INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第05章 第22話next
1.2.

1. 「NEXT STAGE 5.」


 鳥の鳴き声で目が覚めました。窓から差し込んだ光がカーテンに遮られ、弱まり、それでも尚、床に薄く影を落しています。自分の呼吸がはっきり聞こえる程の静寂。いつもと変わらない東方王宮の朝です。
 ――お早う御座います。……あぁ、でも、もう、芙蓉ではありませんね。
 掛け毛布を引き剥ぎ、床に足を下ろしました。乱れた髪を手櫛で軽く整えながら、部屋の中央へ。そこにあるテーブルに備えられた水瓶から中身をコップへと移し、軽く一口を含んで、ゴクンと飲み干します。残りの水は、ふうっと息を吐いた後に、一気に飲み干してしまいました。


 私が東方王宮総取締役を解任された噂は、エクアリーの事務総長の件とを交え、侍女・メイド達を経て、日を追うごとに広まっていきました。
「芙蓉様、解任ですって」
「本当に? じゃあ、総取締役はどうなるの?」
「やっぱりカトラス様でしょう? 代理の任についていらっしゃるんだし。今だってカトラス様が取締室を仕切っていらっしゃる筈よ!」
「それに、ほら、何と言ってもマクラレーン様が……」
「ねぇ。もともとマスターはカトラス様を望んでいらっしゃったんですもの。当然ですわ」
「芙蓉様はどうなるの? やっぱり何かご処分が下されるのかしら?」

「それが、何でもエクアリー・オーガナイズの事務総長に推薦されているんだって」
「えぇ~?」
「でもでもっ、議員達がそんなの、許しちゃうの?」
「色々あるんじゃない? でもちょっと……ねぇ」
 不思議なことに、今回の噂は誇張も尾鰭(おひれ)も無く、真実が在りのままに伝わっていきました。内容が内容なだけに、物好きなお喋りさん達がどんな尾鰭(おひれ)を付けてくれるのか少々楽しみだったのですが、逆に、内容が内容なだけに、噂を広める方も慎重に言葉を選んでくれているのでしょう。後は、私の日頃の行いと人徳でしょうか。楽しみが無くなったと落胆するよりも、立場的には誤報が飛び交っていないと喜ぶべきなのでしょうね。まあ、喜んでいませんけど。
 奥城から、外城へ。議会から各地方政治へ。じわじわと日毎(ひごと)に噂の範囲が広まるに連れて、段々、私の居場所も制限されて来ました。
 過去に類を見ないほど、皆の視線が痛いんです。好奇心、疑惑、批判、批難、あるいは肯定、様々な種類の思惑が混じった視線が、一歩進む度に私に向けられ、何か喋ろうものならギラギラと獲物を追い求める獣の目で背後から凝視される始末。女性週刊誌の記者に取り囲まれた有名人の気持ちってこんな感じなのだろうかと考える辺り、未だ余裕のある証拠なのでしょうが、はっきり言って邪魔です。迷惑です。お引取り願いたいのです。しかしそれを申し出たところで聞き入れてくれる筈がありません。むしろ明日からの噂に一つネタが盛り込まれるだけでしょう。
 仕方が無いので、私の方から周囲を避けるようになりました。外出は極力避け、一日の殆ど、あるいは日によっては丸一日、私室に籠もって生活します。当初は食堂にまで足を運んでいた朝昼の食事も、侍女に申し付けて、全て部屋に運んで貰う事にしました。ウィル様からお借りした分厚い本を読破し、お昼寝、おやつ、それから長風呂。食べた分を消費する為と、体力低下の防止の為、時には数時間以上に及ぶ事もある筋力トレーニング。これが最近の私の一日です。
 人に会う事が無いので極端に口数が減り、表情も乏しくなる私を心配したディは、毎日、昼食時には仕事を抜けて食事に付き合ってくれます。……尤も、言葉を禁じているディが傍に居ても何の足しにもなりませんけどね。彼としてはそれだけで多少なりと安心出来るのでしょう。特に止めて欲しい理由もありませんでしたから、彼の好きなようにやらせました。
 孤独に近い空間。
 今まで、周囲が騒々しかった分、虚しくも感じる静寂(しじま)の時。
 ディの懸念は他所に、私としては懐かしい限りです。時間の合間に昔を思い出して微苦笑を浮かべる私は、(はた)から見ると怪しさ全開でしょう。
