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1.2.3.

1. 「儚きは過去なりて 8.」


 ついさっきまであんなに晴れていたのに突然の土砂降りの雨。雲の動きから只の通り雨だとは分かるが、この振り様は何処かに避難しなければずぶ濡れになってしまう。何処か雨宿り出来るところは無いかと探していると、丁度良い処に喫茶店を見つけた。覗いてみると、結構人が多い。しかし相席ならば空いていると言われ、あたしとディはその席に案内してもらった。四人掛けの席に一人座っていたのは初老の男性。特に何か特徴があるわけではないが、違和感を覚える。お茶菓子の食べ方、カップの持ち方、視線の使い方。育ちの良さが端々に表れていて、只者じゃない雰囲気。しかし特に気に掛ける必要もないだろうと、あたしはその人物の隣に、ディはあたしの真正面に座った。店員に温かい飲み物を注文してボンヤリ外を眺める。
「旅の方かな」
 男性が声を掛けてきたのはその時だった。
「まぁ……」
 無視するのもどうかと思ったので、適当に相槌を打つ。
「ああ、やはり。――突然の雨でさぞ難儀だっただろう。しかし貴女方は幸運だ。この店は町で一番上手い茶を淹れる」
「はぁ……」
 人付き合いの良さそうな笑顔に圧倒されるあたし。旅人(ヨソモノ)にここまで機嫌良く話し掛ける人も珍しい。場所によっては商人ですら旅人を嫌うのに、この人には疑心が無いのだろうか。それともこれがこの町の普通の反応なのだろうか。
「ここへはいつ到着されたのかな?」
 質問されても気が向かなければ答えはしない。だが今日はいつもと違って、あの笑顔にほだされたのか、素直に答えていた。
「ついさっきですよ」
 ほんの数時間前の事だ。これからじっくり街を見回って今夜の宿を決めようとしていたところだった。まったくついてないよな。雨が降り出すのがもう少し後なら、宿屋でゆっくり雨を遣り過ごせたのに……。
「ほう、それはやはり幸運だ」
 ……何が?
 あたしとは全く対照的な事を云う男性に、思わず眉を寄せてしまう。
「イーストフィールドでは年中温暖な気候で天気は一定のリズムを刻み巡る。しかし時折、思い出した様に大雨が続く日があってな。丁度こんな大雨だ。この辺りではこんな雨を龍神の恵みと呼んでいる。龍神はそう滅多に現われはしない上に、こんな通り雨で済むのも珍しい。大抵は数日続く雨だからな。今日は――龍が散歩でもしているのかな」
 龍が散歩……? 妙な事を言うおっさんだな。意図は何となく伝わってくるし、なかなか的を得た表現だとは思うが、実際に龍がニョロニョロ散歩している姿を想像すると何となく有り難味が薄れる気がする。信心なんてないから、龍の有り難味がどうなろうと知ったことじゃないが。
 しかし、龍か。……まさか(ディ)が来たから……?
