INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- おまけショート #01next
とても愉快な球遊び

 標的を補足し損ねた球は、内部に閉じ込められた空気の反発と球体の伸縮によってダムン、と力強く跳ねた。高く宙に舞い上がり、重力の影響を受ける数瞬の間だけ、青い空に抱かれるように動きを停止させる。
 そこは自陣、中枢の真上。そして彼の頭上でもある。
 彼は全身の筋肉から生み出した力を利き足に集中させ、最大のパワーを以って高く跳躍し、いっぱいに手を伸ばした。かくしてボールは彼の手に渡り、両手でがっちりと捕らえてダン、と地上に着地する。伏せた顔をゆっくりと上げてにやりと笑うと、敵陣に一人生き残っている彼女は両手を腰に当てて詰まらなさそうに溜息を吐いた。細い肩が軽く上下するが、それは溜息のせいであって、決して体力を消耗しているからではない。恐ろしい女だ、あれだけ激しく動いているにも関わらず、息一つ、乱している様子は無い。
 対する彼は、自陣に残る味方が三人、敵陣の向こう――外野に待機する味方が数人と、やや優勢ではあるが、個人的な体力では既に彼女に劣っていると断言できる。その証拠に彼は顔中から汗が噴出しており、他の仲間達も肩を上下させて乱れた呼吸をしていた。
 だが、ボールはこちらのものだ。
 先ほどの笑みは、自軍の有利を確信し、それを彼女に示したものだったのだが、彼女の様子から優勢を示しただけでは精神的なダメージは与えられなかったと推測する。体力もさながら意思も強い。敵としては本当に厄介だ。
「あとは、お前だけだ。とっとと降参したらどうだ!?」
 敵陣の中央に踏ん張り、ボールの行方を視線で捉えて話さない彼女に大声で投降を呼びかけたが、彼女は一言、
「お断りします」
 と、落ち着いた声音で断言した。
「敗北宣言は追い詰められても出さない主義なので」
 つまり完膚なきまでに叩きのめせという警告だ。情けは無用らしい。
「……後で泣きついても知らねぇからな……」
 喉の奥で唸った彼は、腰を屈めて敵の姿を両目に捉えた。

 ドッジボール、という競技名らしい。
 長方形のコートを二分し、片方を自分の、片方が敵側の陣地とする。コートの中――内野に味方を、それから敵陣の向こう側の、コートの外――外野にも味方を置き、味方同士で敵を挟んでボールのやり取りをし、内野の敵の身体に当てていくのだ。当てられた人間は内野から出、外野へと移る。当てた人間が外野の者だった場合は内野へと戻る権利が与えられる。
 そうして内野の人間の数を競う。制限時間があれば人数を、時間制限が無ければどちらかが無人になるまで続けられる、子どもにも分かりやすいルールの簡単な遊戯だ。
 しかしこれがなかなか奥が深い。
 球を避ける際には体力を消耗するし、敵に挟まれている緊張から過度な精神力を使ってしまう。
 戦略も重要だ。敵にボールが渡っている際には、固まっていると狙われ易いし、陣内の味方の数が減れば的中率が落ちる一方でボールを敵から奪い取るチャンスもぐんと減る。単純にボールを敵の身体に向かって投げているだけではボールを奪われるため、外野との連携が重要な鍵となるのだが、味方との意思の疎通が上手く働かないと逆に敵に付け入る隙を与えてしまうのだ。
 初めたばかりの頃は勝手が分からず戸惑ってばかりだったが、ゲームも二度目となるとコツは掴めてくる。だが時間が過ぎれば過ぎるほど、その奥深さに唸らされるのも事実だった。
「いくぞ……」
 ぎしっと歯を食い縛り、力いっぱい投げる。
 ボールは敵陣の女の左肩を狙ったものだったが、彼女がひょいと肩をずらした為、空しくも通過し外野の味方の手に渡る。味方は空かさず彼女の右耳を狙って投げ返してきたのだが、一体どう察知したのか、彼女は外野の味方に背を向けたまま、首を左へ動かしていとも簡単にボールを避けた。……背後に目でも付いているのだろうか。再びボールを手にした彼は、間髪入れず投げるのだが、彼女の右太腿を狙った球はまたもや容易くかわされて外野へと飛んだ。ただし今度は味方の手からバウンドし、ころころと遠くへ転がってしまう。
