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1.2.3.4.5.

1. 「そして彼女は衝撃に再会する 13.」


 一体何処が始まりと言えるのか――。どこで断言すればいいのか、私には解りません。ただ、気が付いた時には、もう手遅れでした。


 アルフハイムに住むエルフ族は生来穏やかな種族で、慈悲深く、長い寿命によって得る知識を以って、自然を乱さず、多種族と均衡を保ち生活する種族です。感応能力に優れている為、負の波動を持つ悪魔族だけとは共存出来ずにいましたが、アルフハイムに住んでいる上で不便はありませんでした。
 エルフは女王を戴き、元老院を添え、各地方に知事を置く政治体系を取っていましたが、時には人間じみた派閥争いもあり、それを疎んだ女王陛下は側近には派閥とは何の関係も無い者を好んで選抜されました。そうして選ばれたのが、悪魔とエルフのハーフであるケルベロス・ジュニアや、人間の私。そして正宗。これが人間ならば、女王の側近に一族とは何の関係も無い外部の者が絡むのは嫌われるのですが、エルフ族は一味違っていて、何の関係も無い外部の者ならば無視しこちらはこちらで派閥争いを続けようと云った雰囲気が感じられました。エルフ族としては、政治とは全く無縁であるが故に選ばれた者は腕だけは確かなので、安心して女王陛下の身辺を任せられたのでしょう。無論、疎まない者が居なかったわけではありません。それでも、女王陛下のお望み通り、側近はそれらとはほぼ独立した存在で、政治面からの干渉も、交渉もありませんでした。下手に手を出して、陛下の身辺が疎かになってはいけないという考えもあったかと思います。
 その側近――近衛の中に、ヴァイスと云うエルフが居ました。エルフの割には横暴なところがあって、言葉遣いもエルフとは思えないくらい乱暴。ちょっと、エルフらしく無い人。……ちょっとだったかな……。まぁ、いいか。ケルベロス・ジュニアに似ていたと思います。そして誰よりも――エルフ族の将来を考えていました。
 彼は常々、ケルベロス・ジュニアの存在の危険性を説いていました。そしてその度に、ジュニアと衝突を繰り返していました。

 エルフは繊細であるが故に、脆弱な一面がある。人間が、強固な意志を持つ一方で、脆い部分を抱き合わせているのと同じだ。エクアリー計画で、エルフが人間の手助けをし、もし、エルフが人間に感化される様な事があったらどうなるか。もし、人間性がエルフの脆弱な一面を侵食すればどうなるか――。

 そして数学を専攻していたエルフでした。

 始まりのほんの小さな出来事が、未来に多大な影響を及ぼす場合がある。一と一を足すだけの簡単な答えを間違えて、二ではなく三と答え、更に数式を解いていくと、間違った解に辿り着く――。例えば、悪魔の血を半分であろうと引いているケルベロス・ジュニアがアルフハイムに留まるのは、危険な事ではないのか。人間が女王の身近に在るのはエルフ族の未来に影響を及ぼすのではないのか。人間の将来にエルフが手を差し伸べるのは後々問題を引き起こすのではないか――。種族を超えた歩み寄りが、必ず、良い未来をもたらしてくれるとは限らない。彼はそう言い続けたのです。
 その為、たびたび女王陛下とも衝突があった様でした。しかし陛下はその度に、彼の意見を取り下げてきました。
 女王陛下は、エルフであるが故にエルフの誇りを持ち、エルフであるが故に儘ならない苦悩を抱えておられました。――エルフでなければ――。人間に弱さがあるように、エルフであるが故の弱さを補う為、エルフに強さを学ばせる為に、陛下は悪魔の血を引くジュニアや人間の私のアルフハイムに受け入れられたのです。しかも意志の強い御方でしたから一度決めた事は最後まで遣り通されたので、ヴァイスの警告を聞き入れたりはしません。しかし頭が固い方ではありませんでしたから、ヴァイスの言い分を誰よりも理解されていたと思います。――理解されていたからこそ、ヴァイスの意見も無視は出来ず、しかし意志の強さ故に信念も曲げる事が出来ず、結局自分は自分として己の意見を貫き、その傍らでヴァイスにも己の意見を貫き通させたのでしょう。それが陛下に出来る、精一杯の妥協でした。
 その頃の私は、ヴァイスと陛下がそんな遣り取りをしているなど全く気付かず、エルフを師と仰ぎ書を読み、正宗を師事し剣を磨いていました。毎日が結構充実していて、楽しくて、その日々の裏に何が起きているかなんて考える隙間は無かったんです。きっと私が気付かなかっただけで、何か兆候のようなものはシグナルを発し続けていたのでしょう。気付いていれば、何かが変わっていたかもしれません。しかし私は気付かず、エルフに囲まれて笑う私を見、ヴァイスは少しずつ、追い詰められていきました。少しずつ……、少しずつ……。私が、ジュニアが、気付かずに、追い詰め続けていました。

