MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【39】
 ギュルギュルギュルと、タイヤが路面と擦れるけたたましい音と共に、一台の四輪駆動車が技術開発局の正面玄関に横付けされた。停止よりも数秒早く前後のドアが開き、運転手だけを残して四人と二匹が飛び出す。
 一同は自動ドアが開くのももどかしく受付に駆け込むと、シュリは半ば受付嬢を脅すように面会を要請した。
「ブライアンを!! 彼の研究室はどこですか!?」
「え、ブライアン……主任研究員、ですか?」
 おっとりとした口調が苛立たしい。こんな押し問答する時間も惜しいのに。
「あの、アポイントメントはおありでしょうか?」
 シュリの剣幕に気圧されている受付嬢に代わり、もう一人の受付嬢が口を挟んだ。
「ありませんが緊急の用です! 急いで取り次ぎを!!」
 玄関ロビーの一番目立つ場所で揃いの制服を着た女性二人が顔を見合わせる。
 技術開発局は政府に属した新兵器の開発場だ。技術の漏洩や悪用を防ぐため、当然人の出入り、情報の出入りは厳しく制限されている。それは承知しているが、今はとにかくわずらわしかった。
 ここに秘匿されている技術や情報などどうでもいい。いま大事なのはブライアンだ。
「……申し訳ありません。お約束の無い方は規則でお取り次ぎできません」
 困惑した顔で受付嬢に告げられ、反論すべく口を開きかけた。しかし言葉が出るよりも早く後ろから肩を掴まれる。
「これを。特別許可を貰っています」
 四道が彼女達に提示したのは《ポータル》から立体映像化された通行許可証だった。
 四道は地球へ帰る為の研究をする上で、〈ノウア〉の科学に精通しているブライアンと交流があった。魚心あれば水心なのか、はたまた気が合い友情が生まれたのか、四道はしばしばブライアンの研究室に出入りし、情報を交換してアドバイスをしたりされたりしていたようだ。
 まさかそれがここで役立つなんて。
 本来ならその許可証は四道一人にしか適応されないのだろうが、正式な許可証を提示され彼女達が気を取られた隙を見て、脇をすり抜け強行突破する。
 シュリのあとに三好やヴィクス、駐車を終えたライトの足音が加わり、最後に四道が受付嬢達に「すみません」と一言謝罪を残す声が聞こえた。
「一木さん、五階の右の一番奥!」
 四道の叫びを聞き、丁度人が降りてきたエレベーターに飛び乗る。地球とまるで同じ原理のそれに、あっという間に五人が飛び込むと、扉を即閉め行き先に五階を指定した。
 ぐんぐんと上昇する広めの小箱からは、背面のガラス窓を通して外が一望できるようになっている。研究室に閉じこもりがちの研究者たちを少しでも開放的な気分にさせるための配慮だろうか。
 しかしシュリはオーキッドの町並みには目もくれず、現在の階数が表示されたパネルだけを見、一秒でも早く辿り着いてくれることだけをひたすら祈った。零コンマ以下の時間すら惜しい。実際にエレベーターに乗っていた時間は十秒にも満たなかっただろう。ドアが開くと同時にシュリが先頭を切って飛び出し、その部屋を目指した。
 扉に鍵はかかっていなかった。
「ブライアン!!」
 部屋の中は紙と電子部品で埋められ、清潔感のある白い壁で構成されていた。セラフィムの執務室並みに広い面積、机とイス、お客の応対用と思われる応接セット一式、それから地球で言うところのテレビに該当する立体画像。ツンと鼻につく薬品の臭いは部屋の奥の扉から漏れてきている。おそらくあの向こう側が本当の意味での研究室なのだ。この部屋には研究に必要そうな物以外はほとんど見当たらない。
 そんな質素な部屋に、ブライアンは確かにいた。こちらに背を向けたまま、臨時ニュースを告げる女性キャスターに見入っている。