 ここで暫しの時間が与えられた。
「ほんっとに……、ちょこまかとっ……」
 鬱陶しい。
 それに、必要最低限のアクションだけでくるくると舞うように避けられるのは、まるでこちらの動向全てを見切られているようで気分が悪い。
 ここは一つ、彼女が女であることを忘れ、力の加減の無い全身全霊の力を以って豪速球の球を投げ、敵陣の中の唯一の内野手となった彼女を撃ち落とすしかない。……そうだ、そもそも今までの敗因こそが、彼女が文官であり女であることを意識していた自分の認識の甘さだったのかもしれないのだ。だったら尚更、手加減などいらないだろう。
「これで――」
 ぐっと歯を食い縛り、腕と、足と、胴体と、全身の筋肉を緊張させ、精神を最高潮にまで高める。意識の中から彼女の性を取り払い、一つの小さな対象物として補足する。ここで余計な感情は無用、ボールを受けたときに彼女が負うだろう傷も痛みも考えない、ただひたすら彼女は「もの」であると自分に言い聞かせる。集中力を絶えず研ぎ澄ませ、覚悟を持って目を開き、そして、力の限りを尽くして球を投げ放った。
「最後だっ!!」
 びゅぅんっ。
 風を切る音が耳を刺す。
 彼の力を十二分に受け止めた球は最大の破壊力を持って標的へと向い、敵の胴体のど真ん中を貫かんと真っ直ぐに飛翔したのだが、
 バン! ……トン。
「ほっ」
 掛け声と共に彼女はボールの動きを右の手のひらで止め、そのまま一度、空中に高く投げることによって威力を殺ぎ落とし、受け止めた。
「なにー!?」
 自信を持って投げた筈の渾身の一投をあっさりと挫かれ、堪え切れずに泣き叫ぶ。
 彼女のあんな細腕の何処に、あれだけの球の威力を相殺させる力が秘められているのだろうか。殆ど反則だろう、あれは。
「まだまだですね」
 師の指導と嘲笑とを合わせて鼻で笑い飛ばした彼女は、そのままぐん、とボールを投げた。真っ直ぐに飛んで帰ってきたそれは、逃げる間も与えずに彼の胴を貫く勢いで腹部に深くめり込む。
「ぐふっ……」
 このままボールを抱え込み、捕球すれば彼は外野に出ることなく球を取り返せるのだが、如何せん、胃を刺激された今の彼にボールを取るだけの腕力はない。それでも懸命に自分を励ましてボールを捕らえようとするのだが、その甲斐も虚しく、球はたんっと、地面に落ちた。
「ぬおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」
 頭を両手で抱えて己の不甲斐なさを後悔し、激しく悶絶する。
 これが二戦目、一戦目に敗北を味わうのは自明の理かもしれないが、二度も連続で負けるのは男として、そして軍人としての恥に思えた。何せ相手は女というだけではなく、日々を書類と格闘している文官の筆頭・東方王宮総取締役なのだ。そんな彼女に、体力や戦略で劣ってどう軍人だと名乗れるのか。
「くっそー!」
「ファング小隊長ぉー! 外野、出て下さいよぉー」
 拳で地面に穴を開ける彼に対し、敵陣地の彼の部下が退陣を促す。他の部下の視線も冷たく、彼は渋々、重い腰を上げた。
 そして同時に彼女も声を上げた。
「しまった!」
 内野も外野も、敵味方関係なく、全員の目がそちらへと注がれる。
「休み時間過ぎてる!」
 ……それもそうだろう。
 既にゲームは二度目。一ゲームの所要時間は体力とチームワークに大きく左右されるが、二度目ともなれば昼食休みを超える時間にもなる。ましてや彼女は既に昼食を済ませており、相応に時間が過ぎているのだ。当然、休み時間も潰れるだろう。
 ――とはいえ、陽も傾かない僅かな時間だ。東方王宮総取締役という最高地位を頂いている彼女なら、その程度の時間など毛ほどにも重要ではないだろうに……。
「別にいいだろ、ちょっとだぜ?」
「良くありませんよ! カトラスに怒られます!」
「あー……」
 それは確かに手痛い。
 東方王宮の内務を取り扱う東方王宮取締室の室長であり、実質的に彼女を補佐しているカトラスは、謹厳実直で仕事にも時間にもうるさい。例え相手が上司であろうとも、だ。