 出不精で人付き合いが無かった頃は、陽が沈んでも明けてもこんな風で、しかもその頃には既にそれを止める家族も居ませんでしたから好き放題でした。あの頃と、場所も、家も、違うのだけれど……ああ、似てるなぁって。
 三世帯家族が住むには十分な広さでも、座敷ばかりだったので個別の部屋数が少なく、両親は二階の同じ部屋を共有していました。その真向かいの部屋は妹の個室。私は一階の座敷の一間を。祖父が無くなってからは、家の中で一番広い部屋を祖母一人が使っていました。台所の位置、お風呂場の位置、手入れを怠りがちな内庭。家具の置き場所の一つ一つをしっかり記憶しています。それぞれの部屋の雰囲気も、仕事用のパソコンも……。家族が亡くなった後もそれらには一切手を付けず、そのままにしました。各種保険、財産相続、名義変更など、しなくてはならない事が多過ぎて、手が回らなかったんです。……でもそれは、今考えてみると、只の言い訳だったのかもしれません。家族を一度に失ってしまった悲しみと真正面から向き合わない為の。――あの頃は……何とも、何も、感じていないと思っていましたが。
 織也が、真凛ちゃんを思い偲ぶ気持ちは、こんな感じなのでしょうか……。
 フッ。
 ――ああ、ほら、また、微苦笑。
 これで何度目だろうと、今度は胸中で自分を自嘲しました。
 こうやって気持ちが過去へ傾くのは、果たして、過去を悔やみ見直しているから良い事なのか、はたまた後ろ向きな気持ちの現われだから悪い事なのか、どちらなんでしょうね。どちらでもいいと思うので、それは私の今の姿を見た人に判断を委ねるとしましょう。例えばディとか? 彼は始終、私のそんな姿を見ていますから、客観的な意見が下せると思います。多少私情が混じってしまうのは否めないでしょうが、それは愛嬌で済ませましょう。
「おはよう、ディ」
 隣室から出てきたディに挨拶をしました。
 彼はいつも通り、こくんと深く頷きます。
 室内にノックの音が響いたのはその時でした。きっと侍女が朝食を持って来たのでしょう。ディが起きてくるといつもこうですからね。下手な時計より正確で助かっています。
「はい」
 いつも通り私が返事をし、ディが扉を開けます。開け放たれた扉の向こうからやって来るのは私の担当のメイド――では、ありませんでした。
「おっはよー! ふよーさまっ」
「リン……?」
 満面の笑みと、静かな朝には不似合いなキンキン響く高い声。やって来たのは見慣れたメイドではなく、よりにもよって食堂担当のメイドです。食堂メイドはメイドの中でも下に位置する職務で、主に見習いメイドが受け持ちます。ここからランクアップすると外城や内城向きの仕事に従事出来るようになりますが、リンは未だその段階では無い筈。何故、彼女がここに居るんでしょうか。
「朝食持って来たよっ」
 彼女が押すカートの上には、それと(おぼ)しき料理の数々が並んでいます。パンとスープ、サラダ、オレンジジュース、その他諸々。
 リンは、二人分のそれらをメイドらしく手早くテーブルに並べ、椅子の位置を直し、朝食のセッティングを完了させました。
「芙蓉様はこっちね。ディ様はそっち」
 座る位置を指定するメイドなんて初耳ですが、これもリンらしいです。しかし、気になる事が……。
「その椅子は?」
 彼女に指示された椅子に座りながら聞いてみます。
 一つの椅子に私。その隣にディ。私の真正面にもう一つ椅子が用意されていますが、一体誰の分でしょうか。料理は二人分しかないのに……。
「これは、あたいの分」
「……は?」
 不覚にも、眉を寄せて、顔に「理解不能」と描く私。
 部屋主と一緒に食事を摂るメイドなんて初耳どころか論外です。それをキツく言い咎めたりはしませんが、メイドとしての節度を考えるとそれはちょっと……。相手が私ならともかく、他の方々には決して通用しませんよ。癖になってしまう前に、きちんと指導して正しておくべきでしょうか。
「食べてよ、自信作なんだから!」
 しかし、屈託無く笑う彼女の顔を見ると、怒る気が失せてしまいました。
 リンは不思議な子です。正直言って、礼儀も教養もありませんが、それを、思わず許してしまう何かがあります。
