MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【38】
 四つ角に差し掛かると四輪駆動車が傾いて角を曲がり、路面との接地面から嫌な音を響かせた。横から強烈なGが圧し掛かって来、シュリの体が車の傾斜に合わせて斜めになる。膝の上のウィカチャも勿論道連れだ。
 ジェットコースターが苦手そうな四道が顔面蒼白なのは無理もないが、アクション映画を好みそうな三好ですら顔を引き攣らせる――つまりはそういう状況だった。
「ララララララ、ライトッ! と、飛ばしすぎだろっ!」
「急いでるんだろ」
 右隣に座る四道が声を裏返して必死に訴えるも、ハンドルを握るライト少年は平然としたままだ。助手席に座るヴィクスもスピードなどまるで気に止めていない。むしろこれでも足りないくらいだと、焦燥でいっぱいの表情をのぞかせている。いったい何をそんなに焦っているのか……。
「っつーか、ライト十四くらいだろ? 免許あンのか?」
 左隣に座る三好が前の座席をしっかりと握り冷静な意見をのたまった。いや、余計なひと言か。
「――――ッッッッ!! おろせー!」
 四道、落ち着け。
 男二人の間にむぎゅうと押しつぶされながら、冷静につっこむ以外に何かすることはあるだろうか。
「軍に入れば一通り訓練は受ける。問題ねえよ。――それより、セラフィムの隠れ家ってのはまだ先か?」
「もう少しかかる」
「……?」
 セラフィム……?
 ヴィクスとライト少年のやり取りに一抹の不安を覚える。二人の上官であり、ブルーコートでも対モンスターのスペシャリストとして名を馳せるセラフィムの名前が出てくるときは、ほとんどあまりよろしくない傾向のときが多い。ヴィクスがシュリ達の「保護者」なら、セラフィムはさしずめ「交番」だろうか。
「そいや、このクルマどこに向かってンだ?」
「近くにセラフィムの「別荘」があるらしいからそこだ。とりあえずセラフィムの懐にはいっちまえば、あっちもむやみに手出しできねえだろ」
「あっち?」
 首を傾げる三好の後に、幾許かの冷静さを取り戻した四道が割り込んでくる。
「そういえば女王陛下がブルーコートに拘束されたんだろう? それとこれといったい何の関係があるんだ? だいたいどうして僕達が逃げなきゃいけないんだ」
「っつか、どうして女王が軍に捕まらなきゃならないんだよ。女王サマがなんかやらかしたのか?」
「ブルーコートが動いたってことは、ダースマンが背後にいるの?」
「いっぺんに喋るなっ!」
 ヴィクスが怒鳴るとは珍しいこともあるものだ。これはそうとう参っているらしい。
「――シュリの読み通り、ブルーが動いたのはダースマンが命令したからだ。んで、ダースマンが女王を拘束したのは、女王がとうとうレーゼンメーテルの使用を批判しちまったからだよ。いや、批判ってほどのこともなかったな……。揚げ足とられたんだ」
 相手がダースマンなら無理もない。あの老獪な政治家なら、シュリ達と大して年齢も変わらない小娘の言質を逆手にとるなど朝飯前だろう。
「モンスターを全滅させたいダースマンと、最低限の攻撃で護りを固めるべきだと主張する女王が、前々から対立していたのはお前らも知ってるだろ? 相手が相手なだけに、さすがのダースマンも手が出せなかったんだが、ここにきて女王がミスってな」
「ソルフェリノの一戦の報告議会で『無暗にモンスターを殺すべきじゃない』って主張した女王を、ダースマンが『モンスターの根絶こそ〈ノウア〉のすべての民の民意』だと反論して、女王陛下を批難したんだ。陛下の意見は民を無視している、民を理解できない人間は〈ノウア〉の女王に相応しくないってね」
 ヴィクスの説明をライトが補足し、状況説明の主導権は再びヴィクスに移行した。
「つまり事実上の不信任案が提出されたようなもんだよ。ダースマンはそのままブルーを動員して女王を拘束。首都の女王官邸に監禁している。……実質、クーデターみたいなもんだな」
 監禁、クーデター……。
 状況は、想像以上に悪そうだ。そもそも相手がダースマンだというから悪い。
