INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第05章 第00話next
1.

1. 「惨劇の聖堂」


 陽気に誘われる儘に外へと繰り出した。心地良い暖かさを孕んだ風、絶え間無い鳥の鳴き声。恒久的に続く安寧と平穏。今まで、これ程、アルフハイムという世界を感じた事は無かったと思う。茂る緑に囲まれて、心が静謐で満たされる。
 瞑っていた瞳を軽く開き、深呼吸をした。
 森の奥へと更に足を運ぶと、小さな泉に辿り着く。穏やかに揺れる水面が時折風に煽られて騒ぎ、生まれたての漣が向こう岸に向かって真っ直ぐ伸びた。その動きを目で追うと、白い建物の端を瞳が捕らえる。
 静謐を体現したかの様な穏やかな色合い。割と小さな建物で、収容人数も多くは無さそう。女王の王宮の近くで見た聖堂に似ている気がする。しかし、人の気配どころか動物の気配すら窺えないこんな森の奥深くに、一体どんな用途を目的として建てられたのだろう。
 興味を覚えたあたしは、泉を大きく迂回して向こう岸へと向かった。間近で見ると益々小さい。出入り口は一つだけ。扉には細やかな装飾が施されているが、触ってみると鉄の様に冷たく硬かった。こんな硬い物にどうやって装飾を施したんだろう。本当にアルフハイムの技術者達には脱帽してしまう。芸術性も然る事ながら、華美であり豪華であり、けれどそれを主張しない、調和を保った芸術は人間がどんなに努力を重ねても真似出来ない。実際、あたしもやってみたいと申し出たが、数百年の時間を軽く要すると聞いて止めた。人間であるあたしにそんな時間は許されていない。それにあたしには芸術性が欠けていると言われてしまったし、諦めざるを得なかったのが実情だ。せっかくアルフハイムに居ると云うのに惜しい気もするが……、エルフ独特の楽器という芭蕉琴に触れられた事だし、それでチャラにしてしまおう。
 扉を開ける為、両腕に力を込める。相当重いだろうと覚悟をするが、扉は羽根の様に軽く、あっさりと開いた。この森の奥深くに秘められた小さな神殿に、エルフの技術が詰め込まれている事がひしひしと伝わってくる。扉だけでこうなのだ。一体、内部にはどんな装飾が施されているんだろう――。
 期待に胸を膨らませ、一通り目を配って、

「……!?」

 言葉を、失った。
 想像とは余りにも違い過ぎる光景に、体が拒否反応を起こす。
 どうして……こんな……。
 鉄臭い異臭を放ちながら、白い壁に飛び散った血。
 床に、壁に、柱に、寄り添うように横たわる幾つかの死体。
 群れ成す力無き遺体の中に、取り分け目立つ四肢(からだ)が一つ確認出来た。祭壇に一番近い場所でぐったりと横たわっている。白いドレス、長い髪。――見知った顔。いつも見る者を魅了して止まない笑みを浮かべていたその顔から、今、血の気が失せて見る見る青くなっていく。頬には未だ少しだけ赤みが差していたが、呼吸している様子は無かった。もう既に息絶えている。
 他の死体も同じ……、既に手遅れだ。

「……!!」
 呆然と、そこに立ち尽くした。
 ――呼吸が巧く出来ない。乱れる。息が……詰まってしまう……。
 不規則且つ、段々、一つ一つの息が浅くなる。ひゅ、ひゅ、と息を吸うたび、あたしの肺の動きに合わせて胸が小刻みに上下した。
 こんな……こんな……!

 そんな死体群の傍に、男が立っていた。
 あたしが開け放った扉から舞い込んだ風に煽られて、長い銀髪が揺れる。

 ……銀……髪……。

 手には血塗れの片刃剣。
 装飾は無く、実用一点張りの見事な剣。――見覚えのある剣。
 その持ち主の蒼い瞳が、あたしの視線を絡め取る。
「――――ッ!」
 視線だけで切り裂かれた様な感覚を覚え恐怖する。だが、恐怖に心を揺さぶられてもたじろいでいる時間は無かった。恐れを感じると同時に確信したもう一つの脅威が迫っていた。
 ――来る!
 持っていた吉宗(ヨシムネ)を鞘から抜く。しかし半分程抜いたところで、
 ギンッ!!
 血に濡れた刀身が、吉宗の刀身を捕らえた。
 冗談抜きで速い。これが――本当の、本気の実力! あたしを相手にしている時は決して見せなかった、これが彼の本当の力!
 ぐっ、と押され、技量だけでなく筋力の差も感じ取る。
 重い……耐えれない!
 勝ち目の無い力比べを延々と続けていても仕方無い。この状況を打破してくれる別の方法を脳内で高速処理している、その時だった。
 ガギンッ!!
 再び激しい音を立てて、吉宗が真っ二つに折れた。あたしの右手に握られた柄の部分と、鞘に収まったままの刀身の部分。柄の方はあたしの手から滑り落ちて床に転がる。そして鞘の方の刀身は――、

 ぞくっ。
 悪寒。
「…………!」

 ――けれど確認する前に、背中に気配を察知し、確認を止めた。
 ――速い……! いつの間に背後に……!?
 ここであたしが取るべき行動は、素早く後ろを振り返って敵を確認し、次の攻撃に備える体勢を取る事だっただろう。けれど、出来なかった。これ以上は無い恐怖で体が硬直してしまう。息一つ、瞬き一回すら、赦され無い様な感覚――。もしそのどれか一つでも犯してしまえば、何にも代え難い罪を負ってしまうような――何をしても赦され無い、そんな気がしてならない。
 背中を向けたまま微動だにしないあたしを見下ろす彼が、ふ、と笑った気がした。
 彼の優雅な左手が、あたしの左の首筋、耳の下の髪を撫でる。優しく、何よりも愛しそうに。
 冷たい手。まるで血なんて通ってなさそうな……。
「…………」
 全身が粟立ち、冷や汗が噴出す。
 駄目……だ。

 ザンッ。

 背中に激痛を感じ、あたしは大きく仰け反った。
 ……熱い……。
 右肩から左腰にかけて、体が深く傷付いた事を察知する。だがどうしようも無い。



 潤む視界の中に、空中を舞って鞘から抜け出す片割れの刀身を見た。
 ――それが、最後の、記憶。
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