 五十インチはかたい画面の端には『女王陛下拘束』の世界標準言語[ワールドカバー]が表示されており、画面がたびたび切り替わっては、女王官邸からのライブ映像や最新情報の報告などが報道されていた。
 いまのところ目立った動きはないようだが、ダースマン政府代表が議会内の女王派を牽制する発言があったらしい。また世論調査の結果も用い、五対三対一の割合でダースマンの意見を推進する者、女王の志を尊重する者、どちらでもない者と、大雑把な数字ながらも女王を推す者がいることを強調している。
「……ブライアン」
 声をかけても、男は身じろぎひとつしなかった。
 この位置からでは表情などまるで見えないが、華奢な背中がすべてを物語っている。彼は女王を助けに行くつもりだ。
「――止めないでくれ」
 懇願は、彼の声とは思えないほど抑揚がなく、乾いていた。声が――空気の振動が、荒んだ一陣の風となって、彼を止めようとするシュリを戒める。元から敏い面があったが、空気を司るガーディアンを手なずけてから、一層敏感になってしまったような気がする。
 そうだ。幾多のモンスターと切り結び、風のガーディアンを手なずけたシュリは、間違ってでも学者一貫のブライアンに遅れをとることは絶対にない。それでも怖い、と思ってしまうほど、彼の声音はシュリを怯ませた。
 しかしここで気圧されるわけにはいかない。
「……できない……だめだよ、ブライアン。いま陛下を助けに行けば、陛下を慕ってる〈ノウア〉の民を煽ることになる……! モンスター撲滅を推進する強硬派も黙って見てるはずがない! 真正面からぶつかり合うことになるよ!!」
「ではどうしろと!? ステラの心がこれ以上踏みにじられるのを、ただ黙って耐えろというのか!?」
 悲痛な叫びと共に振り返った彼に、反論できるはずがない。
 このままでは女王はガーディアンとの【後継契約】を無理矢理行使され、女王の座を引きずりおろされるのだ。それだけならまだしも、強制的に【後継契約】が行われれば、女王の精神が崩壊するという。
 女王として誰よりも民を愛した彼女は、その慈愛の片鱗をモンスターにも持ってしまった。ヒトが生きていく分だけ、防衛のためにモンスターの命を奪ってしまうのは仕方がない。だが種族的に対立しあう人間とモンスターでも、共存する道はあるはずだと、愛の心から〈ノウア〉の民を説得しようと試みただけなのに……。
 女王にあえて罪を問うならば、ダースマンに付け入る隙を見せてしまった、その一点を問わねばならない。ガーディアンと契約を結んでいるという地位は、あまりにも影響力があり過ぎる。彼女がモンスター保護の言動を貫くのであれば議会の議員たちも何らかの態度を示さなくてはならなくなるし、彼女と同じく心優しい〈ノウア〉の民の中には彼女に賛同する者も出るだろう。
 ダースマンはそれを恐れていた節もある。〈ノウア〉が真っ二つに裂かれてしまうと懸念したのだ。それを避けるため、迅速な行動に移ったのかもしれない。
 代償が精神的な『死』などあまりにも理不尽な気がするが、「理不尽な死」は〈ノウア〉にも地球にもありふれているし、それが女王という地位と引き換えにしなくてはならない覚悟だと言われると、納得せざるを得ないような空気になるだろう。――ダースマンのあの堂々とした威風でさもありなん的な口調で押し通されれば、国民など草を折るように容易い筈だ。
 そうして彼は今回の一件の正当性を手に入れ、女王派の粛正に堂々と公権を揮える。
 当然、女王を助けようとする者も、その対象になるだろう。
「陛下を助けるのなら、ブライアンだってただじゃ済まないよ」
「だな。官邸はブルーが包囲しているし、中だって相当だろ。ブルーコートっつーのはそもそも町の警備やらが主な任務だから、対人戦闘に関しちゃ強ぇぞ、あいつら」