「これからどうなるんだ?」
「ダースマンとしちゃ、現女王を失脚させて息のかかった手駒を女王に仕立てたいところだろうから、数日中に女王候補をあげて即時継承、……ってとこだろうな」
「そんなことできるの?」
 〈ノウア〉の女王は血筋によって受け継がれていく前時代的なものではない。〈ノウア〉の環境を維持するガーディアンと契約している者が「女王」と呼ばれるのだ。つまり現在の女王から次代へ継承させるには、ガーディアンとの契約を移行させる【後継契約】を行わなくてはならない。それが、契約の当事者でない第三者の一方的な要求でまかり通るのだろうか。
「ふつーは出来ないんだがな……不信任案が出された時だけは別格だ。【契約違反[ヴァイオレーション]】っつって、外部から無理矢理【後継契約】させることが出来るんだ。ただし」
 語尾に力を込め、ヴィクスの力説は続いた。
「【契約違反[ヴァイオレーション]】には危険が伴う。なんせ無理矢理契約をひっぺがすもんだから、精神がもたねえんだ。新しく契約する方は問題ないが、元々の契約者は……」
 ヴィクスの首が、何度か横に振られる。
 シュリの左右を固めている男たちから、息を呑む様子がありありと伝わって来た。
「そんな……」
「勿論、それを命令するダースマンも批難されるだろうな。だが奴だってそんなのは承知済みだ。だったらいっそのこと、ここで女王に加担する派閥全部潰しとくのが得策だろ? それは予備兵でいながら着実に戦績を伸ばしてるお前らも同じだ。――ってセラフィムが言うもんだからよ、慌てて迎えに来たってわけだ」
 ダースマンのこういうときの行動の早さは折り紙つきだからな。
 荒い鼻息。
 ダースマンがこの先邪魔になるであろう小さな芽をも摘もうと考えたなら、おそらくセラフィムの先見通りになるだろう。あの男を相手にどこまで逃げ切れるかは不明だが、命が惜しいのなら今は逃げるしかない。……だが。
「助けてくれるのは嬉しいけど……ヴィクスもライト君もただじゃ済まないんじゃないの?」
 二人はシュリ達と違ってれっきとしたブルーコートの兵士だ。しかもヴィクスはプラタと呼ばれる対モンスター戦闘に特化した一員に数えられている。寄せられた期待が大きい分、裏切った時の揺り返しは激しい。
「……まーな」
 歯切れが悪そうに。しかし、ヴィクスは吐息と共に肯定した。
「けどオレはお前らの「保護者」だかんな。見捨てられるわけねーだろ。……それに、今回のダースマンはいくらなんでもやり過ぎだ。女王陛下が目の上のたんこぶなのは分かるが、【契約違反[ヴァイオレーション]】を適応するほどのことじゃないはずだ」
「どうかな」
 低く呻くヴィクスの独白を、快調にハンドルをさばきながらライトが訝った。声音には僅かだが批難も含まれている。
「女王の言い分は単なる理想論だ。命は平等に大事だなんてただの綺麗事だろ。家族や友達を亡くした人たちに通用するわけない。アンタ達だって友達失くしたんだから分かるだろ?」
 少年の指摘は鋭くシュリ達の急所を射抜いた。
 三人そろって、言葉を見失って視線を彷徨わせる。
 ――正確には、シュリ達が彼女を失った理由はモンスターではない。シュリの不注意と彼女の親切が直因であり、彼女の命を直接奪ったのはレーゼンメーテルだ。だがあの作戦に参加していなければ彼女は失われずに済んだわけで――原因を延々と突き詰めれば、モンスターの存在に行きつくわけで。
 モンスターを憎む気持ちは、ないといえば嘘になる。
 三好にも、四道にも、それは当てはまるはずだ。
「……だけどやっぱり全部滅ぼしてしまうっていうのはやり過ぎだと思う……」
 憎んでいるからと、何をやっていいわけではない。
 〈ノウア〉の人々がモンスターを憎むのは当然だ。彼らはモンスターの脅威によって本来の故郷である〈バイオ〉を追われ、この地に来ざるを得なかった。ガーディアンの協力のおかげで〈ノウア〉の生活に支障はないが、定期的に〈バイオ〉から送られてくるモンスターによって死んでいく人々がいる。恨みの連鎖が〈ノウア〉の人々を侵食している。
