MAGNA MATER (マグナマター) -朱色の指揮者-  【18】
 〈ノウア〉での初めての夜を、シュリは戦艦ストラトスの与えられた部屋で迎えた。
 数日の内で使い慣れた部屋には幾つかの生活用品が持ち込まれ、生活感が出始めている。特に今は、夕方武器と共に配達された二の宮の戦利品――化粧品から洋服、アクセサリーなど――が散らばっているため、ホテルのような宿泊施設から一足飛びに女子高生の部屋へと変貌していた。
 品物の主は現在シャワー中で、今ここにはいない。
 二の宮のベッドを占領している色とりどりの服や、簡易テーブルの上のメイク道具を眺めたシュリは、視線をそのまま窓へと流し〈ノウア〉の夜を眺めた。
 不思議な光景だ。月が二つ浮かんでいる。一つは赤、一つは青。当然だが、うさぎにもカニにも見える凹凸の影は全く異なっている。
 その見慣れぬ衛星は不可思議な感慨をもたらし、この現実が、現実らしからぬ気配を帯びていくような気がした。

 *

 戦艦ストラトスの食堂はラウンジも兼ねており、常に人の姿が絶えることはない。特に今日は昨日の襲撃事件に多くの軍人が借り出されていたため、いつも以上に人の気配が希薄だ。
 宇宙にあっては無限の闇が、ウルトラマリンにあっては海が一望できる窓際の一席にシュリが座り、その向い側に二の宮が腰を下ろしている。
 他人と一言言葉を交わすのも億劫だった筈なのに、二の宮相手だと普通のクラスメイトになれる。徐々に言葉が打ち砕けるのを自覚しながら、微苦笑と共に時間を消費していると、待ち人は唐突に現れた。
「じゃーん!!」
 三好だ。左手を腰に、右手は拳を作って胸に当てている。まるでヒーロー参上とでも言いたげなポーズだ。様になっているのがなんとも彼らしい。
 その両拳には日常生活に支障の無い程度の突起物が付いたグローブを嵌めている。つい先ほどまで存在すら知らなかったそれを、彼はいたく気に入ってくれているようだった。
「どうだ、似合うか?」
「似合う似合う!」
 手を叩いて二の宮が褒めちぎる。彼女のヨイショもなかなかのものだ。
「違和感は?」
「ちょっとな。グローブとか慣れねえし……」
 シュリの問いに三好は神妙に頷く。それも仕方ないだろう。
「そうだね。柔道はグローブ、しないもんね」
「柔道やってたって、どうしておオマエが知ってんだ?」
「耳」
 短く答えると、三好は苦いチョコレートを噛み砕いたような、複雑な顔で納得した。
 長く一つのものに親しむと、時にそれは身体的特徴を伴う場合がある。柔道家のそれは見分けが容易い。畳に何度も擦りつけられることによって、耳の凹凸がすり減っていくのだ。ぱっと見、饅頭のような、餃子のような、そんな耳。ただしこれは「畳に擦りつけられる」ことが必須条件であり、柔道にあっては何度も投げ飛ばされなくてはならない。三好の苦笑の原因はここにあった。
「ジンクン、柔道してたんだ」
「ガキの頃から習わされてただけだ。特にうまいわけじゃなかった、下手でもなかったけどな」
「でもすごいよ、ずっと続けるなんて。あたし何やっても続かなかったからなぁ……。でも、そっか。シュリちゃんがジンクンに接近戦やらせるって言った時は驚いたけど、それなら全然問題なさそうだね」
「少林寺も空手もしてるなら問題ないよ」
「だからなんでそんなこと知っ……いや、いい。言うな。みなまで言うな」
 後半には呆れ半分、怖れ半分を綯い交ぜにし、三好はシュリにストップと手の平を向けた。
「タカにはあのままでいいのか?」
 あの、とは、四道に渡した新しい武器のことだろう。シュリは短剣からロッドに、三好は両手剣からグローブに武具を変え、二の宮すらも両手短剣へと転向したというのに、彼だけはキューブ保持者専用の銃のままだ。
 それにしても驚いた。まさか三好が四道を「タカ」と愛称で呼んでいるなんて。
「四道君は不器用だから。見合った武器を今から模索するより、一つの武器に集中したほうがいい」
「不器用……かあ? あいつが?」
 疑わしそうな目を向けられるが、四道が不器用なのは隠せない事実だ。
