MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【35】
 死、とはもっと、順番をたどって巡ってくるものだと思っていた。
 遠い血縁や、遠い知り合いから、やがて身近な親類へ、祖父母、両親、やがて友人や兄弟へと訪れ、死が徐々に近付いてくるのを感じ取りながら、少しずつ覚悟を強いられるのだろうと思っていた。
 だが違った。

 眠れなかった。体はだるく、瞼も眠りを求めて閉じてしまうのに、記憶がそれを許さない。
 就寝前、突然二の宮が部屋に来て、夜中まで話し込んだことがあった。――ベッドに入るなり、そんなことを思い出してしまったからだ。
 思い出は部屋の中だけではない。
 一緒に食事した食堂にも、つい長話をしてしまった廊下にも、寮を出た表では三好の重力制御にはしゃぐ彼女の幻影を見、町に出れば新しいショップに妙に詳しい彼女の幻聴が聞こえた。
 生活の端々に彼女の存在が淡く浮き彫りになり、彼女がシュリのなかでどれだけを占めていたのか思い知らされる。
 日常の何もかもに覚悟を――興味を抱かなかったせいで、シュリは結局最後まで彼女を一度も真正面から取り合わなかった気がする。……もっと早く、ひとりの人間として対等に向き合い接していれば、もう少しまともな友達になれたのではなかっただろうか。もう少し心を開いてさえいれば、唯一の異世界の女友達として彼女の寂しさを和らげてあげられたのではないだろうか……。
 息が詰まるような苦しさに目頭が熱くなり、嗚咽を堪えることによって痛みは更に増す。
 いったい何度こんな夜を過ごしただろう。いったい何度こんな夜を過ごせば、この鈍い痛みは乾いた思い出になるのだろう……。
 濡れた枕に顔をうずめ、必死にもがいていると、不意に物音が耳を掠めゆっくりと頭を上げた。
 バンっ、という、何かを叩きつける音。
 悲鳴のような男の声――三好?
 不審が募り、言うことをきかない体をのろのろと起こして部屋を出ると、右手側の何メートルか先に三好と四道の姿を見た。
 その声は四道を呼びとめる、というよりも、先行して殴りかかっているようだった。
 駆け足で四道に追いついた三好は、そのまま腕を伸ばし四道の胸倉を掴む。
「どういうことだ、テメェ!」
 遠慮のない胴間声が廊下全体に響き渡った。これでは他の部屋の住人に丸聞こえだが、三好はそれをまるで気にしていない。完全にキレている。
 四道も四道で、粗方整った顔にはあからさまに「鬱陶しい」と書き殴っており、それが一層、三好の神経を逆なでていた。
 二人ともクリスタルキューブは発動していないものの、ほぼ臨戦態勢同然の状態だ。
「ふっざけんなよ……! オレがマイのこと分かってねぇとでも言いてぇのか!? だったらテメェのほうこそどうなんだよ! 毎日毎日研究研究ばっかやって、テメェなんかよりオレのほうがよっぽどマシじゃねぇか!! テメェ……それでホントにマイのこと想ってたのか!?」
 三好の慟哭で大方の事情は掴めた。
 合同葬儀から既に数日が過ぎたが、あんなに明るかった三好は人が変ったように部屋に籠って一日の大半を寮の自室で過ごしている。
 一方、四道は葬儀から一日過ぎるとすっかり人格を取り戻し、以前通り、研究に没頭する日々を続けていた。
 二人のあからさまな生活の違いが、互いに疑念を抱かせていたのだ。なにがきっかけかは知らないが、ここにきてそれが爆発してしまったらしい。
 気持ちは分かる。部屋に籠っていても、いつも通りの生活をしていても、二人はずっと、いつも以上にピリピリと神経を張り詰めていた。二の宮のいない日々を、二人はぎりぎりのところで生きていたのだ。きっかけがどれだけ些細であろうとも、爆発には十分過ぎるほどだったはずだ。
「マイのこと、好きじゃなかったのかよ!!」
 襟首を掴んで力任せに詰め寄り、三好は四道の背中をを壁に叩きつけた。痛そうな音が廊下に響く。