 そして事体は最悪の方向へ――。

 その日は天気が良く、それに比例して暇な日でした。勉強も剣術の練習も無く、時間を持て余した私はふらりと散歩に出かけます。気が向いたので、少し遠回り。いつもは通らない道を通ると、森の奥に、湖と白い聖堂を見つけます。人気の無い場所に建つ建物に興味を引かれた私は、躊躇いも無くそこへと足を踏み入れました。
 白い壁一面に飛び散った鮮血の赤。立ち込める鉄臭い異臭。床に伏せた幾人ものエルフ達――その全員が既に事切れていました。中央奥の祭壇に近い場所に横たわった、白いドレスの女性も。
 ……女王陛下。
 その彼女の傍に立つ正宗を見、私は息を呑み、私は総てを悟りました。
 女王陛下を、そして陛下の護衛兵をこんな目に遭わせたのは正宗なのだと。しかし正宗に女王陛下を暗殺する理由などありません。本性はドラゴンの彼は、何にも干渉せず、何にも侵されない。侵さない。孤高で、自由気まま。なのに何故? そもそも女王陛下を害する理由がある者など、このアルフハイムには居ない筈――。元老院をはじめとするエルフ達はみな、揃って女王を敬い、崇めていました。そんな彼らにも理由はありません。――たった一人だけを除いて……。
 ……ヴァイス……。けれど彼もまた、女王を尊敬していました。こんな暴挙に出るとは思えない。……だけどもし……、ヴァイスの考えに、正宗が賛同したのならば――…。コトを実行に移そうと考えても、おかしくありません。あの正宗が味方に付くんです。自分の考えは間違っていない――私なら、そう考えます。エルフですらもそう思うでしょう。ドラゴンとはそういう種族なんです。
 追い詰められて追い詰められて、その果てに辿り着いた一つの答え。アルフハイムを引っくり返しかねないその画策に躊躇っていたヴァイスを後押しした正宗。その結果を目の当たりにした私。
 私が気付いてしまったコトに気付いた正宗は、その場で容赦無く私を切り捨て、そのまま私は気を失ってしまいました。
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2. 「儚きは過去なりて 3.」


「……ンだ、こりゃ……!?」
 鼻が利く彼――ケルベロス・ジュニアは、風に混じった微かな異臭を嗅ぎつけ、辿り着いた場所でとんでもないものを目撃した。
「酷い……!!」
 彼の一歩後ろに控えていた侍女・アリスが鋭く叫ぶ。
 アルフハイムでは在り得る筈の無い惨劇。血の雨が降った後かと見紛う程に、壁に付着した鮮血。数々の死体。戦場でもこれほどの光景は滅多に拝めるものではない。それが何故、こんな小さな聖堂内で……!?
「……! おい……ありゃまさか……蓮華!?」
 扉の一番近い場所で倒れている小さな人影に駆け寄る。それは間違いなく、彼が呼んだ名前の人物だった。
 右肩から左腰に掛けて大きく背中が裂けている。出血が酷く、傷口を覆ってしまうほどだ。顔色が最悪。唇の色が変色している。息はかろうじてある。だが……。
「誰か人を……!」
「無駄だ」
 聖堂の外へ向かうアリスに、彼は低く唸った。
 ……助けを呼んでも間に合わない。……いや、今直ぐ治療を施してももう無理だ。傷口が深過ぎる。何より、出血量が多過ぎる。手の施しようが無い。死神が確実に彼女の心臓を掴んで放さない。
(もう、確実に――)
 ――死。
「…………」
 ぎりっと、彼は唇を噛んだ。
(オレがアルフハイムに連れて来たばっかりに……!!)
 ここで一体何が起きたのかは知らないが、人間界に居れば少なくとも彼女は死んだりはしなかった。責任の一端を強く感じる。
(……救う方法が……無いワケじゃねぇ)
 一つだけ方法がある。だがそれは万死に値する。人によっては、死よりも恐ろしいコトになってしまう。だが、この場だけは凌げる。
 蓮華ならどうするか――。考えてみるが答えは出なかった。時々、この女は全く予想だにしていなかった行動を取る事があった。それが気に入っていたが、今となってはそれすら疎ましい。
(蓮華が、コレを使ってまで生きていたいと思うか……? 何が何でも生きようと思うか――? どっちだ、蓮華!?)
「……ぅ……」
「!!」
 微かに感じた吐息に、彼は意を決した。
 胸元に下げていたネックレスを外し、きゅぽんっと蓋を外す。中身は空だ。何も入っていない。
「アリス、水を」
「あ、はい」
 この非常時に何をしているのかと思ったが、今は信じるしかない。彼女は聖殿近くの泉から両手一杯の水を汲んで来た。それを二、三滴、ネックレスの空になっている部分に注ぐ。ジュニアはそれに一度蓋をし、よく振って再び蓋を開けた。水には何ら変化は無かった。ただの水だ。
「それは……?」
「――馬鹿げた賭けだ。……中身は大昔に全部無くなってしまった。だが瓶の底にほんの僅かに残っているかもしれない……。もし残っていれば――」
 そこで、口を閉ざしてしまう。
 彼は倒れている彼女の口に、その水を含ませた。
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3. 「儚きは過去なりて 4.」