 発現したキューブの力を上手く感知できず、コントロールできない。高い集中力を長時間維持させるには、三好に対する対抗心を煽ってやらないといけない。本来の四道という人間は、周囲への配慮も自身への理解も欠いた小学生のような存在で、実は四人の中でも最も単純だ。彼を支え、形作っているのは、矜持と誇り。意固地になったプライドだけだ。
「……ま、お前がそう言うんなら、別にいいけどよ」
 釈然としないものの、一応は納得してくれたようで、三好は小さく息をついた。
 シュリから視線を外した彼は、食堂の入り口を見やり、何かを見つけて大きく手を振る。
 釣られてシュリと二の宮もそちらへ目を向けると、ニナを伴ったヴィクスがこちらに来ていた。
「お前らだけか? タカは?」
「昨日買った携帯端末《ポータル》でオベンキョウ中」
「熱心だなあいつは」
 少しばかりの揶揄を含み、ヴィクスは肩を竦めて漏らした。
「まあいいや……と言いたいところだがヤボ用だ。悪いが呼んできてくれ」
 ヴィクスが視線で指名したのは勿論三好だった。三好は面倒くさいと顔に書いて表情で返すが、モンスターと対峙したような真剣な目で一瞥され、仕方なく走り出す。
 三好と四道が戻るまでの間、彼はずっとそんな表情で、剣呑な空気から緊張を嗅ぎ取るのはシュリだけならずとも二の宮にも簡単だった。傍らに立つニナの表情もなんとなく浮かない。二人は二の宮がすすめる席にも座らず、棒立ちのまま三好と四道を待ち続け、二人の到着後は矢継ぎ早に移動を促された。
 ヴィクスの案内で入った部屋はシュリ達に許されたレベルを超えた一画にあった。
 戦艦内に宛がわれた部屋の十倍以上はあろうかという室内には、贅沢にも机とイスの二つだけしかない。机は大きく、高校の校長室のそれを遥かに凌いでいる。机上には積まれた少しの書類とペン、それからメモらしき紙片。それとセットになったイスには整った肉体を黒いコートで覆い隠した銀髪の男がゆるりと座っていた。
 サー・セラフィム。
 姿が視界に入った途端、全員に緊張が走る。四道すらも苛立った表情を改め背筋を正した。
「連れて来ました」
 硬い声でヴィクスが敬礼をする。
 セラフィムは目線だけで配下の礼を受け取ると、他に目をくべもせず要件を切りだした。
「ジョンブリアンに行け」
 低くてよく通る声で告げられたそれが都市の名前だと気付いたのは数秒遅れてからだった。
「どこだよ、そこ」
「このウルトラマリンから北西にある第一副都市っすよ。首都と同じ規模の町で、〈ノウア〉の政府機関の中枢である議会があるっす。人口は約四十万人。人口密度の高さは他を大きく凌いでいて、新しい文化と流行が生まれる町っす」
 三好の問いにオペレーターらしくニナが答えた。人口や人口密度まですらすらと出てくるあたり、職業病が災いとなって口を出したと推測出来る。
「僕は〈ノウア〉の文化にも流行にも興味がないんだけど。新しく開発された技術ならともかく……そんなもの、地球に帰る研究の役にも立ちやしない。行く理由がない上に時間の無駄だ。僕は遠慮させても」
 四道の語尾が消滅したのは、セラフィムの黙視に当てられたからだ。煉獄の炎で焼き殺されるような、はたまた、凍てつく鉄槌で心臓を破壊されたかのような衝撃を覚えた彼は、口を噤んだまま全身を引き攣らせて硬直した。
 セラフィムに楯突くからだ。どこからともなくヴィクスの心の声が聞こえた気がする。
「そこに行って、どうするんですか?」
 二の宮だ。精一杯の勇気を振り絞っているのだろう。合わせ握った手が微かに震えを帯びて、セラフィムから発せられる威圧感に耐えている。
「政府代表に会って許可を貰ってこい」
「何の?」
「お前達の。……お前達は部外者だ。一般人だろうが異世界人だろうが、このままブルーに留まるというなら総司令の許可が必要になる」
 セラフィムの冷静な指摘に誰もが口を噤んだ。
 高校の敷地に保護者が立ち入るだけでも職員室で認可を受けなければならない。自衛隊の基地だって一般人は立入禁止だし、大使館は治外法権だ。その不文律が異世界でも常識であるだけのこと。ヴィクスやセラフィムが自然な成り行きで保護してくれたので忘れていたが、彼らは軍人で、ここは軍用機の中なのだ。彼の言い分は正しい。
