MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【50】
 研究所の敷地は広く、あちこちに兵器の残骸が廃棄されていたため、まるで庭園迷路のように入り組んでおり、建物の向こう側に回り込むだけだというのに随分と時間を取られてしまった。あちこちに「行き止まり」があったせいだ。
 ようやくの思いで一行が建物を回り込むと、そこにはこちらに背を向け倒れているユリアがいた。
「ユリア!」
 イーサンが真っ先に駆け出す。それをマムが追う。
 部外者であるシュリ達は家族の再会に水を挿さぬよう、少し速度を落として近付いていたのだが。
 一行の殿を務め、敵の気配を最も強く警戒していたヴィクスが真っ先に反応した。剣を抜き、応戦。ガキン、と金属のかち合う音が鳴り響き、全員がいっきに集中力を高めた。
 鳥だ。右翼の先から左翼の先までおよそ二メートル、頭から足の先までは丁度シュリと同じくらいだ。小枝のように細い脚も鋭い嘴も、すべて鳥の特徴と合致する。唯一違うのは、目も覚めるようなエメラルド色の全身くらいだろうか。
 モンスターの情報を貰うべく、インカムに手を伸ばし、そこにあるべき感触がないと気付いて慌てた。インカムはグローバルネットワークの軍用回線で情報交換を行う。政府に追われ、グローバルネットから隔絶した女王戦艦プリマヴィスタに乗艦するニナと通信する手段はない。携帯しても荷物になるだけだからと、置いてきたのだ。
 武器を構えながら、内心焦る。どんな敵なのか――属性は? 弱点は? 何の情報もないことが恐ろしい。どんな方法で攻撃してくるのか、ホバリングを維持する翼や尖った嘴を見れば戦闘経験から見当がつかないわけではないが、推測はしょせん推測だ。はずれることもある。そして万が一外れれば、防御が遅れ致命傷にもなりかねない。
 そう考えると、体の芯が僅かに硬直する。
 オズマの情報があれば対策の立てようがある、と唸っていたヴィクスの姿が思い出された。
 イーサンの捜索を提案しておきながら、イーサンに拒否された場合、オズマの情報を諦めるのもやむなし、とも思っていた。だがこれでは、そんな妥協案など到底受け入れられない。
 相手はオズマだ。人類を〈バイオ〉から追い出してしまうほどの存在。遠く離れた〈ノウア〉に今も尚、恐怖と悲哀を植え付ける存在。そんな相手を前に、こんな恐怖を抱けば――その瞬間に、シュリ達は負けるだろう。
 オズマを倒す未来を見据えたければ、こんなところで、気持ちに押し負けるわけにはいかない。
 ぐっと奥歯を噛み、ロッドを握り締める手のひらに更に握力を送り込んだ。相手は一匹、気絶したままのユリアの保護に何人か回してもお釣りはくると自分に言い聞かせ、萎えた気持ちの立て直しを図る。と、
〔油断したな〕
 鳥が喋った。
 驚いたのはシュリだけではなく、フォワードで構えていたヴィクスも同じだった。身長と同程度の長さの剣先が、主の驚愕によって鈍くなり、僅かに地に落ちる。
 人語を理解するモンスターはいない。つまり、張り詰めた絹のように艶やで、耳に優しく聞きとり易い美声を持つこの鳥は、モンスターではない。
「イリク、そなた……!」
「知り合いか?」
 三好の問いに、マムはぐっと言葉を喉に押しとどめた。
 セラフィムと競えるだけの美貌を備えたマムは、しかしセラフィムとは違い表情の動きに人間臭さが滲み出ている。だから感情を読み取るのもそう難しくはない。今の表情は図星をさされたそれだ。
「……イリク、何故このようなことを……」
 人間でもない、モンスターでもない。加えてマムの既知となれば、鳥の素性も自ずと明らかになる。つまり、エオリアやカナッサと同じ、ガーディアンだ。
〔決まっている。私はもう、あなたのやり方にはついていけない〕
 やや高いところからこちらを睥睨し、鳥は緊張も未練も何も感じさせない声音で言い切った。
〔この数百年、私はあなたと共に人間を守ってきた。ヒト種の守護こそが私達の使命であると言うあなたの言葉を信じた〕
 鳥にしては切れ長の目の奥にだけ、哀感が潤んでいた。
〔そのあなたがなぜ、今になって、オズマを倒そうという彼らに加担するのか……。――長い時を経なければ、立ち向かおうとするその心を育めなかったのは分かる。けれども〕
 半眼が伏せられたその時、空気を振動させる声音に、僅かだが感懐が浮かんだ。ごくごく穏やかな、凪のような音の深部で、身も世もない感情の針が小刻みに震えている。
「……アラか」
〔そう……。あなたがもっと早く動いてくれていれば、二十年前、私はアラを失わずに済んだ〕
 掠れた声でマムが囁くと、鳥はゆっくりと頷いた。
 二十年前……それはイーサンたち三人だけが帰還した、あのアマデウス作戦で……?
