INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第04章 第09話next
1.2.3.

1. 「38.7℃」


 イーストフィールドは年中温暖な気候で、毎日が春の様な気温。時々、思い出した様に大雨が降る日の中には寒くなったりする時もありますけど、暑くなる日はありません。服は大抵、薄手の長袖。裾がヒラヒラしたものが最近の流行。掛け布団も薄め。その分、さわさわふわふわして肌触りが良い物が好まれます。つまりイーストフィールドには四季感が全く無く、お陰ですっかり忘れていました。この世には、風邪という人間の天敵が存在する事を。
「げほっ。……う~~」
 ヂカヂカと痛む喉を押さえて咳を一つ。唾を飲み込むのですら苦痛です。痛いです。熱が高くてクラクラします。体温計なんて無いから正確には分かりませんけど、この具合から察するに相当高いみたい。瞳には涙の膜が張られて、ちょっと油断すると零れてしまいます。食欲も有りませんし、当然、仕事なんて出来ません。今日はお休みです。
「……薬、嫌い」
 ディが差し出したそれに文句を言うと、怒られてしまいました。
 侍女に運んで来て貰った食事には半分しか手を付けていません。薬を飲む為に用意してくれた水の隣でお粥が未だ湯気を出しています。何だか申し訳ない気持ちを抱えながら、私は苦い粉薬を渋面で飲み干しました。
「まずっ」
 良薬口に苦し?
 ディ、貴方の言葉は確かに先人達も申していましたけど、慰めにも何にもなりません。不味いものは不味いんです。
 不味さを流し込んでしまおうと水を一気に飲み干し、私は再び床に就きました。
「ディ、もう大丈夫ですから、仕事に戻って下さい。カトラス一人では大変でしょうし」
「…………」
「……ちゃんと大人しく寝ていますから」
「…………」
 私ってそんなに信用無いんですか?
 しつこく疑わしそうな目で見るディを何とか説き伏せて、執務室へと向かわせます。残るは私一人。静かになった室内で静かにベッドに体を横たえ、溜め息をつきました。
 たかが風邪。されど風邪。風邪をひくなんて何年振りでしょう。喉は痛いし、咳は出るし、熱でクラクラするし、関節は痛いし、良い事なんて何一つありません。仕事しなくていいのはラッキーですよね。でも寝てるだけは退屈です。気を紛らわせる為に色々と考え事をしますが、どれも仕事に結びつく事ばかり。何か悔しいですね。せっかく仕事をしなくて良い日に仕事を思い出すなんて。カトラスを始めとする取締室の皆に踊らされているみたいで気分が良くありません。
「う~……、くらくらする……」
 眩暈を覚えて、考え事は一時中断。大きく吐いた息が熱を孕んでいます。
 掛け布団を引き摺り寄せて肩に掛け、息を吸うと、急に眠気を覚えてそのまま意識を沈めてしまいました。


