MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【44】
 ゆっくりと浮上していくシュリの意識を最初に刺激したのは、空調設備の単調な音だった。
 薄く眼を開いて見えたのは、見知らぬ天井。オフホワイトを基調に優美な花が描かれており、やおら高級感が漂っている。
 部屋も広い。住み慣れた軍寮の個室を軽く五、六倍にしたかのような広さに、チェストやテーブルセットが一通り揃えられているが、それら全てには細部に渡るまで丹精込めた細工が施されていた。手入れも万全だ。塵芥ひとつ浮いていない。ベッドわきのランプシェードも、ガラスのような素材をバラの花びらに見立てて重ね合わせ、絶妙な曲線で華やかなフォルムを演出しており、まるでそこに品の良い淑女が佇んでいるかのような幻想を抱かせる。
 自分の性格とは百光年離れているような部屋だ。高級感がありすぎて落ち着かない。
 どうしてこんな部屋にいるのか、ぼんやりとしたままの頭に疑問だけを浮かべ、ゆっくりと上肢を起こすと、腹部に針で刺されたような痛みが走り、その痛みがシュリの記憶を掘り起こす。
 女王官邸に乗り込んで女王を奪還し、エスコート達と共にプリマヴィスタで逃亡を図った。屋上に到着したところでダースマンの娘と戦闘になり、傷を負いつつもなんとか逃げ遂せた。ここまでは明確だ。
 プリマヴィスタに乗り込んだところで、ブライアンに艦に搭載されているGPSを無効化するよう頼み――そこで記憶はぶっつりと途切れている。意識が押し流されていく中、女王が泣きながら魔法で治療をしてくれたような気がするが、記憶が曖昧すぎてあれは現実だったのか、夢だったのか、シュリの単なる願望なのか、よく分からない。
 ただ傷は既に癒えているようで、服をたくしあげ腹部を確認するも、そこには傷の残骸と思われる薄いピンク色の変色が残るのみだった。
 傷は深く、出血も多かった。あれからどれだけの時間が過ぎたのかまるで分からないが、傷跡のひとつも残らなかったのが不思議でならない。――となると、やはり女王が魔法で治療してくれたのだろう。
 そして、魔法を使ったのなら治りも早いわけで。つまりあれからそれほど時間は経っていないことになる。おなかの空き具合から丸一日は過ぎているようだが……。
 そこまで考えたところで部屋のドアが開き、シュリの思考が中断した。
「お、マジで起きてるぜ。……なんで分かったんだ? セラフィム」
 ヴィクスだ。その後ろから三好が姿を現し、ニナ、セラフィムまでもが入室してくる。
「大丈夫か? お前がいきなり倒れるからみんな心配してたぞ」
 事前に打ち合わせた通り、無事に合流地点でニナとセラフィムを拾えたのかと安堵する一方、二人との待ち合わせは襲撃から二日後の昼を予定していたことを思い出し、予想外に時間が過ぎていることを悟った。
 女王官邸の襲撃に、女王の逃亡、さらに優秀なブルーコートから四人の脱軍者……。政府やブルーコートは今頃、さぞかし泡を食っているだろう。
「……おい、ほんとに大丈夫か? ちゃんと起きてるか?」
「うん……。私、どれくらい寝てた? あれからどうなったの?」
「あれから今日で三日目だな。今は朝だ。お前が指示した通り、ブライアンがプリマヴィスタのGPSをオフにしてくれたおかげで安全航行中だよ」
 報告慣れしているのがいかにも軍人らしかった。要点をかいつまんで欲しい情報だけを淡々とくれるので非常に分かりやすい。
 艦の安全が確保されたことについては、ひとまず安心だ。
 ほっと息をつき、当面の心配が払拭され、安堵がシュリの心を撫でた。
 女王専用艦プリマヴィスタは、〈ノウア〉各地の視察に飛び回る女王を補佐・護衛する目的で開発された装甲艦仕様のフリーゲートだ。操縦やメンテナンスの大部分をシステムに依存しているため、必要最低限の乗組員数は驚くほど少なく、人間に依存せざるを得ない整備面は、女王直属護衛軍エスコートが訓練の一環として操縦から点検まで叩きこまれているので心配の必要はない。
 戦闘巡洋艦のように攻撃装備こそそなえていないものの、最大速度は〈ノウア〉随一を誇り、太陽光発電を応用した技術によって燃料の必要が無く、光の屈折を応用し肉眼では姿が見えなくなるインビシブル機能が搭載されている。
 大々的なモンスターの襲撃を想定し作り込まれているため、あらゆるモンスターの攻撃に耐えうるよう設計されており、先日戦ったオリアンタリスコアロードのような超弩級のモンスターでも一、二撃は耐えうる驚異的な耐久力を秘めているのが特徴だ。