〔あのときはまだ、あなたの力を揮える《コンダクター》はいなかった。それでも、私はいつも思い、願う。死んだアラが、還ってくるように……。アラが生きていたあの頃に、時が巻き戻るように……〕
 ……それは。
 きっと誰もが、願うことだ。愛しい人が、大切な人が、ずっと傍にいてくれると思っていた、そんな時を追いかけようとする心が、夢を見る。シュリも、三好も四道も。
 きっとヴィクスはシュリ達よりももっと多くの人間を、今、脳裏に浮かべているだろう。
 だがシュリには一人だけ。
 ……マイ、と、そっと胸中で呼び掛ける。
〔あなたが悪いわけではない。……だが、私はもう限界だ。あなたと共に〈ノウア〉を守ることはできない。それは〕
 鳥の目が、イーサンに保護されたユリアに向けられる。それ、とはつまり、ユリアのことで。
〔十分、反逆になるはずだ〕
 マムは何も答えなかった。ただどうしようもない躊躇いだけが窺えた。
 ガーディアンはマムの管理体制の元、〈ノウア〉の存続を遵奉させることが義務付けられている。〈ノウア〉の存続が危ぶまれるような行動は禁止されているし、ガーディアンを統率するマムへの反抗も禁止事項の一つなのだろう。ヴィクス達が所属していたブルーコートの軍律のようなものだ。破れば罰が与えられる。
 ユリアは、マムが大事にしている人間で、その思い入れの深さは先ほど目にしたばかりだった。今日、ユリアに会ったばかりのシュリでさえ気付いたのだ。たとえマムの明確な意思表示がなくとも、ユリアへの危害がマムの逆鱗に触れることは、長い時を共に生きるガーディアンなら知り得ただろうし、実際にこの鳥はそれを理解し、応用した。
 それでもマムが踏み切らないのは、この鳥ガーディアンに負い目を感じているからなのだろうか。二十年前に死んだという「アラ」に対して……。
〔踏みきらぬか。ならば――こちらから!〕
 鳥の身がほっそりと細くなり、風を切って速攻を仕掛けた。
 ヴィクスがとっさに剣を構え応戦体勢をとるも、風とほぼ同化したイリクは神速でヴィクスを抜き去り、刃と化した羽の先ですれ違いざまにヴィクスを深く裂く。
「……ッ!」
 かまいたちのような、捉えられない攻撃を甘受し、痛みに声を押し殺すヴィクス。
 パッと鮮血が散る。まるでバラの花びらが風に舞っているようだ。
 イリクが動くと同時に地を蹴った三好が、ここでイリクの真正面に飛び出し行く手を阻んだ。
「うおおお!」
 気合いとともに真っ直ぐ繰り出される拳には、火のガーディアン・カナッサが三好に焔を提供しており、火の属性が加味されると同時に威力もより強くなっている。その威勢に怯んだか、あるいは炎によって気流が乱されたのか、イリクはとっさに急ブレーキをかけると、一メートルほど制動距離を流れ、三好の三メートル手前でホバリングをした。
 ――のも、つかの間――。
 イリクがオオワシのような両翼でバサリ、と三好を煽ぐと、
 ダ、ダダダンッ!!