 気分を削がれた私は、ぽりぽりと軽く頭を掻き、料理を一通り見渡しました。
 ……自信作、か……。リンの、自信の有る料理ほど恐ろしいものはないかと思うのですが……。
「といっても、あたいが作ったのはこのスープだけだけどね。他は別の人のだよ」
 私の正面の、自分用に用意した席に座って説明してくれます。
 ふむふむ。では、作法を無視してしまいますが、スープから頂きましょうか。
 ずずーっ。
 ……不味い。
 苦虫を噛み潰したように、顔を歪めます。
 何とも……言えない味ですね……これは。塩と砂糖を間違えたわけではなさそうですし、調味料にも違和感はありません。原因は材料でしょうか。余程の代物を使っていると予想出来ます。色は暗い緑の萌黄(もえぎ)色。ほうれん草に似ているかも。コンソメスープの様にサラサラっとした口当たりですが、その直後に襲ってくる苦味は、昔、織也に罰ゲームで無理矢理飲まされた青汁風味。あるいは、『これ一本で一日の野菜全てが摂れる』と謳い文句の付けられたジュースとか。――濃厚で、後味が残る、独特の風味。とても朝食のメニューとは思えません。これならどんな低血圧の人でもばっちり目を覚ましてしまうでしょうが、ばっちり目を覚ましている私には無用の長物です。
「うぅ……」
「あれ? 不味かった?」
 あのですね……。
「料理をした後は先ず味見をしなさい」
「おっかしーな? ちゃんとしたよ?」
「…………」
 リンは食堂のメイドに向いていないのかも知れませんね。
「お母さんなら、もっと上手なんだけどね」
 芙蓉様に、それを食べて欲しかったと、付け加えるリン。
「お母さんって、リンのお母さんですか?」
「そだよ。とっても料理上手で、近所でも有名だったんだ」
 頬を緩めて笑ういます。
 しかし、リンのお母さんが料理上手とは……。彼女が嘘をつくとは到底思えないのですが、やはり現状から把握するに頭から信じてしまうのはどうにも抵抗が……。この緑色のスープにしても、今まで散々食してきた食堂メニュー、ミステリー定食にしても、料理が上手だと云う彼女のお母さんを彷彿させる要因は全く在りません。どこから何をどう見出せと?
「村で一番の器量良しで、優しくて、自慢のお母さんだったんだよ」
 細められる目に写っているのは、きっと彼女の故郷と家族でしょう。
 ――彼女のこの雰囲気から察するに、一人故郷を離れて東方王宮に勤めているようですが、リンの故郷については詳しく知りません。どんな家族で、どんな経緯で東方王宮に来たのか、気にならないといえば嘘になりますが、あえて詳しくは訊ねず、無言で食事を続けました。
「なんか、こうやって話すの久し振りだね」
 えへへ、と、少し照れたように笑うリン。
「そうですか?」
 ああ、でも、言われてみればそうかもしれません。ここ最近、色々ありましたし。
「ずっと顔見て無いって、料理長様が心配してたよ?」
「そうですか……」
 お互いとても忙しい身の上でしたからね。方や、中央王宮から二王子方がいらしてから今日まで、王宮中の人間の食事を作っている料理長様。方や、二王子に悪戦苦闘する東方王宮総取締役。地位を降りてからは、人目を忍んで部屋から一歩も出ていません。そんな二人にゆっくり顔を合わせる機会なんてある筈もなく、もう長い事、お顔を拝見していません。今度、都合の良い時にちょっと食堂を覗いて見ましょうか。
「――もしかして、わざわざ料理をここまで運んで来たのは、それが理由ですか?」
「うん、そだよ」
 陽気に笑う彼女。呆れて溜め息を付く私。
 まったくこの子は……! 気持ちは嬉しいのですが、せめてもう少し時と場合と状況を考慮して下さい。
「はぁー」
「なに? なんか、マズかった?」
「当たり前です」
 少し、口調を厳しくします。
「いいですか? 今の私の周囲は、状況があまり良くありません。色々噂も飛び交っていますから、貴女もその辺りは知っているでしょう。そんな時に、渦中の人間の傍に居ればどうなるか――。嫌でも巻き込まれるんですよ?」
「うん、いーよ」
 ずるっ。
 か、軽いですね……。
「――あたいさ、みんなが何と言おうと、ゼッタイ芙蓉様を信じてるから……」
 あたいが信じたくらいじゃ、何の足しにもならないかな?
