰っているが、これは単なる形式だ。集まったメンツのなかで、彼が一番艦長らしい威風を放っていただけであって、実質的な指揮は殆どシュリの決定が採用されている。いわばお飾りだ。
 それでも、最も高い場所にそれらしい人物がどっかり腰を据えていると、艦内の緊張もほどよく保たれるというもので、歓声に踊ったブリッジは、しかし気の緩みを一瞬だけに留めると、即座に次の行動――〈ノウア〉の重力から逃れるべく、エルグランドの出力を上げ、大気圏脱出体勢への移行手続きを開始した。
 セラフィムが見つめるブリッジの前面――つまり進行方向の壁は、外にカメラが仕掛けられているのか、あるいは壁が透けているのか、海と空とが大きく映し出されている。
 海は、ウルトラマリンの沖合だった。
 水面が青風に撫でられる。
 寄せる波、白く泡立つ。
 波間に見えた水魚のガーディアン。
 空を泳ぐ薄花桜のエオリア。
 浮かぶ白練りの雲と。
 注ぐこんじきの光。
 それらの間隙を、速度を上げながらエルグランドが進んでいく。
 すべてが、戦闘巡洋艦ストラトスで〈ノウア〉にきたときとは、逆の方向で――。あの時の時間を巻き取っているかのように、全てが逆巻いていた。目的地も、あの時とはまるでさかさまだ。気持ちも違う。ヴィクスたちに連れられされるがまま〈ノウア〉に来た自分が、今度は自らの意思で〈バイオ〉に向かっている。
 クリスタルキューブも育った。
 ガーディアンを得て、新たな力も授かった。
 仲間をひとり失った。
 成長のひとことで全てを一緒くたにするには、少し、多くの出来事がありすぎたと思う。
「準備できたっすよ!」
 ブリッジの二段目の端でニナが叫んだ。傍にマムがいるとはいえ、エルグランドでウルトラマリンを出発してからまだそんなに時間は経っていない。この短時間でやり遂げるとはさすがだ。
「ステラ」
 三階のセラフィムの傍から、階下のステラに向かって呼び掛けると、シュリの声に吊られるようにブリッジに集まった面々の視線が全て彼女に集まった。
 〈ノウア〉の女王が女王たる理由――すなわちマムとの契約をイーサンの義娘ユリアに譲渡したステラは、すでに女王ではない。それでも彼女の立ち居振る舞いは女王として洗練されており、頭のてっぺんからつま先まで、思わず視線を止め置きたくなってしまう。ヴィクスたち軍人のそれとは違って、別の意味で隙がないのだ。ぴんと伸ばされた背筋、空気を凪ぐ指先、床を踏むヒールの音は楽譜をそのまま写し取ったかのように一定で無駄がなく、耳に非常に心地が良い。
 彼女が女王として広く〈ノウア〉の民に受け入れられていたのは、ステラがマムに選ばれたからだけではない。この所作、この空気、見た者は例外なく閉口するこの気品が、彼女の女王としての地位を不動にしていったのだ。
 だが彼女も女王として完璧なわけではなく、中身には少なからず少女らしいたおやかな一面もある。女王としての最後のひと仕事を前に、ステラはやや不安げな表情でこちらを見上げた。
 一存で女王の座を降り、譲位したと知られれば、彼女を無責任だとなじる者もいるだろう。だが事前に告知せず、どこからか「女王」が〈ノウア〉を離れたと漏れ伝わってしまえば、〈ノウア〉にパニックが起きるとも限らない。民を安心させるためにも、譲位を伝えなければならない。
 また、ステラが女王でなくなったと知らしめれば、ダースマンが彼女を追う理由もなくなる。ダースマンは女王が――すなわち、それなりに発言権のある者が、モンスターを擁護するような発言をしたことを危険視していた(個人的に気に食わない部分も大いにあったようだが)。その危険思想を抱いた女も、多方面に影響力のある女王という席を降りれば所詮は一介の少女でしかなく、ダースマンがステラに固執する理由もなくなる。
 煮え湯を呑まされ続けてきた女にこうもあっさりと退かれては、これまで貯め込んだ怒りの発散先に困るだろうが、幸いにもダースマンは分別のある男だ。それなりの実入りがないと判断すれば、遺恨があろうとも手を引くだろう。
「必要なことだから」
 真摯に告げると、ステラは瞑目し、ふう、と細長い吐息を吐いた。
 彼女の細い肩を、元女王補佐官が軽く押し、勇気づける。
「準備完了しました。いつでも大気圏外に出れます」
「しばらく待て」
 いくつかのホログラフィ画面を展開させたエスの報告に、セラフィムがよく通る声で指示を下した。
 ニナが座っていた席にステラが座る。去り際、ニナは彼女の肩を優しく叩き、
「グローバルネットワーク経由で、一般家庭のローカルネットも、軍の秘匿回線も掴んで映像と音声を同時に送信するっす。いつでもいいっすよ」
 ステラの深呼吸が、静まりかえったブリッジによく響いた。


 ――〈ノウア〉市民の皆さん。
 そして、政府代表を始めとする議員の皆さん。
 このようなかたちでの突然の乱入、大変失礼いたします。
 もしお急ぎでなければ、そのまま足を止め、しばし耳を傾けて下さい。
 私から皆さんに、ご報告しなければならないことがあります。

 まずは、過日の騒動より、長らくご挨拶が途切れてしまったことを、深くお詫び申し上げます。

 皆さんの混乱を防ぐため、〈ノウア〉政府はあえて伏せていましたが、ここで一つの事実を明らかにさせて頂きます。
 私はいま、女王官邸には居りません。
 〈バイオスフィア〉へ向かう艦の中に、仲間たちと共にいます。

 私たちの目的は、ひとつだけ。
 最大の敵、オズマの討伐です。


 ……オズマは、私たち〈ノウア〉の民にとって、あまりにも脅威的な存在でした。
 先人たちは、生まれ育った星を捨てねばならず、
 彼らの子どもたちは、追いすがるオズマの憎悪に怯え、
 遥かな時を経たいまもなお、私たちはモンスターとの戦いに明け暮れなければなりません。

 なぜなら私たち〈ノウア〉の民は、オズマと、オズマが送り込んでくるモンスターによって、父母を亡くし、子を亡くし、友を失ったからです。
 〈ノウア〉の民はひとりの例外もなく、心を裂かれるような痛みと、憎しみを、強く秘めているのです。

 私は、それらの悲しみに対してあまりにも無力でした。
 女王でありながら、私は、誰の心を癒すこともできず、
 ただ、女王という席に甘んじているだけでした。
 何かをしたい、手助けをしたい。
 ……そう願うだけで、自ら動こうとはしなかったのです。

 ですが、いまは違います。
 友を失う痛みを知ったからこそ、愛する故郷を守りたいと願う仲間が教えてくれました。
 願うだけではなにも叶わないのだと。
 彼らの行動が、私を少しだけ変えたのです。

 多くのひとに、この挑戦は無謀に見えるでしょう。
 けれど、どんな初めの一歩も、目標とする大業の前には、ごくごく小さなものなのです。
 私たちはいまようやく、その一歩を踏み出すことができたのです。
 ここで立ち止まることはできません。
 
 女王の御位は、すでにある御方へ譲位しています。
 ですからどうぞ安心して下さい。ビッグマムと、マムの子どもたちの祝福は、いまも変わらず皆さんに寄り添っています。

 だからいまは祈って下さい。
 私たちが無事に〈ノウア〉へ帰還できるように。
 〈ノウア〉の悲願が、果たされる日がくるように……。
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