 正面に座るディは、何が楽しいのか熱心にメニュー表を読んでいる。
 ……んなわけ、ないか。馬鹿馬鹿しい。
「おまたせしましたー」
 ウェイトレスから注文した商品を受け取る。カップからはもくもくと湯気が立ち上っていて熱そうだ。我先にと一口飲んだディが舌を火傷して一人慌てていた。もう少し冷まそう、うん。
「旅人さんは、これからどちらへ行かれるのかな?」
 どちらへ……何処へ……。そんな事を聞かれもこっちが困る。
「さぁ……一応、ここが終点になってるけど……」
 アルフハイムを出、人間界へと帰って来たが、特に目的も無かったあたし達は取り合えずヴァイスの言っていた東方王宮を目指した。エクアリー計画がどうこう以前に、とにかく目的が無かったのだ。アテも無く彷徨うよりはマシかも知れないと何となく目指してきたが、とうとう終点に辿り着いてしまった。
 これからどうしようか。
 自らの足で東方王宮を訪ねる気にはなれなかった。ヴァイスは別れ際にやってみせろと言っていたが、とてもそんな気は起きない。ヴァイスの画策、女王陛下の犠牲、ケルベロス・ジュニアに課せられた刑、総ての出来事が大きなしこりになって胸の奥にわだかまりを作っている所為で、エクアリー計画を素直に続行しようという気にはなれない。それに必ず東方王宮を訪ねなければならない義務も無い。ヴァイスには気が向いたら行くとだけしか言わなかったし、必ず訪問しろとは言わなかった。どう判断し動くかは、あたし自身に委ねられている。このままイーストフィールドを去り、他の生き方を探すのもいいのかもしれない……。けれどこれまでに払った犠牲を忘れ、エクアリーを中断出来るのか……、エクアリーを忘れ去り、この時代の人間として生きていけるのか……、その自信があるのか、問われれば、きっと言葉に詰まるだろう。
 旅の目的地に着くまでは、と、先送りにしてきた問題に直面する。もう、決断しなければならない。
「…………」
 質問に答えず俯くあたしを見、
「では、何処から来られたのかな?」
 彼は話題を変えた。どうやら触れてはいけない質問だったと気付いたらしい。
「東からです」
 新しい質問には直ぐに答えられたが、具体的に地名は挙げなかった。アルフハイムから、なんて言っても碌な結果にはならないと思う。信じて貰えず笑い飛ばされるか、信じて貰っても驚愕と話題を呼び面倒な事になりそうだ。だからここはこう答えるのが一番無難だろう。
「東……か。もしや海沿いの町では? 珊瑚の海洋研究所がある処だ」
「いえ」
 首を横に振った。
 竜の森を抜けた近くにそんな街があるとは小耳に挟んだが、食料も水も足りていたので立ち寄らなかった。もし立ち寄っていれば首を縦に振っていただろう。
「そうか。――あそこには我が家の別荘があって、時折訪れるのだ。いや、だから何だと云うわけでもないが……」
 何が言いたいのだろうな。
 苦笑する彼。
 全くだ。意図の掴めない他愛過ぎる話題だ。……なのにどうしてだろう。言葉が終わった後に向けられる視線が、妙に、痛い。隠している物まで見透かしてしまいそうな――そんな視線だ。
 探られている。
 しかし、何故? 初対面の男性に、素性や腹の奥を探られる理由は思い当たらないのだが……。
「そこの町はアルフハイムに最も近い場所と言われていて、実際、街にはエルフの一家が住んでいる。幾度か言葉も交わしたが、いやはや大変興味深いな。私の息子と対して変わらない容姿をしているが、外見だけで物事を判断してはならない見本の様な種族だ」
 その言葉には少し引っ掛かりを覚えた。だから思わず、口を挟んでいた。
「変わりませんよ」
「――ん?」
「人間もエルフも――何も変わりません。外見だけで内面(ひと)が判断出来ないのも、喜びも、苦悩も、……思惑も」
 何が、変わるのだろうか。
 エルフは生来慈悲深いらしいが、人間にだって慈悲はある。人間の慈悲深さは個人差が極端だが、それはエルフも同じだ。あたしの侍女を務めていたアリスは心が深く優しい女性だった。しかし一方で、唯我独尊的な性格をしたエルフ、ヴァイスも居た。エルフ族だから必ず慈悲が深いワケではない。個人によって性格は様々だ。あたしの目には、彼らは、人間と何ら変わり無い種族に見えた。
 寿命が長く、成長が緩慢である事。食事は自然界の気である事。――違いはそれ位だ。
 感情も、性格の個性も、人間と同じ。だから人間と同じ様に、時折、陰謀もある。