 ――目が……開いてしまった。
 重たい体。規則的な息遣い。考えた通りに動く指。
 ――生きてる。
 もう駄目だろうと思ったのに、生きていた。どうやって生き延びたかは知らないが、生きている。指先に感じるベッドの感触も、吸い込んでいる空気の存在も、目に見える部屋の中の様子も、全てが生きている証だ。
 ……生きていた。間違いなく死んだと思ったのに。……生きて……いた。
 唇を噛み締め、涙を零した。


 背中に受けた傷は殆ど治り切っていた。痛みも感じない。試しに手を伸ばしてみると、くっきりと傷跡が残っている感触が伝わってきた。本来なら死んでいて当然の深手だ。傷跡が残ってしまうのは仕方無かった。
 ……いっそのこと、あのまま息絶えてしまえば良かったのに……。
 ――ヴァイスの目論見に気付いてしまった。これからどんな顔をしてアルフハイムで生きればいい? 総てが飲み込まれるのを目にしながら、きっとあたしは何も出来ない。……何もしない。ヴァイスのことは話せない。女王陛下がヴァイスの言い分を理解なさっていた様に、あたしにも彼の気持ちが理解できる。ヴァイスはあたし達から――人間から、悪魔から、アルフハイムを護りたいだけなのだ。女王陛下を敵に回してまで……。
「……蓮華……!? 良かった……、目が覚めたのね……!」
 考えに没頭していて気付かなかった。部屋の扉にはいつの間にか侍女のアリスが立っていた。感激で、涙を流している。彼女は部屋から飛び出て、ケルベロス・ジュニアの名を叫んだ。アリスの声を聞きつけたジュニアは、直ぐに部屋に飛び込んできた。
「……気分はどうだ?」
 彼らしくない気遣いが疎ましかった。
 あたしは目を伏せたまま、何も答えなかった。
「アリス、席を外せ」
「しかし……」
「何かあれば直ぐに呼ぶ。……頼む」
「…………」
 今は何を言っても無駄だと悟ったのだろう。後ろ髪を引かれながらアリスは部屋を出て行った。
 パタン、と扉が完全に閉まるのを確認し、ジュニアは首に下げていたネックレスを外した。彼がずっと身に付けているネックレスだ。いつもいつも似合わないと思っていたし、本人もそれを自覚していたのだが、彼は決してそれを放そうとはしなかった。それを、私が陣取っているベッドの脇に備えられたチェストの上に、傷が付かないよう優しく置く。普通のネックレスよりも二倍は長いチェーン。ダイヤか水晶の様な透明感のある細長い宝石が輝いている。宝石にはチェーンの接合部分が蓋の様になっていて何かを入れる事が出来る。どうもあの宝石は只の宝石ではないらしい。香水でも入れる物なのだろうか。
「竜丹だ」
 聞きなれない単語にあたしは僅かに顔を顰めた。
「どんな病でも直ぐに治療出来る万能薬。――と、知られている。コレを使って、お前を助けた」
 余計な事を……。
 そう思ったが、口にはしなかった。憎まれ口を叩く余裕も気力も無かった。
「問題は、これがドラゴンの心臓を原料に製造されるという事だ。ドラゴンは希少種。ドラゴン族を万が一死に至らしめた者は重い刑が与えられる上、その累は限りなく広域に及ぶ。……竜丹に関わった者は総て、一人の例外も無くだ。……意味は、解るな」
 良く分かった。ジュニアがどういった経緯でこれを手に入れたかは知らないが、この竜丹とやらを作った者も、それを持っていたジュニアも、そしてそれを含んだあたしも、処罰される運命という事だ。無論、外部にそれが知られてしまえば、という条件付になる。要は、知られなければ良いのだが……。
「――お前の異常なまでの回復力に、元老院が気付いた」
 ……既に手遅れか。ジュニアの奴め……。
 じろっと睨むと、ジュニアは申し訳無さそうに目を伏せた。
「既に査問委員会が開かれていて、オレはこれから取調べだ。お前も回復次第質問攻めだぞ。覚悟しとけ」
 そんな覚悟、したくない。
「それから竜丹(これ)は、お前の物だ。――次は……お前が守る番だ」
「…………」
 無言を肯定と認め、ジュニアはあたしの傍から離れた。その表情は硬い。これから委員会を相手にしなければならないのなら当然かもしれない。扉を開けた銃には、ふと、何かを思い立ったらしく、動作を止めた。
「蓮華」
 こちらを振り仰ぐ事なく、続ける。
「すまない」
 ――その気遣いが、一番腹が立った。
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4. 「儚きは過去なりて 5.」