 しかし見方を変えれば――異世界の住人であるシュリが客観的に見れば、モンスターも含めてこの世界――いや宇宙は成り立っている。
 地球側の宇宙には向こうなりの生態系があるように、〈ノウア〉側の宇宙にはこちらなりの食物連鎖が完成されているのだ。
 それは壊すべきではない。モンスターは絶滅すべきではない。
 その理由を、シュリは痛いほど知っていた。
「……私達がいた元の世界はいま、最悪な食糧不足が起きてる。世界規模でもう何年も不作続きで、国民のほとんどは国の配給に頼ってるの」
 消え入りそうなほどに細い声で綴ったのは、今まで避けてきた話題だった。
 だが同郷の男たちは止めようとはしない。いまこの場に必要なのだと暗に告げられている気がして、シュリは続けた。
 前シートに座る二人の意識がこちらに向けられるのが分かった。
「家畜の餌の輸入を除けば、食料自給率って殆ど百パーセントに近かったんだけど、それでも全然足りないほど困ってた。小さな家庭菜園ですら収穫前の野菜が盗まれるくらいに……。回復の目処は立たないまま何年も過ぎて、餓死者が急増し始めると、政府は緊急対策案として「ノア法案」を可決した」
 それはまさに「緊急」の名に相応しい内容だった。
 全て、という選択は不可能。故に、有利な少数を選ぶ。
 学力テストと遺伝子検査により「優良」と判断された十三歳から十八歳までの少年少女を一地域から一人選出し、政府が用意した国立学校に収容して、優先的に食料を与える。「選出」された子ども達への食糧は、選出された地域への配給分を使う――つまり、地域への配給を終了するという法案だ。
 無論、多くの反発と反論があった。人を護るべき国が、人を切り捨てるのだから。
 だがそうせねばならないほど切羽詰まっていたのも事実だ。食糧不足は飛行機などの輸送経路を使って各先進国にも飛び火しており、どの国も自国を保つだけで精いっぱいだった。そんな中、他国からの援助など当てに出来る筈がない。かといって、国内の総生産量はまるで追いつかない。そして結論を急がなければ、手遅れになりかねない。
 国の判断は史上最短の時間で決断を下したのだから、その点は褒めるべきかもしれない。
「……『学校』に収容された日の夜……初めての食事で……みんな泣いてた」
 あの嗚咽は、いまも耳に残っている。
「――そうなった原因は、このくらいの、小さなカエル」
 右手で二、三センチの隙間を作って見せる。
「そのカエルが絶滅したせい。そのせいで、カエルが餌にしていた害虫が大量発生して、対策も間に合わないまま、農作物を荒らしまわったの。穀物を餌にしていた家畜は当然餌を与えられず、肉類も食卓から消えた」
 坂の上の石ころは何の力も加えられなければ制止したままだ。だが一度転がってしまえば、加速しながら落ちていく。
「……本来なら私は、ここにはいなかった。本当に選ばれたのは、私の双子の妹。でも収容される直前に事故で死んで……。両親と幼馴染が嘘をついて、私が代わりに『学校』へ送られたの」
 助けようとしてくれたことは嬉しかった。だけど同時に悲しかった。山奥の小さな村では、配給を絶たれれば食料を得る手段などまるでない。「選別」された人間が学校へ収容されるということはつまり、地区に住む両親や幼馴染を見捨てることと同義だったのだ。
「――僕も、同じだ」
 重い沈黙を割り口を開いたのは四道だった。
「本当なら僕は、選ばれるほど優秀じゃなかったんだ。……それをあの親父が……権力に物を言わせて、正当な選別者から強引に席を奪ったんだ……! なにが総理大臣、だ!! 自分で決定を下しておいて!!」
 父親への呪いと、慟哭を吐きだした四道は、最後に「僕さえいなければ別の誰かが助かったんだ」と洩らした。
 選別の際には、ありとあらゆる不正や隠蔽が横行した。それは当然といえば当然で、一部では黙認されているとマスコミも絶えず報道を繰り返していた。
 シュリがそうであったように、四道もまたその一人だったのだ。
 彼が常に優秀であり続けようとするのは、あの、凄まじいまでの執念は、本来選ばれるべきだった誰かへの償いなのだろうか……?
