MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【51】
 ぬばたまの夜。
 夕食を終え、倒れたままのユリアに代わり後片付けの手伝いを済ませたシュリは、会話の少ない室内から逃れるように、折を見て、ダイニングから手作りのテラスへと出た。
 町から離れた場所にあるせいか、星の瞬きがはっきり見て取れるほど星空が美しい。
 虫のささやかな鳴き声が優しく鼓膜を打ち、涼やかな音楽を提供している。
 水の気配が多い土地柄のせいか風がやや冷たい。このまま冷風に身をさらし続ければ風邪のひとつやふたつひいてもおかしくないが、今夜は気分がどこか投げやりで、上着を取りに部屋へ戻ろうとは思わなかった。
 泡立つ肌をさすりながら、ふと日本の冬を思い出す。
 そういえば、〈ノウア〉に来てずいぶん経った。シュリが数えた日数が正しければ、そろそろ卒業式を迎える頃だ。冬の厳しさも和らぐ時期で、今頃は日本でもこのくらいの風が吹いているだろう。
 さらにあと一か月も経てば春になるが、食糧危機に見舞われた日本では大量発生している害虫のせいで花も咲きづらく、ここ一、二年はまともに桜も咲いていない。突貫工事で仕立てられた今の高校には、桜どころか花壇も設置されておらず、緑の気配が非常に希薄だ。
 だから初めて〈バイオ〉を見たときは森の深さに驚き、〈ノウア〉の自然を見て素直に守りたいと思った。
 自然と言うのは実に偉大な存在で。多少壊れたとしてもそれを淘汰と受け止め、自己修復するシステムを備えている。状況に応じて変化するのだ。ところが不確定な要素が――例えば人間が――修正を上回るスピードで生態系を壊せば、〈ノウア〉とてあの地球のようになりかねない。
 せめてこの宇宙は、正しい形で命を繋いで欲しい――。衝動に似た何かに突き動かされるように、その一心でここまで来た。言葉で確認したわけではないが、三好も四道も、二の宮だって同じ気持ちだったはずだ。
 モンスターが人間を害し続ければ、人間達は軍と兵器を使ってモンスターを排除しようとする。長引けば長引くほど、人がモンスターを憎むほどに、兵器は強力になっていく。
 残念なことに、技術というのは代価と成果が一致しない。技術の少しの発展が、より大火力の、より大量の兵器を生み出していくのだ。モンスターとの戦闘が重なり、強力な兵器が使い続ければ、いくらガーディアンに護られた〈ノウア〉でも生態系の破壊はまぬがれないだろう。ソルフェリノが良い例だ。あの岩だらけの地域は長い時間をかけてああなったのであって、本来は見渡す限りの森林地帯だったという。
 つまりモンスターは、人間にとって、別の側面からも危機をもたらしている、といっても過言ではないのだが、この世界では、モンスターもまた生態系の一部なのだ。地球の各地に蝶やミミズがいるように、人間を脅かし脅かされる彼らもまたそれなりの役割を担って生態系の一画を占めている。
 モンスターが全滅すれば、〈ノウア〉の生態系は完膚なきまでに叩きのめされるだろう。
 あの、日本のように。
 それ故に、オズマを倒すという目標は、非常に合理的な手段だった。
 オズマが倒れれば、何よりもまず人々の恐怖がやわらぐ。〈バイオ〉から〈ノウア〉へモンスターが送られることもなく、〈ノウア〉に残ったモンスターも自然淘汰を繰り返し、やがてその数を安定させるだろう。数の安定は定住を招き、人とモンスターとの境界線がはっきりしてくると、今度は自衛以外の目的でモンスターを攻撃する必要がなくなってくる。
 オズマを倒す――その大義名分がなくなれば、レーゼンメーテルに由来する兵器を開発する理由もなくなるのだ。
 地球に及ぶ重力子の災害も当面は回避されるだろう。あとはブライアンあたりに分析やデータ収集を依頼し、いずれ正式に地球の存在を明かして貰えれば、レーゼンメーテル系統のエンジンは見直されるはず――。
 ――だが、そこにも問題はある。
 〈ノウア〉に蔓延るモンスター群が生態系の一部であるというのなら、オズマだって立派に自然の一因なのだ。しかも、その強力なパワーゆえに、単騎での影響力は〈ノウア〉のマム級に匹敵する。正しいと思って事を実行しても、それが正しい結果に繋がるとも限らない、オズマを倒した後、一体どんな影響が出るのか――良い結果になるのか、更に悪化してしまうのか……。二つの星をまたぐほど規模が大きいため想像だに出来ない。