 逃亡の足としては、おそらくこれ以上は望めないほどに有能な[ふね]なのだが、ひとつだけ避けられない問題があり、当初プリマヴィスタでの逃亡は一時的なものと想定していた。
 プリマヴィスタはモンスター襲撃を想定した[ふね]だ。そのため、地上の混乱した際、艦の位置を見失う可能性が考慮されており、通常よりも強いシグナルで軍に位置情報を送信しているのだ。いくらインビシブルで身を隠そうとも、GPSで捕らえられてしまっては、頭隠して尻隠さず、捕まえてくれと言っているようなものである。
 この問題のため、プリマヴィスタでの逃亡は限定的な期間――それこそ、たった数時間程度使えればいい、という結論に達せざるをえなかったのだが、ブライアンがその問題のGPSをカットしてくれたのであれば艦を降りる理由はない。このままプリマヴィスタで〈ノウア〉の上空を逃亡し続けたほうが時間が稼げる。
 とはいえ、今日で三日目ともなると、安全のためそろそろ次の布石が欲しい。
 シュリ達を追いかけているのは〈ノウア〉政府であり、ひいては政府を代表するあのダースマンだ。
「外の様子は……?」
「地上のほうはかなり混乱してるな。女王官邸をテロリストが襲撃したって報道はあるが、女王が逃げたってのはどうもマスコミには流してないらしい」
 賢明な判断だ。
 捕まえた半日後に逃げられた、では、政府の面目も立たないだろう。それに、女王の監禁については議会内でも疑問視する声があるはずだ。それを刺激しないためにも世論の調整は必須、もしかすると議会への報告も先延ばしにしているかもしれない。
 この状況にはさすがにあの男も慌てているだろう。……もっとも、あの男を支えている屋台骨が壊れるほどではないだろうが。
「ネット上じゃ色々噂が立ってるみたいっすよ。テロリストが女王を救出したって噂を信じてる人も少なくないっす。女王を監禁する必要はなかったっていう懐疑的な意見も、ちょっとずつ出始めてるみたいっすね」
 それはまずい。
「お前が心配した通り、下手すると〈ノウア〉が割れることになるだろーな」
 渋面でヴィクスが唸った。
 ダースマンを支持するモンスター撲滅派と、女王を信望する者、あるいは女王の意見に賛同する者が集まった女王派と、〈ノウア〉は徐々に二つの明確な線引きがされてしまうだろう。
 それを避けるためにダースマンは女王の速やかな排除を企んだのだ。無論、個人的な意見も含まれているだろうが、彼の場合、どちらかというと大義の方が大きい。私情を挟んでもメリットがなければ妥協できる男だ、彼は。
 脳裏に浮かんだ男の顔をじっくりと睨み返しながら、シュリはこれからのことを考える。
 このままずっと逃げ続けられるはずがないし、逃げ続けるつもりもない。
 女王のこれからを考えるなら、ダースマンと何らかの和解策を講じなければならないだろう。
 レーゼンメーテルが地球に与える悪影響の問題も、今のところ宙に浮いたままだ。
「それと、女王補佐官がこれからどうするのか聞きたがってたから、いまタカが事情を説明している」
 事情とはつまり、シュリ達の事情と、オズマを倒しに行かねばならない経緯だろう。
 オズマ討伐にビッグマムを伴なうと知れば女王は反対するかもしれないが、マムの《コントラクター》だからこそ、これから何をするのか、知っておいて欲しい。彼女にはその権利があるはずだ。
「ニナたちは、聴いた?」
「ウチらはちょっと前にライトから聞いたっす。……さすがにちょっと話が大き過ぎて信じられないのが大きいっすけどね」
 ニナはひょいと肩を竦めた。
「……そう」
 俄かに信じられないのも無理はない。四道が論じた『レーゼンメーテルが及ぼす地球への影響』は、地球イコール異世界がある、という前提がまず必要だ。身を以って知るシュリ達とは違い、〈ノウア〉の民であるニナ達は異世界の存在を言葉の上だけでしか知らない。むしろ頭から否定されないだけマシだろう。
「考えたんっすけど」
 右の人差し指を顎に沿えるニナ。
「タカの話が事実なら、〈バイオ〉での使用のみ制限すればいいんじゃないっすか?」
「そーなるが……」
 彼女の進言に、ヴィクスは苦い顔を見せた。