 大地が剣山のように鋭く盛り上がり、三好を貫く。
 鳥型モンスターは、大概が風属性の攻撃をしてくる。イリクがガーディアンならば尚更、属性に縛られているはずだ――そう、思っていたのに、予測に反し、イリクは土をも動かした。つまりあおガーディアンは、風と土、双方の属性を備えているのだ。
 勿論、これまでにも何度か、二つ以上の属性を備えたモンスターと対峙したことはあった。しかしそれがガーディアンに適応されるとは露ほどにも考えなかった。
 これが、情報もなく敵と戦う、ということ。
 シュリの身体の芯を、再び怖れが貫く。
 これまでの戦闘で蓄積されてきた経験が先入観を招き、ときに仇となる――しかし予測もなしに敵と戦えば遅れをとり、防戦ばかりになってしまう――。これらのリスクを回避するには、どうしても敵の詳細な情報が必要なのだ。
 ヴィクス、三好をものの十秒で退けたイリクは、再度風を纏って加速し、シュリを標的に定めた。
 通常、シュリは中衛で敵と相対するが、現在のイリクとの距離は殆ど最前線だ。
 だが対応出来ないほどではない。
 ロッドを構え、クリスタルキューブで形成される力をロッドに送り込み、光球を生みだす。その数、およそ三十。手数で敵を圧倒し、炸裂させて視力を一時的に奪うこの【バーストロンド】で僅かでも時間を稼ぎ、ヴィクスか三好の復活を期待していたのだが、イリクは炸裂する光球の嵐を強引に抜けると、傷を負いながら尚もシュリに突っ込んでくる。
 イリクの目的はユリアだ。彼女を傷つけ、マムの怒りを増加させるつもりだ。
 殺すつもりはない。だが、シュリとは違い、キューブを持ちえないユリアは至って普通の、生身の人間だ。守らなければ、という、元・予備兵としての義務感と、人間としての保護欲がどうしても先走る。
「エオリア!!」
「きゅぴー!」
 エオリアの力で大気を動かし、局地的な暴風を生む。
 三好の気の圧がイリクを押し止めたように、シュリは風でイリクの軌道を乱すつもりだったのだが、巨大な鳥は暴風の気流に巧みに乗ると、更に加速を続け迫ってきた。
 シュリの反応速度ではかわせない。
 奥歯を噛み来るべき痛みに耐えようと身体を堅くする。
 真横から、イリクの胴を狙って四道のライフルが咆哮を上げたのはその時だった。驚異的な命中率を誇る四道の弾は、寸分の狂いもなく高速移動するイリクを捉えるも、貫通どころか皮膚には傷一つつかない。硬い。
「一木さん!」
 迫るイリクの嘴から、咄嗟に身体を腕で庇う。
 深く穿たれた傷が熱い。意識ははっきりしているのに、傷のある腕から全身へ、徐々に肉体を操作する意志が奪われていく。
 植物系や肉食動物によくみられる麻痺毒だ。
 だからといって、ここで怯むつもりはない。
 倒れる寸前、最後の力を振り絞ってロッドを振る。特小の光球に、エオリアの風を練り合わせたものだ。小さい分、小回りが利き、速度が上がる。
 案の定、光球のホーミングに捉えられたイリクは、周囲五十センチにも満たない半径の内で暴れる風に翻弄され、足止めを余儀なくされた。
 ヴィクスも三好も未だ昏倒から目覚める気配がない。シュリも毒が全身に回り、回復には時間がかかる。
 ここはもう、四道に任せるしかない。
「イリクは本来、妾と同様、大地に帰依する。そなたの武器の貫通力では通用せぬ!」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
 マムと四道の声が聞こえた。辛うじて動く顔を僅かに巡らせると、ライフルを構えた四道の傍で、決意に表情を固めたマムが見えた。
「妾を使え」
「は!?」
「妾の力を注ぐのだ。キューブから既成される弾に妾の力を混ぜ合わせよ」
「んなっ……! ぶっつけ本番で何言い出すんだ! そういうことは一木さんかジンの役目だろ!?」
 どうしてそこでシュリに御鉢が回ってくるのか理解しがたいが、抗議しようにも麻痺で身体が言うことをきかない。
「それにマムの力は強過ぎる! 僕じゃとても支えるのは――」
「四人の中で妾と最も同調出来るのはそなただ。力の強弱以前に、人間には生来の属性がある。生まれ持った素養はそなたが意識している以上に強いものだ」
