MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【53】
「積極的に話しかけもせず、共に遊ぼうともしない。そんな子と根気強く付き合えるわらべは多くはない。大人たちも物言わぬユリアを見逃しがちで、ユリアの忍耐強さも災いし、あの子は徐々に孤独感を募らせていった」
 まるで自分のようだと、シュリは素直に感慨を抱く。
「あれは――ユリアが十歳になったばかりだったか……。ついに孤独に耐えきれなくなったユリアは、裡に秘めた力を暴発させたのだ。そして異界より、妾と、オズマを召喚した。ユリアの願いは『友達が欲しい』――純粋無垢なその懇願に、妾達はユリアと契約を結ばざるを得なかった。それほどに強く澄んだ力であったのだ。逆らえるはずがない」
「だけど友達って、そんなンで作るモンじゃねーだろ……」
 力なく項垂れる三好に、マムは小さく首肯した。
「そうだな。むしろ、強過ぎるガーディアンを召喚したユリアを、周囲のわらべたちは敬遠するようになってしもうた。近付いてくる大人はユリアを利用しようとする者ばかりで……人間は、ユリアを傷つけてるしかないのだと、妾もオズマも諦めてしまったのだ。ただ――妾はまだ世の中の良い人間がユリアに触れてこの孤独の底から救い出してくれる僅かな希望を持っておったが、オズマの絶対的な絶望が、妾の希望が叶えられるより早くてな。オズマは――」
 すう、と、マムの目が細くなる。遥かな過去を見つめる目だ。
「――ユリアの心友になれるよう、既存のモンスターを変質させたり、時には自ら生み出したりもした」
「――――!!」
 驚愕に息を呑んだのは、マムとイーサン以外の全員だった。
「まさか〈バイオ〉でモンスが急に増えたってのは」
「オズマの仕業だ。ユリアのために、オズマが生み出したのだ。――人間が無理なら人間以外のものに――オズマはそう考え、実行したのだ」
「……なんてこった」
 吐息混じりのヴィクスの一言に、シュリの同音異句の無言が重なった。
 小さな少女の大きな孤独が、現在の〈ノウア〉の苦難の始まりだったと誰が考え付くだろう。〈ノウア〉を汚染する哀の連鎖は、幼い少女の純粋な願いだったなんて……。
「オズマによってモンスターが増え過ぎると、人類は〈ノウア〉への移住を計画し始めた。妾はオズマを止めきれなかった贖罪に、移住計画を進めていた人間に力貸した。そうすれば――妾が力を発揮すれば、妾を召喚したユリアが認められ、彼女に温かな手が差し伸べられると微かな希望を持っておったのだ。だがそれも、結局は妾の楽観に過ぎず……」
「なにがあったんだ……?」
 優しく質す三好に答えたのはマムではなかった。
「契約だよ」
 四道だ。
「マムもオズマも、その時点ではユリアって子と契約してる。だからマムに〈ノウア〉のテラフォーミングをして貰おうと思ったら、マムは〈ノウア〉に行かないといけない。ところがその子はオズマとも契約をしているから、オズマもくっついてくる。友達が欲しい、なんて契約を交わしてるんじゃ、オズマもマムもその子の傍を離れるなんてもっての外だったはずだ」
「その通りだ」
「自分を守ってくれるガーディアンがいなくなるわけだから、その子も簡単にはマムを手放そうとはしなかっただろうな。ところが、〈バイオ〉にはモンスターが増え続けてて一刻の猶予もなく、テラフォーミング可能な段階まで技術が発達するのも待てなかった。だからなるべく事を最小限に済ませ、その子からマムを引き離す必要があると判断が下された。……この場合、最も手っ取り早い方法は【契約違反[ヴァイオレーション]】、だろ?」
 沈黙は肯定だった。眉間にしわを寄せたまま瞼を閉じるマムの姿が痛々しい。自然界に干渉する多大な力を持ちながら、小さな女の子に何もできなかった遺恨は、未だに彼女を苛み続けているのだ。
「でも【契約違反[ヴァイオレーション]】って確か、《コントラクター》に副作用があるんじゃなかったか?」
「ああ、契約を無理矢理引っぺがされたショックで契約者の精神がイカれる。たぶんその子も……」
 苦渋の面持ちでヴィクスの目がマムに向けられた。マムは相変わらず無言を貫いており、推測が事実であると言葉以外の何かで伝えていた。
「……ユリアが自我を失い、オズマは更に荒れ狂った。〈ノウア〉へのがれた人間たちを執拗に追うのはそのためだ。未だ友を求めるユリアのため生きた人間を必要とし、ユリアを奪われた恨みのためヒトを殺める。相反する二つの激情が、徐々にオズマをも狂わせていったのだ」
 思いが強すぎたのだ。ユリアへの。
 マムはそう付け足した。
「ってことは、いまもまだオズマはそのユリアって子と契約を継続してンのか? それってヘンだろ? 人間が〈ノウア〉に移住したのは何百年も前だって言ってたじゃねぇか。だとしたらその子は」
「とうの昔に肉体は果てた」
 言い切るマムの声音はやや強く、言葉は朗々と響いた。
