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1.2.3.4.

1. 「NEXT STAGE 1.」


「東方王宮総取締役、芙蓉と申します」
 もう二度と、そう名乗ったりはしないんだなと。
 ……頭の片隅に、ちらっとそんな事が過ぎったら、心の片隅に小さな空虚な空間が生まれました。



「失礼します」
 話しを終えた私とカトラスは、連れ立って一緒にマスターの執務室を後にしました。カトラスが先を歩き、私がそれを追い掛けます。カトラスと私とでは身長に差があり、当然足の長さ(コンパス)が違うのでいずれ私が置いてきぼりを食らうだろうと思っていたのですが、幾ら進んでも差は広がりません。一定の距離を保ったまま、閑散とした廊下を歩いて行きます。
 この辺りはマクラレーン様の執務室に近いので、昼間でも人の出入りは殆どありません。長い廊下を歩いているのが私達二人だけなら、小気味良く響く足音も二つだけ。それらの音が、私達の重苦しい沈黙を引き立たせていました。
 ――どのくらい歩いたでしょうか。マクラレーン様の執務室からは遠ざかったものの、相変わらず侍女やメイド達の姿を一切見掛けないので、そう離れてはいないと思います。
「マクラレーン様から、全てお伺いしました」
 歩きながら、低く、カトラスが囁きました。
 一瞬、軽く、戸惑う私。
 軽く息を止める様な、そんな大きな間を空けた後、
「……そうですか」
 と、俯き加減で答えました。
 ――知って、しまったんですね。私が何故、東方王宮へ来たのか――その本当の理由を。カトラスを総取締役に就任させるなんて二の次で、実際は、マクラレーン様から事務総長に推薦して貰うた為に総取締役を引き受けたのだと。……知ってしまったんですね。
「…………」
 重く苦しい沈黙が続きます。
 それを聞いて、カトラスはどう思ったんでしょう? 「ご感想は?」と問うのは何だか嫌味っぽく聞こえる気がして、かといって他の適切な言葉が思いつかず、私はそのまま黙り込んでしまいました。
 具体的にどんな気持ちと表現出来なくても、少なくとも、いい気持ちはしないと思います。仕方が無いと思っているんでしょうか。それとも、私らしいと思ってくれているのでしょうか。カトラスとの付き合いはそれなりにあったのですが、こればかりは読み切れません。背中越しに伝わってくる気配で何とか心中を察しようと努力してみるものの、当然分かる筈もなく、虚しさに似た感情だけが心を支配しました。
 ――カトラスにだけは知られたくなかったのに……。
 でも、次期総取締役と云う立場を考慮すれば、マクラレーン様が話してしまうのも無理はありません。芙蓉(わたし)がこんな卑怯な人間なのだと諭せば、カトラスだって気兼ねなく総取締役の座を受け継げるでしょうから。私がマクラレーン様の立場なら、きっとそうします。誰かや何かを恨んだりする前に、反省すべきは自分のやって来た事です。例えそれが、必要不可欠な事だったとしても……。
「……一つだけ」
 おもむろに切り出すカトラス。
「一つだけ、分からないのです」
 そう前置きして、彼は足を止め、私を振り返りました。
「織也……彼の云う貴女は、多少性格の歪みがあればすれこそ、普通の少女と窺えました」
 一瞬、突っ込むべきかなと、頭の中を良からぬ思いが過ぎりましたが、話の腰を折ってしまいそうなので即座に却下しました。
「何がそこまで貴女を変えたのですか? ――アルフハイムに居た間に、一体、何があったのですか?」
 変わってしまう位の何かがそこであったのでしょう? と、カトラスの目が真摯に問い掛けてきます。