 あはは、と、苦笑したリンは、ティーポットにお湯を注ぎ、十分蒸らした後、前もって温めておいた三人分のカップにポットの中身を注いで、それぞれに渡しました。部屋の中を満たす落ち着いた香り。程よく温かいカップを眺めると、赤み掛かった茶色の面に気落ちした私の顔が映ります。
 ――私は信じるに値する人間なのかどうか――(はなは)だ疑問です。
 内情はどうあれ、私は二件の不祥事を起こし、処分されました。その事実に代わり有りません。それだけならまだしも、その不祥事の裏には、もっと政治めいた陥穽(かんせい)が隠れています。……リンに信じて貰うに値するかどうか……。――きっと、私なら、そんな人間は信じません。……信じられません。だから何も言えなくなってしまいました。
「……世間の噂もたまには宛てになりますよ。火の無いところに煙は立たないといいますし……。信じて――裏切られたら、どうするんですか?」
「あたい、バカだから」
 その科白(セリフ)には(およ)そ不似合いな、とても優しい苦笑。
「今まで、そゆこと、いっぱいあったんだ。ホントに。今だって、信じられる人間なんて、家族以外誰も居ないと思ってるんだよ。ホントだから。……でも……でもさ、芙蓉様みたいな人は、きっと、信じなきゃいけない時があるんだよ」
 一体どんな確信があっての断言なのか。――確信を後押しする彼女の経験とそれに伴う苦悩とを知らないので、私にはそれを推し量る事は出来ません。私に解るのは、彼女の言葉で、解任されて以来、胸の内に燻っていたモヤモヤが少し晴れたと言う事。軽くなった事。僅かに、目元が、口許が、弛んで、笑った事。――嬉しかった事。
 朝は食欲が無く、いつも少しだけ残してしまうのですが、この日は苦しさを訴える胃を無理矢理黙らせて、残らず食べ切ってしまいました。
INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第05章 第22話next
1.2.