「だが、取り残されたユリアの孤独はあまりにも強かった。オズマもまた、ユリアへの思いを断ち切れなんだ。二つの思いは奇跡を呼び、ユリアの魂はオズマの元に止まったのだ」
 奇跡。
 たぶんに喜びで満ち溢れているはずの神の御業に、心なしかうすら寒いものを感じた。この世には、こんなに悲しい奇跡もあるのだ。
「魂、ね。物理専攻の僕にはにわかに信じがたい事象だ」
「そうでもない。現に、ことわりを同じくする存在はこの〈ノウア〉にガーディアンとして溢れておる。本質はやや異なるが、妾たちと人間の魂は根幹を共有しておるのだ」
 話の腰を折った四道にマムは注釈を添え、少しの間を挟んで「話しを戻そう」と改まった。
「魂のみとなったユリアが現在、いかような存在に変質したのかは妾も知るすべはない。だが、オズマが人間を憎み続けていることを鑑みれば、本来のユリアとは何かが異なっているのであろう。――それからは、史実に残る通り、オズマと人間との長い諍いが続いておる。妾も空虚なまま満たされぬ日々を送った。何百年も昔の話など、おとぎ話と大して変わらぬのだ」
「ま、確かにね」
「なにがおとぎ話だよ! そんな問題か!? 女の子をひとり、〈バイオ〉に置き去りにしたんだろ!!」
 しれっと同意する四道に三好が食ってかかる。幾度となく見てきたいつも通りの光景だが、今日ばかりはどちらにも非はなかった。
「もうとっくに時効だろう。それにそうしなきゃ、少なくともひとり以上の人間がモンスターによって死んでたはずなんだから」
「だからってそんなの許していいのかよ!? そのユリアって子はずっと苦しんでたんだろ!?」
「じゃあどうしろって言うんだよ! 事実を〈ノウア〉中に公開して、みんなで弔ってやれとでも!?」
「そーすンのがフツーじゃねぇか! 人間が〈ノウア〉にいられるのは、全部その子が犠牲になってくれたからだろ!! みんなその子に感謝するべきだろ!? 何で隠す必要があるんだよ!!」
「そうやって割れるからだよ」
 加熱する一方の二人に冷静な横やりを入れたのは、無論、シュリだった。
「そうやって意見が割れるから、公表出来ないんだよ。二人とも間違ってない。その子を犠牲にしなきゃもっと沢山の人が死んでいたし、だからって大義の前の犠牲を許してしまうなんて、命を馬鹿するにも程がある。どっちも間違っていないから、〈ノウア〉の意見は真っ二つになる。だけど今は、大昔の真実で言い争っている場合じゃない――。こうしている今にもオズマは〈ノウア〉の民を恨んで、モンスターを送り込んできているんだから、まずは目の前の現実をどうにかしなきゃ。だから今は、公表すべきじゃない」
 いずれ公表する気があるのかどうか、それは政府代表の考えによるだろうが、少なくとも今はまだその機会ではないのだ。
「それに――私にはその子が〈ノウア〉の人たちに受け入れてもらえるとは……思えない」
「……? どういう意味だ……?」
 三好の眉が怪訝そうに動く。
 シュリは厳かに、務めて低く告げた。
「事情はどうあれ、オズマが生まれたのは間違いなくその子のせいだよ。きっとみんな、その子を恨む」
「…………」
 重苦しい沈黙が二重にも三重にもなって降り落ちてくる。
 どれほど時間が経っただろうか。
 指一本動かすのも、呼吸すら躊躇うような息苦しさの中、マムがそっと息をついた。
「妾はずっとユリアを想うておった。浅はかにな希望しか持たなかった己を何度も恥じた。〈ノウア〉の民はユリアが最後まで求め続けた人間たちだ。彼らを絶やすことなど出来ぬ――その一方で、激しく憎んでもおったのだ」
 それが、マムの真実だ。〈ノウア〉の環境保全に徹底的に取り組む一方で、人間社会に何の干渉もしないマムは、ずっと相反する両極端な感情をコントロール出来ず、抑え込むだけで精いっぱいだった。
「だがユリアが妾を変えた」
 そのユリアは、おそらく今はベッドで眠る彼女のことだろう。
「子を失い、それでも少しずつ立ち直ろうと足掻くユリアを見て、妾は強く感銘を受けた。例え子を失っても母は母なのだと思い知らされた。それに、そなたらも」
「……? オレら?」
 何かしたっけ、と三好が首を捻る。
「大切な友を失っても尚、覚悟を以って立ちあがったではないか。そなたらの強さは、オズマを倒すに値すると、妾は強く確信した」
「別に僕達は……」
「分かっておる。だがそなたらが、オズマを倒し得る力と可能性を秘めておるのは事実だ」
 断言し。
 マムは顔を上げ、こちらに向き直った。強く、強い、それでいて、
「故に妾はそなたに力を貸そう。オズマを倒す――〈ノウア〉の悲願を果たし」
 どこか、物悲しくも優しい光を宿した瞳で。
「そして今度こそ、ユリアを弔いたい」
 《コンダクター》のようにマムから魔法の力を授かったわけではなかったが、そこには確かに、シュリ達の心に沿う大きな力があった。
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