MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【34】
 ――葬送の鐘が鳴る……。
 魂が昇華され、天上へと導かれる。
 オーキッドの町に、哀惜の波紋が広がっていく……。


 正午前。荘厳華麗な教会の、後ろから三列目の席。
 前方では何人かが泣いていた。すすり泣く声に引き寄せられ貰い泣きする人もいた。
 集まった人は全部でおよそ三十人ほどで、広い教会内では少なく見える。全員が全員、黒の礼服、あるいは青い軍服に身を包んでおり、打ち揃って沈んだ表情を見せていた。
 その中にあって、シュリ達だけはいつもの高校の制服を着ている。正式な軍人ではないため軍服は支給されていないし、手持ちの服に礼服がなかったからだ。とはいえ、そもそも大学以下の学生の礼服といえば制服なので礼儀にはもとってはいない。……ただ、それは日本で――地球でのはなしで。ここは〈ノウア〉で。
 場に相応しいはずのジャケット姿が、滑稽なほどに浮いて見えた。
 それを、誰も、何も質そうとはしないのは、いまはそれどころではないからで……。
 鈍い痛みが疼き、胸元を握り締める。
 ……どうしてこんな場所にいるのか。
 自問し、自答する。
 四人がけの席に、三人しか座っていない。――だから、だ。
 同じ制服が、三人分しか見当たらない。
 見ているこちらが気になってしまうほどの短い丈のプリーツスカートが、ない。
 丁寧にネイルが施された指先が。
 くるくると表情を変える、あの顔が。
 ――ひとり分だけ、空白になっている。
 どうして、と、唇を噛んだ。眼球の奥から湧いてくる熱を、わななきながら無理矢理くい止める。
 どうして、どうして。
 そう、あのとき、どうして油断してしまったのか。戦場から抜け出せた安堵もあった。想像を絶するレーゼンメーテルの攻撃に気を取られてもいた。
 気を緩めたりせず、もっと周囲に気を配っていれば……。
 ――いや――それ、以前に――この作戦に参加したりしなければ――。
 だが今回の作戦に、シュリ達は予備兵として召集された。軍規が適応される予備兵が、特別な理由なく軍務を拒否することはできない。そして召集されたあの時点で、拒否する理由は誰にもなかった。
 ――だったら予備兵にならなければよかったのだ。
 だがあの状況でそれは可能だっただろうか。ヴィクス達と一緒にいるためにはダースマンの条件を呑むしかなかった。一般人として住民権だけ認めて貰えれば良かったのだろうが、あの時のシュリ達は〈ノウア〉のことなどまるで分からず、親切なヴィクスとぶっきらぼうでも世話を付き合ってくれるライトから離れがたかった。
 せめて、頃合いを見計らって予備兵を辞めていれば……。
 一般人となって、ヴィクス達とはただの友達として過ごしていれば――。
 そう――そうすれば、よかった。
 予備といえど、軍人になには、あまりにも覚悟が足りなかった。
「……っ」
 覚悟。
 初めて訪れた海沿いの町で、武器屋の主人は言った。
『ちゃんと腹据えてるか? ……覚悟を決めて戦っているか?』
 予備兵になると決まった時、ヴィクスは言った。
『ここから先は、覚悟が要るぞ』
 ――覚悟。
 軍人として戦場に立てば、いつか命を失うかもしれない――覚悟。
 自分が死ぬかもしれない。
 仲間が死ぬかもしれない。
 その現実に対して、あまりにも心が足りなさすぎた。
 どこかでタカをくくっていたのだ。クリスタルキューブはシュリ達に力を与え、多くのモンスターに立ち向かう力を与えた。時に人間としてのポテンシャルまでもを底上げするキューブに酔って、「なんでもできる」と思い込んでいたのだ。
 苦戦を強いられたモンスターもいたが、死を匂わせるほどではなかった。
 これまで、戦闘によって死んだと聞いた軍人は多くいたが、実際にこの目で見たことは一度もなかった。
 だからあの時――オリアンタリスが一般兵を噛み砕いた時、怖れが生まれたのだ。
 その怖れが、オリアンタリスから離れたことによって、いつも以上の気の緩みを招いてしまった。
 そしてそれらは、戦うことに限ってのはなしではなかった。もっとたくさんのことに、何の覚悟もなかったのだ。
 その他大勢に流されるように毎日授業を受け、その他大勢に流されて大学受験に臨んでいた。
 〈バイオ〉から〈ノウア〉に来ても、それは変わりなかった。
 心を伴わない日常だったから、地球へ帰ろうとも思わず、何の固執もなく、簡単に切り捨てられたのだ。
 そして、それは。
 ちらり、と、左隣の様子をそっと窺った。近い所に四道の、少し離れたところに三好の横顔がある。どちらも深く傷ついた顔をしており、どちらも深厚な後悔に苛まれているようで、唇は真一文字に結ばれ、眉間にはしわが寄っていた。