2. 「NEXT STAGE 6.」


 フェルゼンが頃合を見計らって発表した推薦は、マクラレーン様の援護射撃を受けつつ論議が繰り広げられます。朝早くから夜遅くまで連日開かれる議会。しかしそれも三日程経つと、数日の休会が設けられました。議員方に体を休めて貰う為と、間を置いて頭を冷やし、改めて議論を繰り広げようと云う計らいです。三歩進んで二歩下がる話し合いを続けていても(らち)があきませんからね。冷静な判断でしょう。
 私は変わらず私室に籠もって隠居生活を続けています。議会の動向は一切気になりません。これまで、私はこの時の為にやるべき事を遣り通して来、舞台を整えました。ここから先はフェルゼンの、そしてマクラレーン様の仕事です。二人の力は重々承知していますから、心配する要素など何処にもありませんし、悠々自適、ここぞとばかりにゆっくりさせて頂いています。初めの頃はこんなのもいいなと思っていましたが、最近は流石に飽きてきました。読み終えた本も山積み。一日に一冊以上読んでしまえは当然でしょうか。
 その山が目に止まり、ふと、溜め息をつきました。
「…………」
 たまには、外に出ていいのかも。
 気分転換をしようと、読み掛けの本に栞を挟んで、部屋を後にしました。
 好奇心の目を向ける侍女やメイド達と擦れ違いながら外へ向かいます。この時間帯は未だ公務の真っ最中。議員や中央の王子方など、(わずら)わしい人達とばったり出くわさないのが幸いですね。しかし油断は出来ません。なるべく人が居なさそうな場所――東の庭辺りに行こうかと考えて、ふと、足を止めます。
 ……そういえば、フェルゼンとアリスはどうしているでしょうか。彼らが東方王宮(ここ)に来た当初は、時が熟すまでややこしい事体にならないよう、なるべく近付かない様にしていましたから、エルフの一行がどんなメンバーで構成されているのかすら知りません。ミュゼ様の前情報は一行の総勢数だけでしたし……。もしかすると、知っているエルフが居るかも。それは、かなり……危ない、ですよね……。人目もあるでしょうし、下手をすればまたあらぬ噂を立てられる可能性もあります。でも……――うずうず。
「行こう」
 独り言。
 うん、行こう。
 もう一回。今度は胸中で。
 行き先を決めた私は、エルフが滞在している外城を目指しました。しかしそこは(もぬけ)の殻。只一人残っていた見知らぬ女性エルフに他のエルフ(みんな)の行き先を聞いてみると、外で気分転換をしているとの返事。
「……気分転換?」
 意図が掴めず問い返すと、
「はい。蓮華様なら、きっと気に入られると思います」
 極上の笑顔が返って来ます。
 どうやらこのエルフ、私を知っているみたいですね。……まあ、アルフハイムでは何かと有名でしたから知られていて当然、不思議はありません。気になるのは、私が気に入る気分転換、の方です。うーん……何でしょう……。まあ、行ってみれば解りますよね。
「有難う」
 お礼を言って、彼女が教えてくれた場所へと向かいました。
 外城の近くにある小規模な錬兵場。ファングの小隊がよく利用しているそこが、今日はやたらと賑やかです。ファングの小隊と、エルフ達と、第二王子、第三王子、それプラス彼等の護衛――勿論、正宗も――が揃い踏み。しかも、昼休み中と思われるメイド達(ギャラリー)まで付いています。
 どうやら、合同練習みたいですね。ファングの小隊の練習に、暇を持て余したエルフと王子の護衛が参加したってところでしょうか。中央王宮とエルフが加わっただけですが、不思議と豪華な見世物の様に思えます。ギャラリーが集まってしまうのも仕方無いのかも。……あの侍女が言った通り、確かにこんなのは好きですが、人込みを掻き分けて前に進む私としては、視線が痛くてとてもかなわないんですけどね。
 最前列へ出た私は、ぐるりと錬兵場を見回して、見知った顔を捜しました。
 小隊を指揮するファング。兵を指南してる第二王子シュナイザー様と、それを詰まらなさそうに眺めている第三王子ブライアン様。相変わらず何を考えているのか読めない表情をしている正宗。壁に背を押し当てて状況を見守っているフェルゼン。その傍に控えているアリス。その中で一番話し易く、暇そうなフェルゼンに声を掛けました。
「楽しそうじゃない」
 声に反応し私を振り仰ぐフェルゼン。彼は声の主、私の顔を確認すると、「ああ、お前か」と息を吐きました。皆で楽しそうな事をしている割には、こちらは詰まらなさそうです。真面目な彼ですから、こんな練習は時間の無駄だと思っているのかもしれません。東方王宮に到着してもう随分時間が経っています。予定ではとっくにアルフハイムヘ戻っている頃。休会などせず、議会で議論を押し進め、予定を元に戻したいのかも。
「もしかして、時間の無駄とか思ってる?」
「いや」
 即答で否定されました。
人間界(ここ)で手をこまねいたところで、アルフハイムにはさしたる障害ではない。どうせ、大した時間にもならないからな」
「そっか」
 人間界で何十年暮したところで、どうせアルフハイムでは一年も経っていませんからね。
「じゃあ、いっそのこと居ついてしまうのはどう?」
 良ければ、東方王宮にではなくエクアリー・オーガナイズに。フェルゼンほどの優秀さなら大歓迎です。
「やめておこう」
 再び、即否定。
「どうして?」
 悪いようにはしないけど?