 ただひとつ、確実なのは、現時点でオズマを倒すことが最良である、ということだけだ。例え悪い結果を招く可能性があっても、故郷を想えば、オズマを倒すという結論にならざるを得ない。だからシュリはあのとき――四道に帰郷を薦められたあのときに、シュリは二人に対しオズマ討伐を提案した。
 第二の地球になりかねないこの星を。
 遥か異次元の彼方から送り込まれる重力子によって、災害に見舞われる故郷を。
 双方を見捨てれば、三好たちも後悔すると確信したから……。
「風邪をひく」
 不意の声に、はっと我に返る。
 冷えた両肩にかけられた制服のジャケット。
 室内に残してきたそれをわざわざ届けてくれたのは、家主のイーサンだった。
「……ありがとうございます」
 隣に並ばれるとつい引き込まれてしまう。現役を引退し前線を退いても尚、往年の軍人然とした気配が強い存在感を示す、そんなイーサンの横顔を見ていると、彼は自分の右手を一瞥し、すい、とシュリの前に差し出した。
 窓際に飾られていた古いポートレート。年端もいかない少年と、若かりし頃のイーサンと、同僚らしき二人の人物が海を背景にしたあの写真だ。
 流れに従って、無心にそれを受け取り、改めて近くから見てみると、当初よりも幾許か違う印象が見て取れた。仲間に触れる、信頼の証の腕。現在を楽しむ口元、死を覚悟した瞳――。
「もう二十年近く経つとは未だに信じられんよ」
 哀愁を漂わせた渋い音で、イーサンが呟いた。
「彼を、政府から託されたとき、彼はようやく十二歳になったばかりだった。オズマ討伐へ向かったのはそれから一年後だ」
 十二歳……。
 それが写真の中央に映る少年だと察するには、十分過ぎる情報だ。
「軍の規定では、最低入軍年齢は十四歳だ。彼は二年も早かった。だが、戦場に立つには二年遅かった。彼はそれほどにずば抜けた才能を持っていたよ。十二歳という年齢でありながら、すでに九体のガーディアンと契約を結び、あらゆる魔法を使いこなしていた。与えられた長剣を使いこなし、半年もせず私と対等に戦えるようになった。まさに――」
 声に抑揚が入る。深い感慨に押される声音……驚異、だ。
「神に愛されるとは、ああいうことなのかと思ったよ」
 神に愛される――。
 音もなく胸中で反芻する。
 神の愛を受ける者、それはすなわち、
「……アマデウス」
「そう、二十年前のアマデウス作戦とは、そこに映る少年に政府がオズマ討伐を命じた作戦だった。ブルーコートは、オズマの周囲のモンスター討伐のため、我々三人は彼を守る護衛役と、オズマ戦のサポートを任されていた」
「まだ、十二歳だったのに……?」
「彼は君の知るような十二歳ではなかったよ。直接見ていない君には理解しがたいだろうな……。だが彼は、あの年齢ですでに完成されきっていた。体格は、十二歳にしては大きかったが、無論大人と比べるべくもない。肉体的な成熟を待つという選択肢もあったが、そんなことは問題ではないと思わせるほど、オーリは何かを超越していた」
「オーリ?」
「少年の名だ。オーリ……それ以外は何も知らない。生まれ故郷の話も、両親の話すらもしたことはなかった」
 オーリ……。
 声なき声で名を呟く。
 写真の中の少年の笑みが深くなった気がしたが、時を止めた紙の上ではそのような現象は起こり得ない。一ミリの違いもなく、変わらないほほ笑みをたたえた彼が、〈ノウア〉の民に恐怖を植え続けるオズマと対峙したなんて……。
「オーリは政府の要請を受け、一年の訓練期間を経てオズマ討伐に向かった。表向きはブルーコートによる大々的な討伐作戦だったがね」
 その作戦で選抜された人々が、後に〈バイオ〉遠征へ多く指名されたことから、対モンスターに特化した人間――プラタ、と呼ばれるようになったと、いつだったかヴィクスかライトが言っていた。
「多くの犠牲を払いながら我々はオズマの住む遺跡の奥深くに入り込み、ついにオズマの住処へと足を踏み入れた。美しい宮殿のような大広間だ。真っ赤な絨毯を踏みしめ、音楽でも聞こえてきそうな空間に入ると、背後で入り口が消える。オーリは笑ったよ、『道連れにしてごめん』とな」
 少年の苦笑が耳元で聞こえたような錯覚を覚え、シュリは僅かに目を見開いた。