 ――変わらないのだ。何も。
「そうなのか?」
「ええ」
 短く答え、少し冷めたお茶を啜る。
「――そうか」
 ニヤリ、と、男性の口の端が上がったような気がした。
 ……少し喋り過ぎたか。
 感情に任せて口を軽くしてしまった事を反省する。彼の口許に向けた視線を、気分転換にそのまま窓へ向けると、雨脚が弱まった外の景色が見えた。雲の隙間から薄ら光が差し込んで、雨上がりの予告をしている。未だ完全に上がってはいないが、ほんのひと時の間に止んでしまいそうな程、雨は勢いを衰えさせていた。
 あたしは素早くお茶を喉の奥に流し込み、カシャンとカップをソーサーに置いた。
「ディ、行くよ」
 火傷した舌と格闘していたディが慌てる。
 伝票を手にし、席を立つあたしを、後ろからあの男性が引き止めた。
「もう、行かれるのかな」
「――ええ」
 貴方の所為で、とは流石に言えない。短く頷くだけに留めておく。またいつボロを出すとも限らないので、もう余り関わり合いたくなかったが、ふと、店に入る前から気になっていた事が脳裏をかすめ、要らぬお節介と知りつつも後ろを振り返ってしまった。
「入り口に一人、店内に三人、店の周囲に三人、通りに五人」
「?」
「お忍びなら、もう少し人数を減らした方がいいですよ」
 一体何処のお偉いさんかは知らないが、護衛の人数を鑑みる限りでは、やんごとなき御身分なのだろう。貴族か、それ以上か――いずれにしろこんなに護衛で周囲を固めていては、お忍びでも直ぐに露見してしまう。知られたくないのなら身辺に二人、遠巻きに三人程度にしておくべきだ。護衛の腕が信頼出来るのであれば更に数を減らしてもいい。護衛が信頼出来ないのならお忍びなんて最初(ハナ)から止めておくべきだ。
「――成る程」
 納得してくれたらしく、男性は鷹揚に頷いた。
 分かればいい。
 クルリと(きびす)を返し、出入り口へと向かう。――と。
「事務総長候補とはもしやお前の事か?」
 断定的に言い放つ彼の言葉を一瞬疑った。そして次に自分の耳を疑った。だが、空耳では無いらしい。眉間に谷よりも深いシワを刻んで、嫌な顔を作って、肩越しに男性を()めつける。
 鋭い眼光を真正面から受け止める男性の顔には、満面の、嫌味の欠片も無い笑顔が浮んでいた。――大した人物だ。こんなに睨まれてあんな笑顔をしていられる人間なんてそうそう居ない。よっぽどの狸か狐か、あるいは策士か。この場合、間違っても「人の()い人物だ」などと判断してはならない。幾つかの言葉だけで事務総長などと云う単語を思いつく人物に碌な人種は居ない。警戒に値する男だ、この人は。
「まあ、座りたまえ」
 男性が指した席は彼の真正面、ディの隣だった。
 一瞬、このまま立ち去ってやろうかとも思ったが、好奇心が頭をもたげ、それに負けてしまう。この人は誰なのか――事務総長を識る人物は多くない――何の目的があるのか――色々な疑問が背中を押し、あたしを席に戻した。男性のの示した通り、ディの右隣に座る。改めて真正面から男性を見、少し圧倒された。
 人間は外見で判断してはならないと云う訓辞があるが、ある程度はそれに洩れると思う。人間の内面とは思いのほか外見に滲み出るものだ。指の動き、視線の先、唇の厚さや目の位置に至るまで、全身から発せられる何かがある。雰囲気、とでも呼ぶのだろうか。目の前の男性もそれに該当し、全身から只者で無いオーラを感じ取った。
「稀運、なのだろうかな。これは」
 意味の分からない前置きをする。
「天気に誘われ街を彷徨えば、よもやこの様な出会いがあるとは――。正直、信じられんよ」
 何を言いたいのか何となく分かった。しかしこれは本題よりも大幅に遠回りしている。オブラートに上手く包み込んで駆け引きを楽しむのも嫌いではない。だがこの場合、イライラを増長するだけだ。
「貴方、誰?」
 率直に誰何(すいか)すると、彼は身を乗り出して耳打ちした。
「フィールドマスターのマクラレーンだ」
 フィールドマスター……。このイーストフィールドのマスターであれば、別名、東方王。あたしが最終目的地と決めていた東方王宮の(あるじ)
 これは確かに稀運なのかも知れない。逃げようとしていたのに、向こうからやって来た。見えない糸に絡め取られてしまった気分だ。
「どうして、あたしだと?」
 運命に翻弄されるとはこんな気分なのだろうかと考えつつ、次の質問をする。