「お前に扱き使われるからだ」
「……ぷ」
「ちょっとアリス!」
 今、その笑いでフェルゼンの言葉を肯定しましたね!
「ごめんなさい。だって、色々と覚えが……」
 そこまで言って、再びぷぷーっと吹き出すアリス。……失礼ですね。
「フェルゼン様も、シグ様も、ケルベロス・ジュニア(あのひと)も、貴女に対抗出来るひとなんて居なかったわね。こういうのって、確か……そうそう、尻に敷くって云うのよね」
「何処の誰ですか、そんなのを貴女に吹き込んだのは」
 怒っていいですか? 怒るべきですよね。まったく、純真なアリスに一体誰が……。
「あら、勿論、貴女でしょ?」
 …………。
 そうでしたっけ……?
「うろ覚えだけど、そんな気がするわ」
 ニコニコ顔のアリスと、考え込む私。
 ――言われてみれば確かに、彼女の周囲にそんな事を吹き込みそうな人間は私しか……。でも、そんな事、本当に言いましたっけ? ……覚えていません。不用意に、何でもかんでも言ってはいけませんね。とほほ。
「それで、今日は何をしてるの?」
 この状況は何? と、聞くと、暇潰しと気分転換との返事。
 気分転換……ですか。何処かの王子様じゃないんですから、もう少しエルフらしい気分転換をすればいいのに……。
 物好きなエルフばかりが揃ったものだなと思いつつ、改めてその面子を確認します。そして想像以上に知っている顔があり、驚きました。彼らもまた私の存在に気付き、私の周囲に集まって来ます。一人一人が掛けて来る声に、長い話にならないように、話題に発展しないように気をつけながら、一つ一つ簡単に答え、めまぐるしく言葉の隙間を駆け巡ります。適当に流しているわけじゃないですよ。一対多数のこの状況下でじっくり話しをしていては、時間がどれだけあっても足りません。声を掛けて来るエルフ達もそれは重々承知しています。だからこの場はこれでいいんです。
「――蓮華」
「……ハオラ!?」
 人影の垣根の中に、特に思い出深い姿がありました。
「久し振り」
 にこりと微笑むその顔。本当に懐かしいです。
 ハオラは私の最初の先生です。アルフハイムに居た頃、時間を持て余していた私に弓を教えてくれました。基本姿勢、矢の(つが)え方、(つる)の引き方、弓の打ち方。目標の定め方を起点に、(りき)学や弾道学の初歩も教えてくれました。あとはカテナリー曲線ですね。何を話してその話題になったのかは忘れましたが、カテナリー曲線を教えてくれたのは彼であることをしっかり記憶しています。
 彼が私を誘ってくれたお陰で、私は空いている時間を勉強に宛がう事を覚えました。彼が居なかったら――彼が切っ掛けをくれなかったら、きっと今の私はありません。だから余計に懐かしく、感慨深く感じます。
「うん……久し振り」
 答えた声が、僅かに震えている気がしました。
「――ようやく、声が聞けた。いつ声を掛けようかと……。――ここでは、何かと、忙しそうだ」
「ああ、うん、まぁ」
 東方王宮総取締役としての通常業務に加え、何かと目の敵にされている王子方のお相手もしなくてはなりませんでしたし、確かに忙しかったですね。
「でも、もう大丈夫」
 解任されてしまいましたし。
「そう」
 大丈夫の意味を特に強く突き止めず頷くハオラ。物事に興味を持たないのがハオラのいいところだと思います。何かと付き合い易いですから。
「大丈夫ついでに、ここでは芙蓉と呼んで」
「ふよう?」
「今の私の名前よ」
「……(こだわ)り?」
 ハオラがひょいっと、小首を傾げます。
 昔からそうでしたけど、ハオラって仕草が本当に可愛らしいですよね。幼いわけでも、女性っぽくもありません。彼が指先を一つ、口の端を軽く持ち上げるだけで、独特の雰囲気が生まれます。それがとても好きでした。
「……ところで、今、弓を彼等に教えているんだけど、――どう? 久し振りに」