 覚悟がなかったのは、この二人も同じだ。日常への心のあり様はともかく、戦場に立つ軍人としての心構えが無かったのは事実。二の宮を失ったことに寝食を忘れるほど打ちのめされた姿を見れば、この二人もシュリと同じだけ後悔しているんだと直ぐに分かる。
『〈ノウア〉のみなさん』
 聴き覚えのある声は、斎場の正面――遺体なき棺の上部に展開されたホログラフィックモニターから発せられたものだった。グローバルネットワークで中継されているため少しデジタルがかった声音だが、凛とした張りだけは肉声と殆ど変わらない。
 女王、ステラ。
 〈ノウア〉の環境改善を担う重要なガーディアンたち全てと契約をしている、この〈ノウア〉の要。そして、〈ノウア〉の象徴。
 戦死者の家族が住む街々をグローバルネットで仲介し催される大規模な合同葬儀に、彼女が姿を見せるのは何ら不思議ではない。むしろ、政府代表ダースマンが白々しい悔みの向上を述べるより、彼女の沈んだ暗い顔のほうがよっぽど葬儀に似合いだと思った。
 ぶにゃー、と、膝の上のウィカチャが不機嫌そうな声で鳴く。
『みなさんに、悲しいお知らせを届けてしまうことを、大変残念に思います』
 途切れがちなその声は、決して演出などではない。
 彼女はそういう女性だ。見ず知らずのブルーコートや予備兵たちの戦死を、誰よりも悼んでいる。二の宮とよく似た、優しい気質。
『今まで、多くの葬儀があり……私達はそのたびに、心を痛めてきました。……その連鎖を止める手立ては、今のところ、ありません。……耐えなければならない痛みです』
 言葉を選んでいる。
 気付いてしまって、シュリは眉間のしわを一層深めた。
 彼女はモンスターの殲滅を推奨するダースマンとは違って、攻撃よりも防御を推奨している。身を守り、死なないこと。勿論、その範囲ならば攻撃もやむなしだが、全てのモンスターを根絶やしにする必要はないと考えている。
 だが〈ノウア〉の住民のほとんどは、モンスターの排除を願っているのだ。
 誰もが観ている合同葬儀のライブ放送中にうっかり本音を漏らせば、多くの人が批難の声を上げるだろう。葬儀も台無しになる。
 そんな彼女の配慮がなによりも痛ましい。
 悲しみに心が震えているときくらい、政治的な背景など考えず、素直に気持ちを吐露させてあげられればいいのに、単なる予備兵では、そんなことなど出来るはずがない。
 それにもし、二の宮がレーゼンメーテルではなく、シュリの不注意からではなく、オリアンタリスとの戦闘中に――あるいは、それより前の他のモンスターとの戦いの最中に死んでいたら?
 それでも、今の彼女の配慮を、素直に受け止められていただろうか。
 ダースマンと同じモンスター根絶派になって、女王の言葉を否定していたのではないだろうか。
 その可能性は、十分有り得た。
 今だって、女王をいたわる一方で、憎しみの一片が心の片隅でもがいているのだ。
 モンスターがいなければ、予備兵などという制度はなかった。ヴィクス達も軍人ではなかったかもしれない。もっと平穏な〈ノウア〉の生活が望めたかもしれない。二の宮は今でも笑っていたかもしれない。
 潰えてしまった可能性に追い縋る自分がいる限り、モンスターの排除を願う自分がいるのだ。
『――ほんとうに……こんな……』
 声がかすれ、途切れが深くなったことに気付き、シュリは思考を打ち切ってモニターを見た。
 女王は泣いていた。
『わたしが……代われたら…………いいのに……』
 ――覚悟が足りなかった。
 そのせいで、死んだ人がいる。
 女王に、こんな泣き顔をさせているのは……自分なのだ。
「……っ」
 耐えきれなかった。
 涙が伝染して、目から熱い滴があふれ出てくる。
「きゅぴ……」
 傍らのエオリアがシュリの頬に触れ、膝の上のウィカチャが寄り添うように上肢をすりよせて来た。
 頬の涙をぬぐってくれたエオリアは、そのままつい、と天井近くまで上昇し、シュリもその姿を追って視線を上へ向ける。そこには、たくさんのエオリアと、妖精のような他のガーディアンが天井を漂っていた。
 ガーディアンの母たるビッグマム同様、他のガーディアン達にも心はある。人間の悲しみを敏感に感じ取った彼らもまた、死者を悼むため葬儀に参加していたのだ。
 エオリアと妖精姿のガーディアンが手を取り合い、蛍のような小さな光を生み出したかと思うと、ひらひら、ひらひらと、花びらが降って来た。次から次へと、色とりどりの花びらが、一つ舞い降り、また一つ舞い降りてくる。
 散華。
 斎場のすすり泣きが一層大きくなっていく。女性も男性も関係ない。大き過ぎる喪失に悲鳴を上げる心を開放する。
 〈ノウア〉中から同じ悲鳴が聞こえた気がして、また涙が止まらなくなり、瞳の中の涙の海で視界がぼやけてしまう。頬を伝う涙も、目じりのそれも、拭うほどの気力もなくて。
 降り注ぐ花びらに、そっと、心を任せた。
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