 何故、あたしが事務総長候補だと思ったのか、その理由が知りたかった。あたしが彼と交わした言葉など、他愛も無い世間話だ。中には少々個人的な感情・私見を交えた意見を述べさせてもらったが、それだけで確信を得たとは思えない。何かある筈だ。
「はっはっは」
 彼は軽く笑った。何処か馬鹿にした調子が混じっていた。
「ハッタリに乗ったのは君だよ」
 しまった。
 反射的に眉間のシワが深くなった。
 まさかカマを掛けられていたとは――。ここは(とぼ)けなければならない場面だったのだ。あたしとした事が、とんだ失態を見せてしまった。……食えないおっさんだな。
「ナルホド」
 足と腕を組んで、椅子の上でふんぞり返る。イーストフィールド内で一番偉いフィールドマスター相手にぞんざいな態度だが、ここで()められたらお仕舞いだ。関係はあくまで対等。格上扱いされる事はあっても格下扱いなどあってはならない。今後を考えれば今からそれ位の事はしなくては――…と、ふと、我に返る。どうして今後を考えなければいけないんだ。東方王宮は訪れずにさっさと街を出てしまおうと考えていた筈ではないのか? このまま東方(ここ)に留まれば、これから先の将来、どんなになってしまうか自分が一番よく理解している筈。人間界でのエクアリーを任せられ、アルフハイムで時を越えてしまった賢者達の一切を任せられ、人間界での技術革新に心血を注ぎ、人間とエルフとを対等にすべく、身を粉にして人生を捧げなければならない。
 確かに、エクアリーを言い出したのはあたしだ。あたしが概要を伝え、エルフが主体となって施行された計画だ。だが、ヴァイスの目論見によってエルフは匙を投げる結果となり、このままあたしが人間界でコトを起こさねば、計画は水に流れるだけ。嫌なら放って置けばいい。
 ――賢者たちがもたらすであろう、技術によって、文明は飛躍的な進化を遂げるだろう。……自然と云う、多大な犠牲を払って。ただ技術だけを追い求めても駄目なのだ。技術(それ)に生態系を壊さない優しさと配慮を伴って発展した技術を以って、人はエルフと対等な地位を築ける。格差のある人間とエルフとの隙間を埋める為には、技術はどうしても不可欠であり、バランスの良い文明を発展させるのは絶対条件。そしてそれらを成す為には、人間の怠惰を決して赦してはいけない。技術者――賢者――を監視する目や、バランスを測る天秤を持つ采配者(さいはいしゃ)が必要とされる。以前ならエルフ族という恰好の監視者が居たが、現在はそれも期待出来ず、人間界でそういった組織を作らざるを得ない。問題は組織の編成が難しい事だが、エクアリー計画の発案者であるあたしは組織編成に確かに適任かもしれないな。
 だが――無責任かもしれないが、人生の総てを捧げてまでエクアリーを成し遂げようとは思わないのだ。一個人の、たった一人の人間でしかないのに、どうして、そんな大きな事が成し遂げられるだろうか。正直、自信が無い。
「どうした?」
 男性――フィールドマスターに声を掛けられ、はっと我に返った。
 何度も何度も考えて、結局答えが出なかった問題を、また考えていた。答えなど選べない、無駄だと分かっているにも関わらず――…。いや、違うか。答えを選べずとも、無駄じゃないと分かっているから、考えるのだ。この選択はあたしの人生に大きな影響をもたらす。進むか、逃げるか。どちらを選んでも大きな選択になる。だから考えを止められない。
「――いえ」
 しかしそんな心情を訴えたところで相手には何の意味も無い。あたしは軽く先を促した。
「エルフの使いより、計画の内容は大よそ把握している。エルフ族は君を総長に推薦したが、しかし、私はそれを疑問に思う。――私は君の事を全く知らず、その様な者に未来を委ねるのは如何かと思うのだ」
 尤もな疑問だ。
「故に、私は君を試したいと思う」
 未だ、「事務総長になる」と断言したわけでは無いのに、勝手に話が進んでいる事に、今更、気付いた。
 エルフ――おそらくヴァイスの使者――は、あたしをエクアリーの事務総長に推薦すると告げただけ。あたしの意志がどうこうとは付け加えていないだろう。だからこんな事になっているのだろうが……。
「我が東方王宮には、優秀な総取締役が居る。ところが、彼が近々引退する事が急遽決定したのだ。――総取締役の地位は決して低くない。後釜を狙って王宮内では争いが起ころうとしている」
 政治ってヤツですか。嫌だな、まったく。
「その総取締役に君を就任させよう」
 ……は?