 ハオラの遥か後方では、ファングの小隊員達が弓の練習をしていました。
 ――ああ、ナルホド。
「いいですよ」
 にやっと笑って見せました。

 承諾するや否や、慌しく弓と矢が用意されました。私はそれを装備し、先程まで兵達が練習に使っていた的の正面に立ちます。的の数は三つ。私と、私の右側にハオラ、私の左側にファング。
「……なんでオレまで……」
 なんでって……。
「隊長! 頑張って下さい!」
「隊長! ファイトです!」
「隊長! おれの小遣いを無駄にさせないで下さい!」
 彼らが乗り気だからです(ここで賭博を持ち出すとは、流石ファングの小隊ですね)。
「それで何をするの? 弓道? それとも弓術?」
 からかうような視線をハオラに向けます。
 二つは名称も中身も似ていますが、この場合、意味合いが少し違います。礼儀と作法を重んじる弓道を用いて勝負するのか――、それとも、実践向きの弓術を用いて勝敗を決めるのか。弓道ならば、矢を射る前から勝負が始まりますが、弓術ならどれだけの矢を的に当てられるかを競うことになるでしょう。もっと簡単に言えば、弓道は審判員が必要ですが、弓術は見ただけで判定出来ます。軍属のファングが身に付けているのは勿論、弓術に分類されますから――、
「この場合は、後者」
 案の定、ハオラは弓術を選びました。
「判定方法は?」
 再びの質問。当たったか外れたかだけで判断する的中制、的の何処に当たったかで採点する得点制、的中だけでなく姿勢や作法にも点数が付けられる採点制と、三種類ありますけど……。
「必要ねーだろ」
 答えたのはファングです。
「観客が判断するさ」
 私達をぐるりと取り囲む沢山のギャラリー。始まるのはいつなのかと、期待の眼差しを私達三人に向けています。やれやれ……皆、物好きばかりですね。
 冷笑ともとれる笑みを零した、その直ぐ後。すっと視線を的へと向け、同時に弦を引いて矢を放ちます。
 だんっ。
 真ん中に突き刺さったそれを見た後、ハオラとファングもそれに続きました。
 だ、だんっ。
 ほぼ同時に的に当たるそれぞれの矢。
「おぉ~!」
 湧き上がるギャラリー達。
 未だ未だこれからです。私達は続け様に二本の矢を放ちました。合計六本の矢が一本目の矢の直ぐ近くに突き刺さります。勝負は未だ未だつきそうにありません。続けて打ち、一度、的の矢を全て外して、再び打ち始めます。それを繰り返した何度目か、
 だんっ!
「あーあ」
 ファングの矢だけが、僅かに中央を外し、右上付近へと吸い込まれます。
「なに、やってるんっすか、隊長!」
「まだまだですよ、隊長!」
「おれの小遣いどうしてくれるんですか、隊長!」
 途端にブーイングの嵐。――ファングが言っていた、観客の判定、とも言えますね。
「ファングも大変ですね」
 隊長相手に容赦無い判定を下す部下達を一瞥し、ぷっと吹き出します。勘違いしないで下さい。悪戯に面白がっているのではなく、微笑ましい光景に笑っているだけですから。
「うるせー」
 ぷいっとそっぽを向くファング。
「大体、お前みたいなのに勝とうとすること事体が無謀なんだよ」
「練習、してたじゃないですか」
 この東方王宮に来たばかりの頃、弓対決で私に負けた彼は、その後、毎夜毎夜一人で秘密の特訓をしていました。その甲斐は十分あったと思います。実際、ここまでずっと真ん中にばっかり当たっていましたし。
「こーゆー見世物(みせモン)は、軍人の出番じゃねーんだよ」
 決して負け惜しみではない捨て台詞を吐いて、彼は弓を、近くに居た兵に、用は済んだとばかりに放り投げました。
1.2.
INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第05章 第22話next