 アルフハイムで、起きた事……。エルフに出会って少しだけ優しさを覚えた事。私が提案したエクアリー計画。それによる女王陛下とヴァイスの仲の悪化。……そして、暗殺。それらを全て話してしまうのは正直躊躇ってしまいます。
「怒って――いたんじゃ、なかったんですか?」
 真実を話して良いのかどうか――その決断を下すのを躊躇い、躊躇っている間に発生するであろう沈黙から逃げようとした私は、苦し紛れに話題を変えていました。
 突然、切り替わった話題に、カトラスが軽く眉を寄せます。しかし直ぐに、私に話しを合わせてくれました。
「怒っていますよ、今も。――しかし今後どうするかは、その謎を解いてからにしようと決めました」
 だから、今度どうなるかは、貴女の返答次第です――。
 余計にプレッシャーを掛けられてしまい、私はあはは、と、乾いた笑いを洩らしました。
 答えは、今は、出ません。きっと、カトラス以外の人であれば、直ぐに「話せません」と答えていたでしょう。だけど、今、私に問い掛けているのは、他でも無い、――カトラスです。
「……暫く、時間を頂けませんか? ……どのくらいになるか……分からないけれど……」
 我ながら自分勝手な提案だと、胸中で苦笑します。
 こんな提案、呑んでくれる筈が――、
「いいですよ」
 予想外の返答に、私は目を丸くして彼を見ました。
「待ちますよ。――貴女の気が済むまで」
 ほぼ無表情に近い顔に、彼の深い優しさを見た気がしました。
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2. 「NEXT STAGE 2.」


 東方王宮総取締役を解任された翌日。
「かい!?」
「にん!?」
「はぁ!?」
 エリザ、アデリア、スコット。
 ビシャアァァッと背景に雷を加えて、驚愕を顕にします。横一線、奇麗に並んだ三人は、灰の如く真っ白になりながら金魚っぽく口をパクパクさせました。正直、面白い光景です。
「…………」
 エイジアンはいつも通りの無口、無表情。
 ハロルドも彼に倣い三人の様に特に何か言う様子はありませんが、一応、彼女なりに驚いているらしく、大きな目が丸く見開かれていました。これはこれで珍しい表情です。カメラがあれば間違いなく激写し、アルバムに収めたのでしょうが、いかんせん、あいにく手元にはインスタントカメラすらない状況です。早々に激写は諦め、テキパキと作業を続けました。
「大丈夫ですよ」
 二箱目のダンボールを一箱目のダンボールの上に積み上げます。
「こういう時の為に東方王宮総取締役代理兼東方王宮取締室室長(カトラス)が居るんですし、仕事に何ら支障はありません。私で解る仕事はカトラスも解っていますし、私に解らない仕事はカトラスが解っています。人手が必要ならディを使って下さい。私が解任されてしまったとは云え、ディは依然補佐役を仰せつかったままですから仕事はさせないといけませんし。多少難しい仕事でも、教えれば直ぐに理解してしまいますよ。それでも解らないのであれば、自室で謹慎しているのでそちらに――」
「ちょ、ちょ、ちょっ、ちょっと待って下さい! 芙蓉様!」
 淡々と説明する私にストップを掛けるスコット。声も表情も明らかに動揺している彼に、私は、
「もう、芙蓉ではありませんが?」
 と、冷静な指摘をしました。
 芙蓉は東方王宮総取締役を務めていた私に与えられた銘です。総取締役を解任された今、同時に芙蓉の銘も返上しなければならないので、私はもう芙蓉ではありません。でも……今更、本名で呼んでもらうのも何だかくすぐったいような、変な感じですね。このまま芙蓉で通しちゃおうかな……?
「そんなこと、どうでもいいんです! 一体、どういうことですか!? 説明して下さい!」
「説明して欲しいんですか?」
「当たり前です!」
 でないと皆、納得出来ません!