 起き上がれるようになった頃、ジュニアの予告通り査問委員会の使いが頻繁に訪れて来た。ベッドの際に椅子を用意させ粘り強くあたしを問い詰める。それが毎日。ご苦労だな。そんなに見詰められてもあたしは何も喋る気は無い。……そもそもそんな気力が無かった。喋る気どころか食べる事も寝る事も億劫で、毎日をただ無意味に過ごしていた。取調べを続けるエルフの声がかなり遠くに聴こえ、現実味が無い。来る日も来る日もエルフの言葉を無視し続ける。
 それが暫く続くと、日を追うごとに問い詰めるエルフの数が減り始めた。そしてついに誰も来なくなってしまう。
 アリスが毎日様子を見に来た。今日の出来事、明日の予定。取り留めの無い事を独りで喋る。あたしが何も答えないと分かっているのに、毎日根気強くそれを続けた。いつかは答えてくれる。そう信じて止まない心が見えたが、その期待に答えてやろうとは微塵も思わなかった。逆に煩わしいとも思わなかった。あたしの心は常に、どこか別の場所に在った。
 あたしの周囲はとても静かになり、無意味な時間が増えた。

 何日程過ぎただろうか。気まぐれに、ベッドから降りて部屋の外を眺めた。
 広がる緑。広大な大地――アルフハイム。
 そしてふと思い出す。
 森の中にあったあの場所は――正宗から剣の手解きを受けたあの場所は、今も未だ残っているだろうか。
 ……見てみたい。確認したい。
 それは久し振りに沸き起こった感情だった。
 思い立ったが吉日とばかりに、直ぐに部屋を抜け出す。誰かと一緒に出掛けたくは無かった。あそこはあたしにとって、今でも秘密の場所だったからだ。誰かをお供につけて行こうとは考えず、こっそりと館を抜け出してその場所へと向かった。
 古い大きな館と樹齢千年は軽く越える樹。そしてガラス張りの温室。
 あの惨劇からそう日数は経っていない。なのに不思議なコトに、青々とした緑に囲まれたそこは、今ではすっかり朽ち掛けていた。主を失って、この場所もまた存在意義を無くしてしまったのだ。だからこんなにも姿を変えてしまったのだと思った。確証は無いクセに、その理由で納得出来たので、そういう事にしてしまった。特に理由を突き詰める必要も無かった。あたしが納得出来ればそれでいいのだ。
 ぐるりと辺りを見回しても何の気配も無い。そこはもう、あたしが知るあの場所ではないのだと悟った。あの人が居なければこんな場所には何の意味も無い。
 ――何を期待していたんだろう。期待するほどの希望が、未だ胸の中に残っていると? ……あんな事をされたくせに。戻って来ないと、頭で分かっているくせに、期待してしまっていた自分に腹が立つ。
 ジュニア達が問い詰めないのをいい事に、口をつぐんで真実を隠して、何を期待していたんだろう。何も話さなければ、そうすればきっと、いつの日か、あたしの処に戻って来てくれるとでも?
 ――独りよがりもいいところだ!
 ガシャン!
 力任せに温室のガラスを叩くと、当然の如く割れてしまった。大きな欠片が地面に落ち、小さな欠片が殴った手を傷付ける。傷口からは細い線を描きながら赤い血が滴り落ち、地に生い茂る緑を赤く染めた。
 ……どうして今まで気付かなかったんだろう。そうだ。こんな簡単な方法があるじゃないか。
 ゆっくりと、大きなガラスの破片を持ち上げる。それを左手の手首に押し当て、切り裂いてしまおうとした。だが、
「やめてっ」
 背後でアリスの悲鳴が上がり、ガラスを持つ右手をケルベロスに押さえられてしまった。激しく抵抗するも、破片を無理矢理取り上げられ、捨てられる。それから強烈な平手打ちが左の頬を襲った。
 パン!
 小気味良い音が響く。
 何処か遠くで、鳥が羽ばたく音が聞える。
「……ッ」
 頬が、痛かった。同時に、ガラスを握り締めた所為で付いた大きな傷が痛い事に気付く。
 痛み。――生きている証。
「……くっ……ふ……」
 耐え切れずに、涙が零れる。
 そっと寄り添ってきたアリスにしがみ付いて、あたしは気が済むまで泣き通した。
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5. 「儚きは過去なりて 6.」