「……!」
 予想もしなかった展開に、四道は珍しく反論を見失い、青ざめて口をぱくぱくさせた。
 平時であれば、三好あたりが「金魚かよ」と突っ込んだだろうが、今は戦闘中で、三好もヴィクスも気絶中だ。
 おまけに、イリクを捕まえているエオリアの風が弱まりつつある。
「時間がない。集中しろ」
 マムも事態を重んじ、四道に強要する。素早く四道の背中側に回り込み、両手を四道の肩に添えると、服の上からするりと白い指を這わせ、筋を辿りながら二の腕から肘へ、手頸へと進めていく。漂う色気は色欲的な意味ではなく、マムの清廉な年長者の気配だ。それが、這う指が進められるたびに、四道の尖った気と交わっていく。
 朦朧としたシュリの意識に、大気を通じてやんわりと流れ込んでくる、強烈な大地の気配。
 死した亡骸を受け入れ、溶かし、生命を育む母なる力と。
 常にそこにあるのが自然で、あまりにも当然過ぎて、何よりも大きな存在でありながら人々の意識の埒外に押しやられてもなお、人を受け入れる寛容さと。
 似て落差のある二つの気配が混ざり合い、やや大きな力に引っ張られるように、片方の力がどんどん高まっていく。シュリがエオリアの力を引き出す時とは全く異なった感覚だ。
 シュリの場合、似て異なる二つの絵具が絵筆で混ぜられて違う色になるように、二つの力でようやく風を生み出すような感触がある。エオリアは本来、大気を浄化するガーディアンであり、便宜上風属性に分類されているが正確には違う。おそらくはその辺りが原因だ。
 一方、三好の場合、三好自身が己の力を極限にまで高めることでカナッサが現れ、火属性が追加される。
 二の宮は常にウィカチャと共に在り、力をキャッチボールさせることで増幅しているような気配を感じていた。
 三者三様のガーディアンとの協力があったように、四道もまた違ったアプローチでマムの力と自分の力を合わせているのだ。
 だが、余りにも桁が違う。
 マムの巨大な力の渦に巻き込まれて、ぐるぐると回転しながら四道の力が遥かな高みまで引き上げられていく。
 ……凄い。
 何よりも、増幅器となったマムの力に導かれて引き出され続ける四道の潜在能力に、素直に感嘆する。常時後衛に回り、シュリ達の援護に務めていた彼に、まさかこれほどの力が眠っていたとはまるで気付かなかった。おそらく彼自身も想像すらしていなかったはずだ。それほどに奥深い深淵から、力がどんどん引き出されていく。
「……ッ!!」
 肉体が軋む音が聞こえた気がした。四道の身体が、慣れない大きな力に仰天しているのだ。
「今はまだ限界ではない故、力のコントロールは妾に任せるが良い。そなたは集中するのだ」
 ライフルを構える四道に、背後からマムがそっと耳打ちする。
 小さな囁き声だが、大気の震えに敏感なシュリの耳には十分届く音量だ。
「力を一点に凝縮させよ。それをキューブに通過させれば、十分、イリクを倒せる弾になる」
 マムのアドバイスに応じて、巨大な気が練り込まれていく。
 あんな大きな力を自在に操るマムの余力にもさることながら、それを受け、一点に集める四道の集中力にも驚く。戦闘だけでなく、自室で研究に打ち込んでいる時も、あるいは高校で授業を受けていた時にも、彼一人だけ異世界に隔離されているような異質な集中力は見せていたが、まさかこんな莫大な力にも耐え得るなんて……。
 やがて彼らの周囲に渦巻いていた力が収縮され、余すことなく一つの塊になる。目に見える以上の質量を備えた一発の弾丸は、エオリアの風から解放されかけたイリクを正確に捉え――、
 パンッ!!
 ガラスが砕けたかのような破片を撒き散らしながら、イリクは鳥の「[イレモノ]」を四散させる。最後に、波打つ光だけが残り――その[なか]に何かの意識をはっきりと感じたが、一瞬だけで――それらは、ろうそくのともしびが消えるように、不意に消え去った。
 最後に笑った。
 何故かそう思った。
<< back   top   next >>
Copyright (c) 2003 - 綿子 All Rights Reserved. Since 2003.04.23.