 スコットに調子を合わせてうんうんと頷くアデリアとエリザ。少しずれたテンポで頷いているのはエイジアンです。頷いていないのはハロルドだけでした。彼女だけはきちんと席に着いて頬杖をついています。
 その態度が、この騒動に興味無さそうに見えたらしく、スコットは激しく彼女を焚き付けました。
「ハロルドさん! ハロルドさんからも、何か言ってやって下さいよ!」
「んー」
 けれど反応は芳しくありません。いつも以上にのんびりとした伸びのある生返事です。
「ハロルドさん!」
「えー、だってー」
 口を尖らせるハロルド。そして頬杖を付いたままこちらに目配せしました。
こんな時の為に(・・・・・・・)カトラス様が居るんでしょー? だったらしょーがないじゃんー」
 私の言葉をそっくり真似し、アピールする彼女。
 ……鋭いですね。痛み入ります。
 東方王宮取締室の中で、カトラスを除いて最も頭が切れるのは彼女です。おそらく彼女はこれまでの経緯を注意深く観察し、この結果を経て確信を得たのでしょう。「深く踏み込まない方が良い何かが裏にある」、と。――賢い選択です。質問されても話す気は毛頭ありませんので、こんな風に言葉の端々から状況を悟ってくれれば大変助かります。
「何を納得してるんですか!」
 しかしスコットはめげる事無く抗議し続けました。
「ここで納得しちゃ駄目ですよ! でないとオレ達、いつまで経っても芙蓉様にイジメっ……じゃないっ! 翻弄されなきゃいけないんですよ! 引いちゃ駄目です! 今こそ闘うべき時なんです!」
 ほーう。
「ちょっとスコット変じゃない?」
「何か最近、ヒーロー系の小説にハマったんだって」
 こそこそ、アデリアとエリザ。
 それは私も気になりましたが、今、突っ込むべき箇所はそこじゃないと思います。
「ごちゃごちゃ言ってんのはこの口かぁー?」
 あぁん? と、悪人よろしく極悪な顔をして、ぎゅむぅーっとスコットの頬っぺたをつねります。
「ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃッッ!! ひひゃっ……! ふひょーさはー! やへっ……、やへてふははーいっ!!」
 早々にギブアップ宣言です。もう、つまらないですね。しかしこのままにしておくのも少し可哀想です。心優しい私は直ぐに手を離してあげました。
「酷い……」
 つねられた頬をさすって涙する彼。
 何を言いますか。
「余計な詮索をしていると、それ以上、痛い思いをしますよ。それが嫌なら大人しく口を (つぐ)んでいることです。まあ、貴方がそんっなに痛い思いをしたいというのならば止めはしませんが、その時は遠慮なく私に申し出て下さい。私が全責任を持って、貴方が、『御免なさい、もう二度とこんな事は言いません』と、侘びを入れたくなるくらい泣かせて差し上げますから」
 にっこり、最上級の笑顔を見せると、スコットばかりか他の四人まで体を寄せ合ってガクガクブルブル震え出します。揃いも揃って失礼ですね。まあ、楽しいですけど。
「ディ、荷物はこれで全部?」
 箱を示すと、彼はこくんと頷きました。
 総取締室には想像以上に私物がありました。残業した時の為のお菓子類一箱を差し引いても、もう一箱あります。ダンボールのサイズは割りと小さめ。両手でちょいっと抱えられるくらい。中身は細々(こまごま)とした物ばかりで大した物ではなく、私としてはこのままここに置いたままでも良かったのですが、カトラスに知られてしまうと後でとっても怒られてしまいそうなので、先に片付けてみました。物が少なくなったおかげで引き出しの中がすっきりします。その光景が何やら物悲しさを漂わせ、一瞬動作を止める私。しかし直ぐに、何を感傷に浸っているんだかと一笑し、引き出しを閉めてしまいました。
 重い方の箱をディに持たせ、私は軽い方を持って総取締室を退出します。
 と。
 扉をくぐる前に足を止め、一度だけ後ろを振り返りました。
 ――ほんの少し前まで座っていた、総取締役の椅子。
 悔いも未練も何もありませんが――…少しだけ。ほんの僅かに、後ろ髪を引かれる思いが()ぎるのは、何故でしょうか。マーブル状に入り混じった言葉にし難い感動が心を揺さぶるのは何故でしょう。
「…………」
 ありがとう。
 誰に云うわけでもなく、胸中で静かに呟き、私は総取締室を後にしました。