 それからは、停止していた思考が動き出し、後悔し続ける日々が続いた。
 何処が間違っていたのだろう。
 何処から狂い出したのだろう。
 もしやり直せるのなら、何処から始めればいいのだろう。
 あたしとジュニアが出会ったあの日から?
 それよりもずっと以前だろうか。
 何度も何度も同じ思考を繰り返す。止め処なく、無駄に。無様に。
 そんな不毛な毎日から抜け出す為、体を動かす事にした。動いていれば無駄な事を考えずに済む。
 剣を取り、修練を始める。
 剣を振る度、剣の扱い方を教えてくれたあいつを思い出して、体を動かしても結局不毛な思考はするんだなと気付かされたが、止める気にはなれなかった。ベッドの上で悶々と考え込んでいるより、こっちの方がよっぽどマシだった。
 相手はジュニアがしてくれた。
 しかし七日を過ぎる頃、もう相手は出来ないと言われてしまった。
「オレじゃ、お前の相手は務まらない」
 強くなったと言われたが、嬉しくなかった。荒んだ心で手に入れた強さなんて、贋物にしか思えなかった。


 その日の夜、涼む為に庭に出ると、月が見事な色を称えて輝いていた。見る者を吸い込んでしまいそうな色に、あたしは故郷を思い出す。――先の事など何も考えずに飛び出して数年が経った。その結果がこの様だ。人間とエルフの架け橋になればとエクアリー計画を提案したが、それによってエルフと人間との関係が増しヴァイスの怒りを買った。現在計画は頓挫し、宙に浮いてしまっている。女王陛下暗殺事件で色々と問い質されているが、今後どのような目に遭おうとも一切話す気はない。……もう、あたしがここで出来る事など、何一つ――無い。
 ――何もかもがヴァイスの思惑通りだ。あの日、あたしがあの場に遭遇してしまったが為に竜丹が使用され、ジュニアは連日取調べを受けるハメになった。処分の決定・申し渡しは数日後に執り行われる。そうなれば次はあたしだ。
 女王陛下、ケルベロス・ジュニア、そしてあたし……。アルフハイムの為に、ヴァイスの為に厄介な連中が一度に消えてしまう。あたし達さえ居なくなれば、アルフハイムに滞在する他の人間達など烏合の衆。取るに足りないだろう。あたし達さえ居なくなれば……目的は容易に達せてしまう。
 あの日あたしがあそこで目撃してしまったのも計算の内だったのかもしれない。きっと正宗が入れ知恵したんだろう。あの男なら、いつ、どこで、何をすれば最も効果的なのか、直ぐに思いつくだろう。
 ……何もかも……もう、何もかも……。

「――…なんだ、起きていたのか」
 背後から聞えてきたのはジュニアの声だった。
 あたしはゆっくりと彼を振り仰いだ。
「……ジュニア」
「ん?」

「――頼みがあるの」
 その日あたしは故郷に戻る決意をした。
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