 だが一人だけ、セラフィムに猛然と抗議した人がいた。
「な……! ちょ、ちょっと待てよ、セラフィム! いきなり代表に会わせるって、そりゃねぇだろ!? もっと手順とか順番とかあるじゃねえか!」
 ヴィクスだ。
 シュリ達を食堂からここまで誘導してきた彼も、話の内容までは知らされていなかったらしい。慌てて会話に割り入るが、銀髪の男はそれを視線だけで押し返してしまった。迫力ではヴィクスもまるで敵わない相手だ。
「ではこのまま四人を匿えと」
「そりゃずっととは言わねえけどよ。せめて代表に通じる言い訳が出来るくらいまでは……」
「では、匿っている間に代表が嗅ぎ付けた場合はどうするのだ? ブルーの総司令に虚偽の報告をしろと?」
「……それは……」
 軍律がどれほど厳しいかは知らないが、少なくとも高校の校則の比ではないだろう。上層に嘘を申請すれば、ましてやそれが深刻な嘘であれば処罰もあるはず。ヴィクスが口籠るのも当然だ。
「隠し事を嗅ぎつけるのは政治家の得意分野だ。相手が悪い。それに報告が遅れれば遅れるほど心証が悪くなる。少しでも友好的に解決したいのならば早い方がいい」
「……けどよ……」
「最終的な判断は任せよう。だが、ヴィクス」
 ここに至ってようやくセラフィムの眼がシュリ達へ向けられた。何の感慨にも囚われない無感動な瞳に、彼の感情は一片たりとも映っていない。むしろこちらの情感が吸い尽くされてしまいそうだ。
「昨日あれだけ暴れ回るような輩を、そう簡単に隠しおおせると思うなよ」
 暴れ……なんて心外な。勇猛果敢にモンスターの脅威から町を守っただけじゃないか。――とは勿論、誰も口にはしない。
 決断を委ねられても、シュリ達は〈ノウア〉の世情に疎く、必然的に視線をヴィクスへと移した。集まった四人分の目線を受け止めたヴィクスは渋面で俯くと、強く唇を引き結んで苦渋の決断を下した。
「……分かった。――そのかわり、ちゃんと許可取ったらこいつらの身の安全は保障しろよ」
「そんなもの、お前が付いていてやればどうとでもなるだろう」
「……オレだって出来ないことの一つや二つはあるさ」
 低く唸り、ヴィクスは苦虫を噛み潰したように貌を歪めた。彼にこんな顔をさせているのは自分達なのだと思うと、なけなしの良心が痛む。幸いだったのはセラフィムが間を置かず首肯してくれたことだ。シュリ達は揃って安堵すると、二の宮が素直に「ありがとう、ヴィクス」と礼を言った。
「礼を言われるようなことはしてねえよ」
 謙遜ではなく照れでもなく、本心からそう言える彼は、やはり根っからのお人好しだ。
「保護者としてヴィクスが同伴するのは元より、ライトも付けよう。オペレーターはここで待機。別命あるまで一行のオペレートを命じる」
「え……? ニナ、一緒に来ないの?」
 縋るように二の宮に問われ、ニナは小さく微苦笑した。
「キューブの無いウチが皆についていっても足手まといにしかならないっすよ。ウチはここに残って、オペレーターとして皆をサポートするっす」
 となると、ニナとは事実上ここで別れることになる。代表とやらの許可さえ貰えればいずれ再会は叶うだろうが、それでも友人との別れは名残惜しいものだ。特に二の宮は四人の中で一番ニナと親しかったし、一番情に厚く情に脆い。ひときわ強い感慨に打たれた二の宮は、萎れた花のように表情に影を落とした。
「そっ…か……」
「また会えるっすよ」
「……うん」
「――話は以上だ。手続きは直ぐに済ませる。いつでも好きな時に出ていくといい」
 別れを惜しむ時間は与えたと言わんばかりにセラフィムが場を打ち切り、全員の退出を促した。入室時とは逆の順番で六人が部屋を出、最後尾のシュリが広い部屋に背中を向けると、肩越しに一度だけセラフィムを見、自動で閉じるドアの向こうに見送った。
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