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3. 「NEXT STAGE 3.」


「芙蓉殿を……!?」
 ざわり、と、議会中に動揺が広がります。
「左様」
 その中央に在って、彼――フェルゼンは微塵も心を乱すことなく、話を続けました。
「ここ数十日の滞在で彼女の判断力、実行力、共にエクアリー・オーガナイズの事務総長に相応しい力量の持ち主であると判断した。当初はあなた方が推薦する人間を優先的にと考えていたが、もう、猶予は無い」
 すい、と、一呼吸置いて、声を張り上げ、宣言しました。
「私はエルフ族を代表して、彼女をオーガナイズの事務総長に推薦する」
 再びどよめきが走ります。隣に座る人間と(せわ)しなく言葉を交わす議員達を尻目に、一人、領主代表として議会に参加していたキール様だけは口を閉じ、動揺の原因となった発言の主フェルゼンを睨んでいました。
 果たして素直に受け入れるべきか――胸中で推測と憶測を重ねます。
 何も考えずに聞き入れれば、滞在期間中に総取締役の活躍ぶりを見初め推薦したと聴こえる発言ですが、ちょっと邪推すればエルフと共謀してこれを狙っていた……とも考えられます。
(相手はあの芙蓉だ。在り得ないハナシじゃねぇ……)
 しかしその為の前準備に、一体どれだけの時間と労力を費やさねばならないのだろうか――そう考えると、途方も無い事に思えました。
 先ず、エルフから推薦される為にはエルフとの繋がりが必要です。人間とエルフとが連れ立っているのは珍しいですが、全く無いわけではありません。ウィル様の故郷、イーストフィールドの東端にある海沿いの町では、人間とエルフとが助け合って生活していると聞きます。それに、
(……どーも、知り合いみてぇだしな……)
 中央王宮の護衛の男――正宗との立会いの後、フェルゼンと言葉を交わしていた姿を、キール様はしっかり確認されておられました。
(ヤケに親しげだったし、ありゃ、一朝一夕の仲じゃなさそーだし)
 エルフから推薦の確約を取る事は難しくはない。
(だが――)
 一番の問題は、この東方王宮です。
 推薦される為には、この東方王宮に居る事が絶対条件。しかしそれ(・・)ばかりは私一人の力ではどうしようもありません。着任に至るまでの一連の経緯(ながれ)――カトラスと議会とのイザコザや、それでもカトラスを欲しがったマクラレーン様の思惑――は、とても仕組めるものではない……。当時、東方王宮に在籍していなかった芙蓉(わたし)に、その流れは作れないんです。
「しかし、彼女は東方王宮総取締役という重役に就いている――。それを解任するのはどうかと……」
「ふん、不祥事ばかりで問題の多い取締役だ。この際、自主的に退任させるのも良かろう」
 芙蓉派の議員の発言を、カトラス派の議員が一笑します。その遣り取りによって、先程とは違う騒動が勃発しました。芙蓉のこれまでの実績を並べ、総取締役に相応しい判断だったと主張する芙蓉派。今回の不祥事は、過去の実績で帳消しに出来るものではなく、解任すべきだと主張するカトラス派。
 対立する二つの派閥が東方王宮内でどの様な勢力図を描いているのかさっぱり解らないフェルゼンでしたが、今この場に居るだけで、二種の勢力がどの様な状況であるかは直ぐに理解出来ました。
(圧倒的多数なのが、カトラス派か。芙蓉派には殆ど発言権が無い上、内容の正当性もカトラス派が大きく上回っている……)
 芙蓉派の不利は火を見るより明らかです。
(蓮――いや、芙蓉め……。随分上手く立ち回っていたようだな……)
 周到さには感服するな、と、彼は忍び笑いを洩らしました。
「――私も一言、良いか?」
 ざわめきの中、一際低く、一際重い声が響き、議員達は皆黙ってしまいました。沈黙は肯定。その声の主、イーストフィールドマスター・マクラレーン様は、軽く咳払いをした後、ゆっくりと話し始めました。
「解任するか否かを、ここで話し合う必要は無い。芙蓉は――…私の独断で、既に解任した」
「なっ……!?」
 反射的に声を上げたのは芙蓉派の議員達でした。同じくキール様も声を上げそうになりますが、何とか喉の辺りで圧し留めます。
(何だと……!?)
 キール様の脳裏を、「芙蓉一人では無理」という先程の結論が過ぎりました。
 仮にエルフに推薦の確約を得ていたとしても、芙蓉一人では無理なコト――だが、一人ではなかったら? その共犯者がマクラレーン様だったとしたら?