「申し訳ありませんが、私はこれで戻ります。後は好きにして下さい!」
 言うが否や、コートから飛び出した彼女は一目散に執務室が備えられている東方王宮第一の城、外城へと向かった。
 二度のゲームで多くの体力を削っただろうに、彼女の足捌きに衰えは見られない。加えて、余裕を示すかのように楽しそうな鼻歌まで聞こえてきた。
 どれだけタフなんだ、あの女は。
「どうします? 小隊長」
「そうだなー」
 どうしたものか。
 喉の奥で低く唸り、彼――ファングは腕を組んで深く考察した。
 芙蓉の故郷でポピュラーらしいこのドッジボールという球技は、瞬発力やチームワークなどが必要とされ、正直、小隊の訓練の一環にもなった気がする――訓練を放り出して遊んでいた彼らの言い訳と白眼視されないための言い訳と思われるかもしれないが、実際に彼は強くそう思っているのだから仕方が無い。
 ここで重要なのは、そんな身体を張ったゲームで驚異的な体力を見せ付けた彼女と、それに拮抗していた彼の小隊の能力における幾つかの問題点だ。
 一戦目、小隊の全員にゲームの簡単なレクチャーを終えた芙蓉は、戸惑いながらも芙蓉の指示に従う部下達を率いて、即効性の高いパスを武器に圧倒的なスピードでファングチームを倒した。これは彼女が誰よりもこのゲームの真髄を理解しているからこそ成り立った、一種の奇襲のような作戦で、ファングはこの一戦を経てこのゲームには戦略とチームワークが必要だと実感したのだ。そして、面識の少ないファングの部下達を、的確な指示で手際よく使役する彼女に、司令官としての資質を見出した一戦でもあった。……あの女、普段は誰に対しても低姿勢で弱腰だが、総取締役として何とかやっていけているのは室長カトラスの補佐だけではなく、その素質による部分も大きいのかもしれない。
 二戦目は要領を得たファングチームがやや優勢で、芙蓉が立ち去るそのずいぶん前から芙蓉チームの内野は彼女一人になっていた。そこで、ファングチームがここが軍人の本分とばかりに力技を発揮しボールを投げ続けたのだが、まるで猫のようにするりするりと身をかわされ、時には先ほどのファングのようにあっさりボールを奪い取られたりを繰り返し、彼女一人を相手に内野手五人を撃ち落とされてしまう。外野との連携もさることながら、彼女の身体能力が決して一般的な文官のそれではないと見せ付けられたゲームだった。あのまま続いていればどうなったか――おそらく、司令塔であるファングが外野に追いやられたことによって、ファングのチームは僅かに揺らぎ、彼女はそこに隙を見出して攻め立てていただろう。もしかすると圧勝する予定だったファングチームを押しのけて辛くも連勝を手にしていたかも知れない。
 この二つのゲームを単純に見ると芙蓉の文官らしからぬ運動神経に注目が集まるが、その背景にはファングの小隊の、軍隊としての力不足が浮き彫りにされていることも否めない。
 そもそも芙蓉はファングとは知己ではあるものの、小隊のメンバーとはそれほど親しいわけではなく、一朝一夕の仲だと言える。それでも彼女達のチームが一戦目で驚異的なチームワークを発揮できたのは、ファングを頭としたチーム構成が完成されておらず、芙蓉の介入に抵抗がなかったからだ。つまりファングの小隊は未完成、小隊長である彼の力不足が指摘される。
 更に二戦目、芙蓉一人を相手に――直接的な攻撃はボール一個なのだが――想定外の苦戦を強いられた。ファングの小隊のウィークポイントは戦略を練れるブレーンの不在なのだが、それ以前に、仮にも軍人が一般人に体力で遅れを取るとは情けないにも程がある。
 チームワークの完成と体力の強化、これが今の彼らの大きな課題だ。
「――よし、とりあえず走れ!」
「ええええぇぇ!? 今からっすか? 休憩は?」
「ごちゃごちゃ言うなっ! はーしーれー!」
「うへー」
 疲労を溜息に混ぜて部下達は走り出す。
 ファングはその後ろ追いかけながら、彼女に己の力量の無さを言葉以外で示されてしまった悔しさを、無表情の中に押し込めた。
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