「……オレは、そういうのは、なかったけど……」
 目を細め、三好の喉から低い声が響いた。
「……弟が、いたんだ。歳が離れた。……まだ小さくて、選別の中には入ってなかった。……オレは、あいつを置き去りにして、学校に……」
 途中で言葉は潰え、三好は両手で顔を覆った。奥歯を噛み締める音が聞こえる。彼にとってその弟がどんな存在だったか、聞くまでもない。
 悲しくて辛くて。それが当たり前の世界。小さなカエルが世界にもたらしたのは、種族滅亡の怨嗟の呪縛。
「……だから、どんな生物でも、絶滅だなんてやり過ぎだと思う。私達は、ダースマンのやり方には賛成できない」
「…………」
 返答はなく、ただ沈黙が車内を満たしていくのはしかたがないことだ。
 こんな話を聞けば、誰だって気分を害するだろうし、シュリ達とて触れられたくない記憶をまさぐるのだから落ち込みもする。モンスターが闊歩すること以外では何の問題もない〈ノウア〉に、地球の現状など何の関係もないと思って、今日まで誰も故郷のことなど話題にしなかったのだ。
 粘度が増す一方の車内に、たっぷりの時間を要し、ヴィクスが小さく「……そうか」と言葉を落としたのは、ライト少年が交差点を右へ曲がり四輪車を数十メートル走らせてからだった。
「――だったら尚更、どうにかしねえとな」
 優しさを含んだ声音が胸に染みる。
 ダースマン同様、ヴィクスも異世界の存在を頭から信じているわけではない。地球と同じく〈ノウア〉でも異世界などという存在は科学的に解明されていないのだ。
 だが彼は人間を信じている。シュリ達を信用してくれている。だから彼は異世界を信じ、シュリ達の主張を受け入れてくれた。
 彼にはいくら感謝を尽くしても足りない。そもそも彼がシュリ達を拾ってくれなければ、〈バイオ〉で野たれ死んでいただろう。
「なあヴィクス、女王様が捕まったことは、マムも知っているんだろう? マムは何も言わないのか?」
 シートから少し腰を浮かし、身を乗り出すように四道が問うた。
 ビッグマムや、マムが生み出した〈ノウア〉の環境改善ガーディアンはすべて、女王と契約を交わしている。女王はマムにとって召喚者ではないものの、れっきとした契約者《コントラクター》なのだ。
 その女王が危険な目に遭おうとしているのに、あの慈悲深いガーディアンが黙っているとは思えない。ガーディアンの母たる実権をかさにすれば、たとえダースマンといえど怯まざるを得ないような気がするのだが……。
 しかしライト少年がハンドル操作の合間に首を横に振った。
「マムは政治にクチを挟まない。――生物が生きていけるように星の環境は整えても、その上に形成される社会システムは人間が仕切るべし――ってのがマムの持論だ。ガーディアンに、オレたち人間が逆らえるはずないだろ? マムが口を添えるっていうのは、実質マムが政治を動かすも同然だ。そんなの人間が社会を作ってる、とは言えないから」
「……成程」
 困り顔で四道は納得する。
 確かにマムらしい信念だ。だがこの場合、あまりよろしくはない。
 ならば……マムの助力が得られないのなら、そのほかの力……。たとえば、女王を推奨する〈ノウア〉の民の反対意見などはどうだろうか。
「〈ノウア〉の人は、女王様の意見をどう思ってるの?」
「〈ノウア〉の民は皆陛下を尊敬している。陛下の意見も一理あると分かっている。だけどみんなモンスターには少なからず恨みを持っているから、取り立てて陛下を推す人は少ないし、ダースマンが目を光らせているから議会でも大っぴらに賛同する人も少ない」
 ヴィクスよりも政治に詳しいらしい少年は、シュリの質問に的確に答えてくれた。
 つまり、声を揃えてくれる人は多くはないがいないわけではない。声をあげないだけで、女王の主張の理解者は意外と多い、ということだ。
 彼らの行動に制限をかけているのはダースマン政府代表で、議会は元より民意の自己主張をも牽制しているらしい。彼の睥睨が民を縮こませる姿がありありと想像できる。
 だがそれでも、女王の解放を叫ぶ人はいるのではないだろうか?
 たとえば、女王を信奉している人。たとえば、女王に近い人。肉親や、それから――
「―――…」
 まずい。
 反射的にシュリは席を立ち、運転席と助手席の間に胴体をこじ入れて叫んでいた。
「ライト君、方向変えて! 開発局に行って!!」
「え?」
「早く!!」
「なんで……」
「止めなきゃ、ブライアンを!!」
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