「それを以って、力量を計る。見事、東方王宮を治めきれば、事務総長に成る事に異存は唱えず、責任を持って東方王宮の議会及び議員を説得しようぞ」
 思わぬ提案に、あたしは面食らった。
 王宮を治める――。その位の事が出来ずに、どうして新しい組織を立ち上げ纏め上げられようかと告げられ、納得せざるを得ない。だが、フィールドマスターの思惑がそれだけでは無い事も読み取り、正直、困った。
 認めようと、認めまいと、総取締役に就任すればこの男のいいように扱き使われる。そして、上手く仕事をこなせば「認めてやろう」、こなせなければ「認めない」。……まったく、コイツにばかり都合の良い話だ。もし一つでも意にそぐわなければ、「認めない」と言い張れば済んでしまう。こちらは働き損のくたびれ儲けをするだけだ。
 ――気に食わない。
 気に食わない。
 あたしが編み出した計画を、それを推奨した女王陛下を、エルフの――アルフハイムの未来の為に断念せざるを得なかったヴァイスの苦悩を、総てを悟り己を犠牲にして世界を巡るジュニアを、何千年もの時を越え生きなければならない賢者達を、これまでに起きた事、歴史、総てを、こんな人間達の手には委ねられない!

「――分かりました」
 務めて低く、私は言い放ちました。
「詳しいお話しを、お伺いしましょう」
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1.2.3.

2. 「そして彼女は衝撃に再会する 15.」


「だから、何?」
 素っ気ない声音で答えながらフェルゼンを睨みました。
「あたしがヴァイスに懐柔されたから、だから何か、不都合でも?」
 言い訳が通用する相手ではありませんし、詳細な事情を説明出来る相手でもありません。ここは開き直るしか方法が無いんです。決して自棄になったわけではありませんから。
「いや――」
 一頻(ひとしき)り首を振り、自嘲的な苦笑を洩らしました。
「懐柔と呼ぶなら、私も同類だ。この件が終わりアルフハイムヘ戻れば、中央地への知事移籍が決まっている」
「!」
 アルフハイムの端にあるクレイスタ地方から、中央地へ――。それは不良領主キール様が優良領地の領主となられた出世以上の出世です。軍の小隊長ファングが将軍になるくらい……は、言い過ぎですね。食堂メイドのリンが総取締室の室長になる位の出世です。異例も異例。……しかし、ヴァイスがフェルゼンと同僚であった事、フェルゼンの能力を鑑みれば、陰口を叩く人は居ないでしょう。むしろ、やっとこの時が来たかと喜ぶ人の方が多いのではないでしょうか。
「じゃあ、何?」
 一体何がいいたいの?
