MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【25】
 テラコッタの朝は早い。
 日の出と共に住人は目を覚まし、女達は畑の野菜を収穫し、子どもたちは鶏の卵を回収する。男達は朝の見回りだ。《ホグス》に囲まれ安全は確保されているとはいえ、実験機ゆえに保障はなく、日課となっている見回りは続けているらしい。ブルーコートが在中している今は、彼らも伴って武器を取り、村の周囲を確認して朝食が出来上がる頃に戻ってくる。
 朝餉を終えた後は、労働の時間で、子どもたちは学校へ。村の中心部に設けられた建物に、片手で数えられる程度の子どもが集まり、教員免許を持つ村の女性が教師代わりとなってグローバルネットワークを教科書代わりに勉強を教える。昼餉を自宅で済ませ、午後の授業を終えると、帰宅したその足で友人と合流し、陽が落ちるまでの数時間、宿題も忘れて庭と同意義の村内を駆け回る。
 喧噪とは無縁の世界の片隅で、繰り返される穏やかな日常。
 平坦な土地の先には高山であることを思い出させる崖や、野生の動物が棲む林などがあるが、潤沢な水に育まれた高原は村人が住むには不便がないようだ。村の近くには水源もあり、食料は自家栽培で事足りる。住人も無欲で、これ以上を望むことはない。
 ガーディアンによるテラフォーミングとはつまりこういうことなのだろう。人間を許容するために作り変えられた星。美しく、生きた緑が、ヒトを受け入れて循環する世界……。
「なーにしてんのっ?」
 ぽん、と肩を叩かれ、シュリは後ろを振り返った。
 声の主が二の宮であることは、事前に気配で分かってる。
「手伝い、終わったの?」
「うん、後は煮込むだけだって。今日はシチューだよ」
 村の女性達に混じって夕食の手伝いをしていた彼女は、味付けに奮闘した夕食準備の光景を説明しながらシュリの隣に座った。
「シュリちゃんはここで何してるの?」
 一木さんからすっかりシュリちゃんが馴染んでしまったことを苦笑しつつ、もう一度真正面の風景に目を移す。
 崖向こうに落ちる夕陽を真正面に、赤く染まった村が一望できるこの場所は、夜が更けると恋人達の逢瀬の場所として使われている。許された僅かな時間を重ねる二人には申し訳ないので、夜にここに来るわけにもいかず、こんな中途半端な時間になってしまったのだ。
「……明日帰るから、ゆっくり見ておこうと思って」
「そっか……」
 一つ頷き、沈黙し、二の宮は再び口を開いた。
「綺麗だよね。あたし、緑がこんなに綺麗な色をしているなんて知らなかった。今まであちこち見たけど――ウルトラマリンの野原とか、ジョンブリアンの大きな自然公園とか。全部、綺麗だった」
「……ん」
「きゅぴーぃ」
 傍にいるエオリアと共に、小さく首肯し、肯定する。
 野原の緑の絨毯、巨大なビル群のモノリスに色を添える街路樹。
 例え記憶の中でも、それらの色は鮮やかなままだ。
「――…あれ」
 ふいに、二の宮が立った。視線が彷徨っている。不安のような、焦燥のような、不確定な何かが表情の上で揺らいでいるようだ。
「どうしたの?」
「……何か……。――なん、だろ。ざわざわする」
 胸元をそっと手のひらで押さえる。
 彼女が何を指し心を泡立たせているのか、シュリには分からなかった。視認出来る範囲内にモンスターの影はない。クリスタルキューブを得て敏感になった感覚も、脅威らしき存在はないと告げている。
 だが二の宮のこの表情――とても嘘をついているとは思えない。
「ニナ、私達の周囲に何か変わったことは?」
『モニターには何も映っていないっすよ。ちょっと待つっす、少し広域に……』
 耳に装着したインカムでやり取りする。
 異常はない。ならば二の宮のこの焦りは何が原因なのか……?