(あんのヤロ……っ)
「やってくれるぜ……!」
 芙蓉らしいと、思わず笑ってしまうと同時に、策略が過ぎると腹が立つ思いもします。その胸中は引き攣った笑顔とも苦笑ともつかぬ何とも複雑な表情に表れていました。いけ好かない議員達を出し抜いてくれた芙蓉に対する嬉しさと同時に、込み上げてくる悔しさ。
 ――勝てない。
 どんなに策略を巡らせても、どんなに力を尽くしても、越えられない。立ちはだかる壁の如き存在……芙蓉。それを揺るがす者、動揺させる存在など、ありはしないように思えます。
(つくづく、アイツが敵じゃなくて良かったと思うぜ)
 真っ向から対立すれば一体どんなメに遭わされるのか……。よくよく考えてみると、彼女と正面切って対立している人物は居ません。政治的な派閥の対抗者と思われていたディオール議員も、芙蓉とマクラレーン様が手を組んでいたとなれば話は別です。むしろカトラスの総取締役就任を巡って協力関係にあったと予想出来ます。
(ディオール議員、マスターと、オマケに芙蓉ときたもんだ。……カトラスのヤツ……)
 羨ましい位の恵まれた環境に軽い嫉妬心すら覚えてしまうキール様。しかし果たしてそれが本人にとって恵まれているかどうかは別です。キール様の知るカトラスはそんな権力争いを嫌う男であり、実際にそうである為、三大権力を味方に付けている事実を喜んでいるとは到底思えませんでした。
 考えれば考えるほど見えてくる現状の裏側――恐ろしいまでに良く出来たシナリオ。その事実関係をちらっとも考えず、議論の応酬を繰り返す議員達を見渡します。
(こりゃぁ……知らないほうが、幸せだったかぁ?)
 世の中、頭がキレ過ぎるのも難があるらしいが、これがその一例なのかもしれないと、キール様は密かに溜め息を零されました。
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4. 「NEXT STAGE 4.」


 ちゅん……ちゅん、ちゅちゅん。
「…………」
 柔らかな歌声で朝を告げる鳥達。
 そして、ベッドの上でばっちり目を覚ます私。
 ……おかしい……。総取締役を解任され、もう仕事をしなくていいから早起きをする必要も無いんだと、昨日はあんなに夜更かしをしたのに……! 確かに、在任中はどんなに遅く寝ても、必ず同じ時間にディに起こして貰い、仕事に出ていました。しかし今日はディに起こして貰ったわけでもなく、ましてや早く寝てしまったわけでもありません。自動的に、自然に、体が目を覚ましてしまったんです。これはもう、快挙と云うより奇行です。異常です。普通に在り得ませんって!
 しかしこのままベッドの上をゴロゴロする気にもなれず、ゆっくり起き上がって、近くのテーブルに備えてある水を一杯飲み干しました。
 ……最悪です。
 昔の私なら、遅く寝た次の日は昼が過ぎてもベッドの住人でした。元々低血圧で寝起きが悪かったのですが、ウェブデザイナーという自由な時間の使い方が可能な職業に就いていた為、気儘に暮していたのも原因の一つです。特に体調は崩れず、むしろ夜型人間の体質を遺憾なく発揮し、毎日毎日好き放題。それが、アルフハイムヘと赴き、東方王宮に勤務するようになってからは、時間は制限され、むしろ一日の殆どを仕事に費やさねばならず、以前とは比べ物にならないほど窮屈な日々が続くたびに、私は心に誓いを立てました。いつかこの毎日から解放される時が来るなら、その時は思いっきり夜遊びして思いっきり朝寝をしよう! と。それがいざ実行してみてみればこの状態です。
 いつもの習慣がすっかり身に付いてしまったんだと苦笑すべきか――。それとも、未練がましく、捨てたものに未だしがみ付いていると皮肉るべきか――。微妙なところですね。どちらでも嬉しくありませんし。
 どさっ。
「ん?」
 重いものが落ちる音を聞きつけ、後ろを振り返ると、般若の顔で驚愕しているディが立っていました。足元には何故か彼愛用の枕が落ちています。何かが落ちる音の原因はどうやらあれのようですが、……どうして枕? まぁ、いいけど……。
「どうしたの?」
「…………」
 膝をガクガク震わせながら、激しく首を横に振るディ。一瞬、何が言いたいのかよく分からず首を捻りましたが、私が一歩彼に近付く度に彼の膝の笑いが増すので、ああナルホドと納得しました。
「一人で起きてるのがそんなに珍しいの?」