 夜の帳が黄金へと代わり、林であったはずの場所に巨大な空間が作り上げられる。荘厳華麗なダンスホール。足元には緋色の絨毯。何百年も放置されたままの遺跡の中とはとても思えない部屋に圧倒されていると――オズマが現れる。剣を構える少年と三人の護衛は、オズマの猛攻を必死に防ぎながら攻撃に転じる隙を窺い続けた。だがなかなかその機会は訪れず、傷ばかりが増えていく……。
 不意に左手を持ち上げたイーサンは、そのまま右の二の腕をがっちりとわしづかみにし、強く握り込んだ。まるで腕に深い傷を負い、出血を止めようとしているかのような仕草だ。……もしかするとあの長袖の下には、本物の傷の痕があるのかもしれない。
「君たちには確かに《コンダクター》としての能力がある。それは認めよう。クリスタルキューブも十分育っている。戦闘に何ら問題はない。――だがオーリでもオズマは倒せなかった」
 霞み消えてしまいそうなほど、その語尾は弱く、頼りなかった。冷たい夜風に今にも吹き飛ばされてしまいそうだ。
 アマデウス作戦の生存者はわずか三人。最前線から帰還したという彼らは三人ともブルーコートの正式な軍人だった。つまり、対オズマの強力な戦力として〈バイオ〉に送られた少年は帰って来なかったのだ。
「――明日、帰りなさい」
 出来の悪い生徒に諭すようにイーサンは告げた。
「……私たちが諦めればレーゼンメーテルが使われ続け、私たちの故郷は蹂躙され続ける。それを承知でそう仰るんですね」
「…………」
 返事はなかった。彼はそのままデッキのヘリから離れ、シュリに背を向ける。
 シュリの目線よりもやや高い位置にあるイーサンの肩を目で追いかけ、とても五十を過ぎた老人のものとは思えないほどがっちりした背中をじっと見つめる。
 異世界を信じていない様子ではなかった。だからと言って信じているわけでもないだろうが――少なくともシュリの望郷の念は理解している。
 〈ノウア〉を恐怖にさらし、仲間を奪ったオズマへの憎しみが消えたわけでもない。
 くすぶり続ける怨嗟の熱はたぎる一方で、その憎悪を自らの手で晴らしたい願望も、消したわけではなさそうだ。
「そうしてまでオズマを庇う理由は何ですか?」
 シュリが声を荒げたのは、イーサンが部屋に戻る直前だった。
 開け放たれたドア窓から声が漏れ、室内のヴィクスたちが一斉にこちらを向く。
「庇ってはいない」
 感情のないイーサンの声音がやけに神経を逆撫でた。沈着には自信のあったシュリも、この時ばかりは声に力がこもった。
「政府はオズマの情報を抹消し、軍はオズマどころか周辺のマップすらデータベースに記録しなかった。あなたも政府も、オズマを庇っているとしか思えない!」
「オズマ討伐は〈ノウア〉の悲願だ。政府とて諦めたわけではない。現に軍はアマデウス作戦の失敗後、レーゼンメーテルの開発に着手したのだからな」
 ――そうだ。あのダースマン率いる現政権はオズマの抹殺を諦めていない。単に、人間に頼った戦闘から大火力の兵器を使った戦術へ方針変更しただけであって、むしろ強硬姿勢は強化され、〈バイオ〉中のモンスター討伐も熱烈なほど積極的だ。
 つまり、オズマは倒したいが、オズマには誰も近付けたくない。
 これが政府の本音だ。あまりにもご都合主義だが、一体何のための「都合」なのだろうか。
 オズマに近寄れば、知られてはいけない何かが露見する……。
 間近で目視すると気付くこと……?
 オズマ――〈バイオ〉に君臨するモンスターの帝王――〈ノウア〉の民の最大の敵――人類を〈バイオ〉から〈ノウア〉へ逃亡させた張本人――。
 オズマに関する様々な情報、イメージを根掘り葉掘り掘り起こし、並び立てる。だがどれもピンとこない。
 目で見て変わる何か――目で見る――人間なら、真っ先に目に入るのは体型や顔の造作、肌や髪の色……つまり容姿だ。肉体と言い換えてもいい。例えばオズマが人間とまったく同じ姿をしていれば、確かに驚く。だが人型のモンスターがいないわけではないし、マムだって精神を〈ノウア〉中に張り巡らせながら、いささか美人すぎるきらいのある本体を人間の生活圏に馴染ませている。だからオズマが人型であっても驚く要素はない――。
 が。
 マム――オズマ――マム――。
 ……いつだったか――そう、青空の下の、遠足気分の旅程の途中で。女王を辺境の村テラコッタに向かいながら、思ったことがあった。
 マムとオズマはまるで対存在のようだと。
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