「オレらプラタが〈バイオ〉まで遠征に行くのは、オズマが〈バイオ〉から〈ノウア〉にモンスターを送ってきやがるからだ。少しでも〈ノウア〉にくるモンスターを減らすために〈バイオ〉で大量のモンスターを叩きのめしてる。勿論〈ノウア〉にモンスが来た後、レーゼンメーテルで一掃するって方法もあるが――」
「――〈ノウア〉には沢山の人が住んでるし、大きな都市もある。〈バイオ〉で使っているように〈ノウア〉でもレーゼンメーテルを最大出力にすれば、それらを巻き添えにする危険性があるよ」
「だな」
 ヴィクスの後をシュリが滑らかに引き受け、ヴィクスは最後に頷きを付け加えた。
 先日、四道から説明を受けた時はレーゼンメーテルの〈ノウア〉での使用なども考えたが、結局それも不可能、というわけだ。出力を抑えて〈ノウア〉で使用しても、相対的に倒せるモンスターの数も減少してしまい、〈バイオ〉で使用するほどの効果は望めない。結果、〈ノウア〉へ向かうモンスターの数も増え、〈ノウア〉の民の危険度をあげる結果になってしまう。
 あちらを立てればこちらが立たず、これでは、到底ダースマンの説得など出来るはずがない。
「結局のとこ、オズマを倒せばいいって極論になるわけだが……」
 ヴィクスの視線が、ちらり、とこちらを向いた。その意味はすぐに分かった。
「……お前……オズマを倒すのにマム使うって、マジか?」
「それしか方法ないと思ってる」
 今のところそれ以外の方法はないとも思っている。
 〈ノウア〉の環境を大幅に改善してくれたガーディアンをまるで神のように崇める〈ノウア〉の民には思いつきもしなかっただろう。
 そもそもこれを一番最初に言い出したのは三好だ。異世界人であり、エオリアを使役するシュリが傍にいたゆえに、彼は思いついたのだろうが、それはあの時、女王に却下された案でもあった。
「でもシュリ、マムはガーディアンとして〈ノウア〉を護ってくれてるんっすよ? ガーディアンは人間と違って限界値が明確で、持っている力以上のことは出来ないから、マムがオズマを倒す余力なんてないはずっす」
 だから無理っすよ、と、あの時の女王と同じように、ニナは首を振った。
 そう――思ってしまう。だから彼女もまた、所詮は〈ノウア〉の民なのだ。
「それは分かっているけど……。前からずっと不思議だったの。エオリアは空気の浄化、ヴァルナは天候の管理をしている。じゃあ、マムは?」
「え……?」
 予想だにしなかった質問なのだろう。ニナは刹那、思考を止め、しかし即座に回帰し視線を彷徨わせた。
 〈ノウア〉をテラフォーミングするため、多くのガーディアンを産み落としたマムは、ガーディアンを統括する以外に一体「何」の仕事をしているのか。
「それは……マムの属性は確か土で、〈ノウア〉の地を支えてるはず……?」
「でも、大地ってマムがいなくてもずっとあるでしょう? ずっと昔……人間がまだ〈バイオ〉に住んでた頃からこの星は存在していたはずだよ」
 それは、地球側の宇宙において、地球と火星が存在していることからも明らかだ。
 ガーディアンの力を借りずとも、星は星として存在できる。ただ火星――〈ノウア〉に人が住むためには、どうしてもテラフォーミングしなくてはならない。〈ノウア〉の民はその部分をガーディアンに頼っているのであって、星の存続そのものには関わらない。
「マムがいなくても大地は確かに存在してるし、土に栄養足したりしてるのはマムとは別のガーディアンだよね? ……じゃあ、マムの仕事って、なに?」
 あえて言葉を切り、強い口調で問うと、答えられる者は殆どいなかった。皆が俯く中、ただ一人、寝台の傍に用意されていた一脚のイスにゆったりと座り、長い足を組むセラフィムだけが口を開いた。
「マムの役目はガーディアンの統括と召喚の制限。つまり〈ノウア〉の環境保全だ」
「あん? どーゆーこった?」
 三好が唸る。
 するとセラフィムは切れ長の瞳を威圧的に三好に向け、無意味に圧倒すると、浅く腕を組んでゆっくり解説した。
「ガーディアンというのはそもそもこの世界には存在しない。おそらくお前たちの世界にもだ。お前たちの世界がこの世界の「隣」に位置しているというのなら、ガーディアンの世界は「上」に存在する、と言っていいだろう。――「上」にはマムクラスのガーディアンが大勢いるが、全てが人間に友好的というわけではない。気に食わないという理由で〈ノウア〉を滅ぼそうとする者、それだけの力を備えた者もいる。そんなガーディアンが間違って召喚されないよう、マムは常に「上」を監視し、召喚されるのを防いでいる」
「そんなこと、簡単にできるのか?」