『……いや、待つっす! 敵シグナル発見! 距離三千!! そこに近付いているっす!』
「「!!」」
 一気に緊張が走り、シュリと二の宮は強張った顔を互いに見合わせた。
『どこからだ!? 方向は!?』
 三好の声だ。シュリ達からは離れた広場で子どもたちの遊び相手をしているので、その声は肉声ではなくインカムを通じて耳に入る。
『東っす! 太陽の真反対っすよ!!』
 つまりシュリ達の背後だ。
 背中を筋張らせてエオリアと共に戦闘態勢をとるも、それらしき物影は見当たらない。村の向こう側は細い幹をうねらせる木々で構成された林だ。木に邪魔されて見えないだけとも考えられる。
 その手前には、村との境界を明確に示す《ホグス》が浮いている。剥き出しのパーツで組み上げられた球体を見、シュリは怪訝に眉を寄せた。
 《ホグス》に阻まれ、モンスターは村の内側には入れない。目には見えないが、あのらの間にはモンスターかそうでないかを判別する電磁波の壁があるのだ。
「…………」
 ――その壁は、一体どこまで伸びるのだろうか。町の周囲に巡らされた《グス》から《ホグス》までの距離はおよそ数十メートル。これが適正距離なのだとすれば。
 頤を上げ、上空を見上げたシュリは眉間のしわをさらに深めた。
「四道君、《ホグス》って上空までカバー出来るの?」
『《ホグス》の有効範囲は《ホグス》と《ホグス》に挟まれた範囲内だけだ。上空まで含めたいのなら、空に《ホグス》を浮かべる必要がある』
 けれど現段階では不可能だ。飛行高度が足りず、地上でしか活用できない。だからこそ、飛行タイプモンスターがいないその地域が実験場所として選ばれたんだから。
「――じゃあ」
 自発しながら、声の硬さを自覚する。
「地下――は……?」
 四道の焦りの息継ぎが聞こえた。
 テラコッタは水が豊富な地域だ。そのため、水を好むモンスター、あるいは、水に棲むモンスターが出現する。空を飛ぶモンスターは居ないので、上空の警戒は必要ない。だが、水に棲む者は、水に潜ることが出来るのだ。
 そしてこの辺りには地下水脈がある。もし少しでも知能のあるモンスターが、それに気付いたとしたら。
「ジンクン、子ども達を安全な場所へ!! 村の人たちも逃げるように言って!」
『分かった!』
 二の宮の素早い指令に三好が力強く頷いた。
 敵との距離は長くはない。避難は間に合うだろうか。
『マイ、シュリ、そのあたりの土地は土が硬くて水棲モンスターでは突破できないっす。どこか、水脈の出口や切れ目があるところで出てくるはずっす!!』
「井戸、ね」
「急ごう、シュリちゃん!!」
 二の宮に促され、二人は殆ど同時に駆け出した。
 村で唯一の井戸は、ランダムに建つ民家から少し離れた場所に掘られている。村が出来たばかりの頃は頻繁に使っていたそうだが、水道設備が整った今、使用頻度はそれほど高くない。それでも井戸を埋め立てないのは、水の恵みに感謝する村の祭事で時折利用されているからだ。
 ガーディアンによって齎された水の恵みは、テラコッタの住人にとってガーディアンから賜った宝玉のようなもの。村の地下を流れる水脈は感謝の対象だった。
 ところが今は、その水脈が脅威の手助けをしている。地球でも、恵みと災害は紙一重だったとはいえ、余りにも皮肉だとシュリは思った。
 シュリ達がその場所へ到着した時、辺りにはヒト一人見当たらず、一匹の猫が毛を逆立てて井戸を警戒していた。先ほどまでの穏やかな赤焼け空には分厚い暗雲が立ち込め、ピリピリと張り詰めた空気が湿り気を帯び始めている。
 水が呼んだか、水に喚ばれたか、間もなく雨が降り始めるのは明白だった。
「マイ! シュリ!」
 警戒する二人の傍に三好と女王が走って来た。
「村の人たちは?」
「ブルーのおかげでちゃっちゃと避難したよ。村に残ってるのはオレ達だけだ」
「よかった……。女王さんは……いいの? 一緒に避難してた方が――」
「何を言っているの、マイ」
 女王は真摯に二の宮を叱り飛ばした。
「ガーディアンと共に、人を護るのは私の使命よ」
 凛とした声音に逆らえる者がいるはずもない。
「……へっ、冗談ぬきでやらねえと、後でヴィクスに大目玉だな」
 女王の護衛としてここまで同行したのだ。その女王が率先して戦いの場に赴き、守り切れなかったなんて間抜けな報告は許されない。
『みんな来るっす! 気をつけて!』
 ニナの宣言から一秒も間を置かず、井戸から激しい水柱が立ち上り、水の勢いを以って石造りの井戸を破砕した。
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