「いや――お前が、無理をしていないかと」
「…………」
 思わず、ちょっとだけ、頬を赤く染めてしまいます。
 まったくこの男は……。
「別に心配しなくてもいーよ」
「否定しないところを見ると、無理しているんだな」
「……無理しなきゃ出来ないでしょ……」
 そっぽを向いて言い訳をします。
 東方王宮総取締役芙蓉という人物はこんな人間である。――蓮華と云う人物を知らない東方王宮の住人達は直ぐにそれを信じ込んでしまいましたが、流石にフェルゼンの目は誤魔化せなかったようですね。
「芙蓉、無理をする事は悪い事ではない。むしろそれが必要な場面は幾多もあるだろう。だが、無理を続けて自我が死んでしまっては何の意味も無くなるのだよ。自我を保ち続ける限り無理は通るが、一度(ひとたび)見失えば目的も手段も、自分すらも失ってしまう。たかだが一つの組織の為に、お前が犠牲になる必要は無い」
 エクアリーを、たかだが一つの組織と言い切ってしまう辺りがフェルゼンらしいですね。そして、嬉しいです。だけどそれに、甘えてしまうわけにはいきません。そう説明すると、フェルゼンは静かに笑いました。
「――せめてお前に、お前を理解する人間が居れば良いのだが……」
 私を理解してくれる人……ですか。
「人が人を本当の意味で理解出来はしないよ」
 自嘲気味に、いつも通り、真理を説くと、
「本当に偏屈だな、お前は」
 嫌味を言われてしまいました。フェルゼンには敵いません。
「お前の強がりも、無理も、支えられるような――そんな存在が傍にあれば、少しは気苦労も減る」
 こちらの身にもなってみろ。
「フェルゼンは周りに気を遣い過ぎなんだよ」
 心配しなくても大丈夫。これでも、加減は知っていますから。
「そうか……。――何を言っても、所詮、私は見守る事すら出来ない。これ以上は深く関わるまい」
 互いに賢い選択をすべきだ、と、フェルゼンは呟きました。
「――じゃあ、そろそろ行くね」
 もう、外の騒ぎも少しは沈下しているでしょう。会議が行われない以上、早く王宮に戻って仕事の続きをしたいところです。
 挨拶もそこそこに席を離れ、扉の前に立ちます。その私を、フェルゼンが呼び止めました。
「芙蓉」
 視線を彼に向けます。
「何?」
「……お前はエクアリーで何をしたかった? お前は――これから、どうする気だ?」
「…………」
 暫しフェルゼンと視線を交わし、沈黙します。逃れられない目に、私は観念して質問に答えました。
「……あたしの故郷と貴方たちは戦争をしていた――…。そうなって欲しくなかっただけ」
 だから、エルフと人間とが対等でいられるよう、エクアリーを目論みました。
「それは、別の諍いを生んでしまったけれど――」
 女王陛下と、ヴァイスの対立は、エクアリーによって悪化してしまいました。もし私がエクアリーを思いつかなければ、二人が争い、女王陛下が死ぬ事は無かったのかもしれません。そして竜丹が使われる事も無く、ケルベロス・ジュニアが巡礼に出る事もありませんでした。私が提案した計画が、罪の根源。私がエクアリーを言い出さなければ……。そもそもアルフハイムを訪れなければ……。だけど……。
「けれど、そこに何も無かったとは、思えない」
 苦悩ばかりの罪の中にも、得るものが、確かにあったと思います。それが何かと問われれば、きっと言葉に詰まってしまうでしょうけど、けれど確かに、私は何かを手に入れました。
「だから、もう十分――。これからは、自分のやった事の後始末をするだけ」
 人間に、エルフに、償いを――。
「――そうか」
 鷹揚に頷き笑むフェルゼン。
 その表情を見て安心した私は、先に行くねと言葉を残し、ディを伴って退出しました。
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1.2.3.