 いつもならこの辺りで二の宮が仲裁に入っていたが、彼女がいない今、二人を止められる者は誰もいない。寮の他の住人は、面倒を避けたいのか、シュリ達と同じように友人や恋人を亡くしそれどころではないのか、誰も部屋から出てこようとはしない。必然的に二人を止める役はシュリに回ってくるのだが、それはあまりにも荷が勝ち過ぎた。下手割り込めば火に油を注ぐ嵌めになるかもしれないと考えると、情けないことに、脚がすくんで動けなくなってしまう。
 二の宮がいれば……。
 今まで何度も考えた「もしも」をまた胸中で呟くが、その願いは叶えられない。
 それはケンカをするたびに二の宮に止められてきた、あの二人も同じだろう。
 怒髪天で怒り顔を振りまく三好も、しかめっ面でそれを甘受する四道も、表情のどこかに大き喪失を隠し持っていた。外見も、性情も、何もかも対称的な二人だというのに、今だけはその表情が双子のようにそっくりに見える。
 あまりにも痛々しかった。
 早く止めてやるべきなのだろうが、どうやって止めればいいのかまるで分からない。二の宮はいつもどうやって仲裁に割り入っていただろう。どんな風に声をかけて二人を宥めていただろう。――毎日見ていた光景のはずなのに、何一つ思い出せないのだ。
 覚悟なく日常を過ごしていた代償がこれだ。日々の「あたりまえ」を事務的に捉え、何の疑問も感慨もなく流してきた。
 切羽詰まった状況と数日の睡眠不足が祟っているとはいえ、何の対策も思いつかないのはシュリの記憶の欠落が決定的なのだ。
 動揺と混乱がいちどきに襲って来、何も出来ず立ちつくしていると、おもむろに四道の手が動き、襟を掴む三好の両手首を掴んだ。そのまま手首をそれぞれの外側へ捻り、筋の痛みに三好が気を取られた隙を狙って逆回転させる。
 三好の体はその回転に合わせ、ぐるん、と大仰に一回転した。染みついた本能で受け身を取ったため怪我ひとつなく――だが少々無様に尻もちをつくように着地した三好は、あっけにとられた表情で四道を見上げた。
 逆光が彼の表情に暗い翳を落とし、陰惨な気配を添わせる。
 死人のように一切の感情を削ぎ落とした表情からは、彼の思考はまるで読めなかった。
 気圧されて、士気を落とす三好。
 シュリも同じく息を呑むと、四道はその面に表情を回帰させ、苦しそうに顔を歪めた。
「好きだった」
 ……聞いてはいけないものを聞いてしまった気分だった。
 この場に二の宮がいれば、と、今までで一番強く願う。この言葉は本来、彼女が聴くべき告白だったのに。
「だからこのまま涙に暮れてろって? そんなの、彼女が一番望んでないだろ。自分が死んだせいでみんな眠れもしないなんて……そんなの道連れにしたも同然じゃないか」
 彼女はそんなこと望まない。
 きっぱりと、四道は言い切った。
「前に進む方法を捜せって言うよ。だから僕はそうした。……お前はなんなんだよ。ひとりでいじけて、僕に八つ当たり? いいかげんにしろよな!」
 四道にしては珍しい一喝だった。苛々混じりの嫌味や三好とのケンカで彼の叫び声は何度も耳にしたが、この声は違った。邪悪を払う破魔弓のような清らかな一閃が三好の中の二の宮を呼び起こしているように聞こえる。
「それに……毎日泣き暮らすだけが、悲しんでるってわけじゃないだろ。たとえ手を合わせてなくても、僕はずっと彼女を悼んでいるよ」
 三好の表情が、これまでと明らかに変化したと気付いたのだろう。四道は息を吐き、それまでの感情を振り切って声音を改めた。
「――話があるから、落ち着いたら部屋まで来て。一木さんも。瞼の腫れ、蒸しタオルで温めたら治り早いから」
 いつもの調子できびきびと指摘すると、四道はそれ以上語らず、さっと身を翻して自室に戻って行った。
 取り残された二人は、さほど遠くない四道の部屋の扉をしばらく見つめ続けた。
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