 今度は縦に激しく首を振るディ。
 一瞬、むかっ腹が立ちますが、ここで彼を責めても何の利益も在りません。私自身、早起きする自分に苛立ちを覚えましたし。
「しょうがないでしょ。目、覚めたんだし」
 言い訳をしますが、尚も首を振り続ける彼に私はとうとうキレてしまいました。
「な~に~? 文句あるの~?」
 やたらと力を込めて頬っぺたをつねります。
 痛みを訴えるディは、今度はまた別のものを含んで首を振り、何とか私の魔の手から逃げおおせました。ちっ。器用な奴め。
「さて……何しようかな」
 早く起きてしまった分、時間が沢山あります。それをどう消化しようか、考えても、特に何も思いつきませんでした。パソコンがあるわけでも無いし、テレビがあるわけでも無い。謹慎しろと命令された以上、遠くに旅行するわけにもいきません。許可を貰えば銀天街へ出る事くらいは出来るでしょうが、あいにく町へ出る用事は無く、行っても只の徒労です。無意味な休みほど無駄な時間はありませんね。全く……。ならばいっそのこと、取締室の助手でもしようかと考えましたが、そんな事をすればカトラスにこっぴどく叱られるのは目に見えています。せっかく総取締役を降りたのに怒られるってのも何だか嫌です。
 それに未だ、完全に仲直りしたとは云えませんし……。時間も随分経ってしまって、謝罪の気持ちなんて何処かに吹き飛んでしまった感じ。もう、このままでもいいかなぁ……なんて、半ば諦めの気持ちが強まっています。でも……。
「…………」
 脳裏を、まるで走馬灯の様に、カトラスの色々な表情が巡ります。初めて会った時のあの険しい顔。仕事をしている時の顔。東端の庭で膝枕をした時。困ってた時。動揺してた時。銀天街の夜景が一望出来る丘の上で見た表情。そして怒った時の……。――…もう、あんな顔を見ることは出来ないんでしょうか――…?
 自業自得。……とは云え、正直、ちょっと辛いです。総取締役と云う肩書きを失ったのと同時に、芙蓉と云う銘も剥奪され、総取締室から居場所を失くし……。それらによって生まれた虚しさに匹敵する位の辛さがあります。総取締役の分は代替品で埋める事が出来ても、これだけは他の物では埋められません。どうしようもない痛みが、胸を突き刺します。
「……大丈夫……?」
 余程、キツイ顔をしていたんでしょう。枕を抱えたディが、心配そうに私の顔を覗きこんで来たばかりでなく、禁じている言葉を口にしました。眉間に刻まれた苦悩が、私の辛さを読み取ってしまったのだと訴えます。
「……大丈夫」
 心配を深めてはいけません。ほんの少しだけ、笑顔を見せます。
 しかし彼はそれで納得してくれず、難しい顔を作りました。
 芙蓉の大丈夫はアテにならない。そう、言いたげです。
「そう?」
 そんな事は無いと思うけど……と、唸る私。
 右も左も前も後ろも上も下も斜めすらも八方塞で、本当にどうしようも無い状況では無い限り、「大丈夫」な状況だと思うのですが……。総取締役の解任は成り行き上どうしても仕方の無い事ですし、例えこのままカトラスと仲直り出来なくても人生に差し障りは無いかと……。
 じっ。
 考え込む私を覗き込むディ。その真剣な眼差しから、「また、変な屁理屈こねてる」、と、伝わってきます。
 ぎくっ。
 ……なんですか、この子は。フェルゼンみたいな事を……。
「芙蓉の悪い癖は、そうやってどんな状況も納得してしまう事。時には理不尽だって、泣いてもいいと思う」
 泣くって……。ちょっとそれは無理が在りすぎると思いますが、言いたい事はしっかり伝わって来ました。
 無理せずに、自然体で。言いたい事は言えばいい。
「だけど、私これで結構我が儘ですし、こう! って思えばそれを無理矢理実行してしまいますし、これ以上心の儘に行動すればそれこそ周囲に迷惑かと……」
 う……。そ、それは……。
 図星を指され、反論出来ず、たじろぐディ。
 周囲の迷惑を顧みない私より、屁理屈を捏ねている私の方が何百倍もいいと思うんです。
「だから、大丈夫ですよ」
 もしもこの先、カトラスと接する機会が一切無くなってしまったとしても――…。
「お腹、空きましたね。朝食を摂りに行きましょうか」
 私は、きっと――…。
1.2.3.4.
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