3. 「そして彼は衝撃に出会う 2.」


 話し終えたイーストフィールドマスター・マクラレーン様を凝視しながら、カトラスは驚愕を禁じえませんでした。
 最初から総てを仕組んでこの東方王宮へ来た――。マクラレーン様の言葉を胸中で反芻し、その言葉に嘘偽りは無かったのだと確信します。
(だが……)
 これまでの挙動の一つ一つ――、言葉の一つ一つが、すべて、計算されていたと……? 何もかもが……。
 納得できない思いが嵐となって胸中を吹き荒びます。
「おそらく」
 動揺を隠せないカトラスを一瞥し、マクラレーン様は話しを続けました。
「数日中に、エルフ側から、エクアリー・オーガナイズの事務総長に芙蓉を推薦する発言があるであろう。そうなれば滞っている議論も多少は進まざるを得ない。ここぞとばかりに、荒れるであろうな、議会は」
 ごくん、と、カトラスは唾を飲み込みました。
「芙蓉を事務総長になど、中央王宮が――取り分け第二王子殿が憤慨しそうな提案だが、さりとて、エルフ族自らの提案を即座棄却とはいかんだろう。慎重な議論に掛けられるのは間違いない。そこで活躍するのが我が東方王宮の芙蓉反対派だ。彼らは芙蓉を、東方王宮総取締役から解任し、カトラス、お前を総取締役に就けさせられればどんな方法でも利用する。芙蓉を総取締役から引き摺り下ろせる絶好の機会を見逃すほど愚かでもあるまい。――本来なら、その様な暴挙に出れば芙蓉推奨派が黙ってはおかんだろうが……」
 ニヤリ、と口の端を持ち上げるマクラレーン様。
「最近の不祥事続きで、東方王宮内における彼女の信頼度は確実に下がっている。芙蓉派の者達に現在、発言権は皆無だ」
 数度、会議を積み重ねれば、自然と芙蓉の事務総長就任は決定するだろう。
 確信を持って、マクラレーン様は断言されました。
 総てを計算していたなどと、在り得ない――。その言葉を飲み込むカトラス。思いを口には出来ませんでした。否定する心を言葉に出来ない程、状況が整い過ぎています。
「元来、芙蓉の力量は誰もが認めるところにある。芙蓉派は勿論、カトラス派も、お前の父であるディオールでさえ、芙蓉の裁量には文句はつけん。新組織、エクアリー・オーガナイズを編成し、率いるのに、これ程の適任者は他には居るまい。まったく……よく出来たシナリオだ」
 ふう、と、軽い溜め息を落とした後、
「分かったか? 事体がどう転ぶにしろ、あれはこの東方王宮にとって不要な人間なのだ」
 ニヤリと楽しそうに笑みを浮かべるマクラレーン様。
 対して、カトラスは苦しそうに眉を寄せ、唇を噛みます。
「……マクラレーン様も……お認めになられるのですか……?」
「――あれは私の敵にはならん」
「そう思わせる為に、芙蓉様が仕組まれたのでは?」
 東方王宮の住人ばかりだけではない。東方王宮の(あるじ)たるマクラレーンですら騙そうとしているのではないか。
 言葉以外でカトラスがマクラレーン様に迫ります。
 しかしマクラレーン様は、それをいとも簡単に()なしてしまわれました。
「かもしれん。だが、それでも彼女は私を敵にはしないだろう。エクアリー・オーガナイズは当面、我が東方王宮の管轄下で活動を行う。これまで同様、私を敵に回せば何かと動き辛くなるであろうからな」
 カトラスはそれ以上何も言えなくなってしまいました。
 二人の間には、彼が入り込めない世界で取り引きと応酬が繰り返されており、見えぬ処でかなりの信頼が築かれています。友達との間で交わされる約束や、議会の奥底で時折行われる裏取引など、その程度の信頼ではありません。もっと深く、強い信頼です。
(この二人はいつの間にそんな信頼関係を築いていたのだろう)
 東方王宮で日夜行われていた騒動を治める芙蓉を見れば、誰もが信頼を積み重ねるのは当然ですが、まさか猜疑心の塊の様なマスターですらこんな信頼を寄せているとは、カトラスは考えもしませんでした。
 不動の信頼がある以上、何を言っても無駄です。彼は溜め込んでいた言葉を全て喉の奥へ飲み込んでしまいました。
 広い執務室に扉をノックする音が響いたのはその時で、開かれた扉の向こうから私は二人に姿を見せました。
「お話中でしたか、申し訳ありません」
 軽く頭を下げます。
「いいや」
 マクラレーン様も適当な返事をします。どうやら取り込み中だったみたいですね。
 マクラレーン様の正面に立つカトラスをちらっと目配せすると、そっぽを向かれてしまいました。……未だ、怒っていますか。ま、仕方が在りませんけど。
「芙蓉」
「はい?」
 何でしょうか?
「東方王宮総取締役を解任する」
 平常時(いつも)と変わらぬ調子で告げるマスター。
「謹慎でも、していろ」
「はい」
 にーっこり、満面の笑顔で頷く私。
 何も知らない人が見れば、不祥事を起こした責任者がただ解任されているとしか思えない様子を、カトラスは、痛いものでも見るかの様に、辛そうな表情で見ていました。
1.2.3.
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