 王のような威厳を放つ相手にも臆することなく、軽い口調でヴィクス。
 セラフィムはよく通る声でひとつ頷いた。
「できる。「上」に干渉することはマムの力では不可能だが、ガーディアンを召喚しようとする人間、あるいは召喚術そのものに干渉すればいい」
 マムがグローバルネットワークを通じて、あるいは力の全てを投じて〈ノウア〉を監視しているのはそのためだ。
 そう言外で告げ、セラフィムは更に続けた。
「もっとも、それだけのガーディアンを召喚出来るような素養ある人間は少ないがな。――また、現在召喚されているガーディアンはマムの管轄、つまり支配下にある。一部例外もあるが、全てのガーディアンに共通するのは〈ノウア〉の存続が遵奉されているという一点にある」
「……存続の遵奉……」
 独白のように、シュリは口の中で言葉を反芻した。
 つまり〈ノウア〉は、ビッグマムの厳格な管理の下に形容を保っている、と言い換えられるわけだ。〈ノウア〉を人間が生きていける環境を保全するために、マムはガーディアンを生み、彼らを支配した。新たに召喚された者にも〈ノウア〉の保護を優先させた。――それでいて、人間社会には干渉せず、女王が危険に晒されても傍観者を貫く徹底振りだ。
 ここまでくると、人間を徹底的に護ってくれていると痛感する一方で、真綿に包まれているような息苦しさも感じる。
「つまり……マムの力はその召喚の制限に使われているから、人間が一時的に召喚やめちまえばマムを使ってオズマを倒せる……ってわけ、か?」
 速度の遅い言葉運びでおずおずと切り出したヴィクスに、セラフィムは一瞥だけくれて肯定と否定をした。
「召喚の制限は、厳密にはマムの独断にすぎない。人間が召喚を止めずとも、マムがやめればいい」
 ただしその場合、うっかりマムよりも強いガーディアンが召喚される可能性がある。……もっとも、そんなガーディアンを召喚出来る素質がある人間は少ない、とセラフィムが言っていたし、万が一召喚されたとしてもそのガーディアンに〈ノウア〉を破壊するという意思があるかどうかも五分五分だ。
 つまるところ、マムが召喚制限を止めたとしても、〈ノウア〉が危険に晒される可能性は限りなく低い。
「ただ、あらゆる不安要素を排除すべきだと思うのであれば、召喚術の一時使用停止を呼びかけるべきだろうな」
「なるほど……」
 頷き、ヴィクスは矢継ぎ早に次の質問をする。
「じゃあマムの力が使えると仮定して――問題はマムの力がどこまでオズマに通用するかだが……」
 それを明確に答えられる人間は、おそらく〈ノウア〉中を捜しても見つからないだろう。
 デゼスペレ・オズマは、討伐不可能と政府が判断するほどの力を持っているが、実際にその力は如何ほどなのか、ここ二十年は討伐遠征もないので、それは想像に任せるしかない。
 一方、ビッグマムは〈ノウア〉の環境を整えているガーディアンを支配するほどなので相当、とは思うものの、やはりこちらも実際に目にした者はおらず、〈ノウア〉の民の預かり知らぬところで力が揮われていただけに、未知数値ではオズマよりも上だ。
 確実なのは、世界――いや宇宙中を捜しても、オズマに対抗できる力はマムしか持っていない、という一点だ。
 女王の言によると、ビッグマムはオズマが現れた同時期に召喚されていることになっている。それ以後はマムが召喚制限を行っていたはずなので、マム以上の力を持つガーディアンが召喚されているとすればそれ以前になるのだが、そんなガーディアンが召喚されているのであれば、そのガーディアンを使ってオズマなどとっくに倒されているはず。
 結果、人間はオズマに地球を追い出されることなく、また、〈ノウア〉は現在も火星のような姿を維持したままで――。
「…………」
 ふと。
 よぎったのは、なぜその当時の人々――マムの召喚者は、マムを使ってオズマを倒そうとしなかったのか、その疑問だった。
 あるいは実行し、倒せなかったため〈ノウア〉への移住が決定されたのだろうか。今回改めてマムがオズマに立ち向かおうとしているのは、シュリ達という味方を得て倒せると思ったから……?
 ……いや……。
 ――そなたのような者を、妾は永劫、待っておったのかもしれぬ。
 あの言葉……。
 ……倒せなかった、のではなく――…。
 ――倒そうと、しなかった……?
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