 そう断言したのは、ブルーコートの内に属するも少々毛色の違う――対モンスターに特化したプラタのヴィクスだった。
 ライト少年もブルーコートで、ヴィクスとは違いプラタには数えられていないが、ここしばらく〈バイオ〉の遠征にばかり送られているということなので、彼もまたプラタ呼ばわりされる日はそう遠くない。
「失礼も承知で言わせてもらうが……あんたじゃ玄関突破も難しいんじゃないのか?」
「こういうのもなんだがね」
 ブライアンの口元に苦笑が滲む。
「私は兵器開発の研究員だ。兵器の扱いには君たち兵士より覚えがあるよ」
 それはある意味怖い。彼は一体女王救出にどんなプランを練っているのか……。まあ、むやみにブルーの命を奪うような真似はしないだろうが。
「君たちの心遣いは嬉しいが、私はそれに甘んじるわけにはいかない。これまで私は何度も彼女を「女王だから」という理由で諦めてきた。だから今度こそ、彼女を助けたいんだ。彼女も待ってくれていると思う」
 ブライアンの言葉には、決意と覚悟があった。
 覚悟――助けたいという、思いの果ての覚悟。
 だが、殺されるかもしれないと分かっていてみすみす送り出すわけにもいかない。なんとか説得を試みようとしたそのとき、ぽん、と、シュリの右肩を三好が叩いた。
「シュリ、行かせてやれ」
「でも……!!」
「男ってのは、惚れた女がピンチになると助けたくなるモンなんだよ」
 肩の手に、少し力が込められる。
「それに――オレらだって女王のダチだろ? お前も後悔するんじゃねぇか? ……マイみたくな」
 その一言が、一番こたえた。
 女王とは、ほんのひととき行動を共にしただけで、特に仲が良いわけではない。身分だって違う。だが嫌いなわけじゃない。むしろ、〈ノウア〉の民を愛する彼女が好きだった。その姿勢は、男でも女でも、人好きしてすぐ友達になってしまう二の宮とどことなく似ていた。
「…………。――わかった」
 おそらくは人生を大きく左右するであろう決断であるにも関わらず、長い時間をかけずに心を決める。
 三好の言いたいことは、よくわかった。四道だって、きっと同じだ。
 ヴィクスやライトを巻き込むのは気がひけたが、セラフィムに指摘されすっ飛んでくるあたり、もはや共犯と断定されて当然だろう。ならば毒を食うなら皿まで、とことん付き合って貰うしかない。
「私達も行くよ、ブライアン」
「……!」
 ブライアンの息を呑む気配がありありと伝わって来た。
 彼の呼吸は常に整っており、それが乱れるのはごく稀だ。女王を助けに行くと宣言した時も一定のリズムを刻んで正確に吐吸が行われていた。だから乱れると、すぐに分かる。
「気持ちはありがたいが……」
「危険なのは重々分かってる。でも私達は女王様に会う前からダースマンと対立してるし、たぶん結果は同じだよ」
 〈ノウア〉政府から追われるのはいささか不本意だが、相手はダースマンと思えば不足はない。
「まあ確かに、逃げ回るのは性に合わないな」
 頼もしいことを言ってのけるのはヴィクスだ。
「……セラに連絡入れておく」
 呆れた調子で、ライト。
「あの男が相手なら、僕も協力を惜しまないよ」
 さりげなく対抗心を燃やしているのは、勿論四道だ。
「いーねぇ、こういうの! 血が騒ぐぜ」
 両の拳をガツンと合わせ、三好。
 そして最後に、この場に居ないはずの「彼女」の声が、柔らかな波となって場を震わせたような気がした。
 ――ここから先は覚悟が必要だよ――
 いつぞやの誰かの口真似は、彼女らしい茶目っけに溢れていた。
 大丈夫。
 だいじょうぶ。
 覚悟の決め方は、あなたに教えてもらったから。
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