 ――どのくらい、時間が過ぎたでしょうか。何やら気配を感じて目を開くと、目の前に顔が二つ並んでいました。
「うわっ」
 なななななっ……。
「何をしているんですか、そんなところで!」
「だってなぁ」
「ねぇ」
 顔を見合わせて頷きあう二人、小隊長のファングと、食堂メイドのリン。……この二人、最近よく一緒に居ますね。
「オメェ、何か弱くなった?」
 熱で赤らんだ私の顔を覗き込んでファングが言います。
「熱が出てるのに元気な方が変ですよ」
 げほん、と咳をしてやりました。
 強いだの弱いだの、東方王宮総取締役には関係の無い基準です。でもファングとしては気になるんでしょう。未だ私がここに入宮したばかりの頃、この私室に忍び込んで来た彼の腕の骨を折ったのは他でも無い私ですし、部下達の前で弓勝負をし打ち負かしたのも私です。先日剣で勝負したのは領主のキール様。勿論、私が勝ちました。今のところ全戦全勝ですね。私って凄いかも。
「じゃなくてさ。――熱があるとは云え気配が読めないなんて、鈍ったんじゃねぇの?」
「――――…」
 指摘され、思わず黙り込んでしまいました。
 図星です。一応、自覚しています。
 無理もありません。旅をしていた頃なら兎も角、今は東方王宮の外城にある執務室に籠もって書類、もしくはカトラスと戦闘するのが日常です。時々、議員方を相手にしたり、マスターと打ち合わせしたり、その帰りに王子レオン様に捕獲されてしまったりします。仕事が終わるのは夜も暮れる頃。鍛錬なんて出来る筈もありません。様々な方々のお相手をしているので、心身の「心」の方は別の意味で強くなった気がしますけどね(特にあのカトラス相手では……げふん、げふん)。それに好きで鍛錬してたわけではありませんし、今となっては必要の無い技術ですから問題もありません。そもそも、武官より強い文官が居る事実の方が問題だと思うんですけど。
「別にいいじゃないですか。弱かろうが、強かろうが」
 口を尖らせる私。
 むしろファングとしては喜ばしいんじゃないんですか?
「――太るぞ」
 ぴきっ。
「いいか、いつまでも若いと思うなよ。その油断が贅肉になって、腹とか足とか顔とかに出るんだ。デスクワークなんて最悪だろ。だから今から――」
「~~~~っ」
 余計な一言を……! 気にしているのに……。気にしていたのに……。だから一応、食事に気を配って、散歩までしていたのに……!
「出てけっ!」
 どかん、と蹴りをいれ、ファングをリン諸共追い出します。
 まったくもうっ。一体、何をしに来たんですか、あの二人は! こっちは曲がりも何も病人なんですよ。もうちょっと労わった発言は出来ないんですか!
「あのー、芙蓉様?」
「何ですかっ」
 ドアの隙間から顔だけを覗かせるリンを一喝します。
 彼女は一瞬びくっと身を竦め、苦笑いしながら答えました。
「お見舞い、そこ置いてるからね」
 彼女が指差した小さなテーブルの上には透明の液体が入った瓶が置いてありました。
「アタイとアイツとで選んだんだから、ありがたーく飲んでよ。じゃねっ」
 軽い挨拶をしてさっさと行ってしまいます。
 ……一応、お見舞いに来てくれたんですね。まぁ、病人の部屋に来る理由なんてそれしか無いですけど。
 お昼少し前にはディから事情を察したコレットが着替えを余分に持って来てくれましたし、昼食時には昼休みの時間を利用して取締室のメンバーが打ち揃って様子を伺いに来てくれました。その他にも引っ切り無しに見舞い客がやって来ます。王子レオン様も来て下さったんですけど、うっかりうつしてしまうといけないのでドア越しに少し言葉を交わしました。庭で摘んだ花が彼のお見舞いの品。ファングとリンのお見舞い品の隣に手近にあったコップに生けているのがそれです。
 私は花を眺めながら瓶の口を開け、一口その中身を飲みました。
「……冷たい」
 瓶のラベルに書かれた商標は水。つまりミネラルウォーターです。けれど何故か、とても甘く感じられました。……風邪をひいているから、きっと、味覚狂っているんですね。
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1.2.3.

2. 「37.5℃」


 寝たり起きたり考えたりを繰り返している内にとっぷりと陽は暮れ、夜になってしまいました。ディは未だ戻って来ません。いつもならとっくに仕事は終わっている時間です。やはり私が居ない分、仕事が詰まっているのでしょうか。

 あれこれ考えていると、再びうとうとしてきました。そこに部屋の扉をノックする音が響きます。いい加減ディが帰ってきたのかな。……いえ、違いますね。あの子は部屋に入るのにノックなんてしません。一体誰でしょう。
「んー」
 寝ぼけ眼のままベッドの上から返事をすると、ゆっくり扉が開きます。そして静かに中に入って来たのはディではありませんでした。
「……カトラス」
「――お加減は如何ですか?」
 突然の事態に一瞬停止してしまいました。彼の顔を見ながら何か答えなければと一生懸命言葉を探し、一先ず頷きます。
「大丈夫……です」
 えーっと、それから……。
「ディは?」
「彼は未だ仕事を」
 お見舞いの品らしき物をテーブルの上に置いて、ベッドへと足を運ぶカトラス。
「如何されましたか?」
「あ――」
 驚きもします。まさかカトラスがお見舞いに来てくれるなんて思っても見ませんでしたから。彼の事だから、「風邪をひくなんて何をやっているんですか」と怒っているものだとばかり思っていたんです。明日になったらお説教かなぁ、と。
「ううん」
 首を横に振りました。
「ちょっと驚いただけです。まさか貴方が来てくれるなんて考えもしなかったから」
 でも、こうしてお見舞いに来て様子を伺ってくれる彼も彼らしいと言えば彼らしいです。何だかんだ言って結局、優しいところありますから。正直、ちょっと嬉しいです。
「……何を笑っていらっしゃるんですか」
「え? 笑ってます?」
 何と言いますか、やはりこう、顔が自然に……。
「未だ熱があるのでは?」
 顔を顰めてカトラス。
 そうかもしれません。今度はきっと別の熱じゃないかな。
「お昼よりはずっと下がりましたよ。多分。体温計が無いから、正確には分かりませんけど」
「タイオンケイ?」
「あ、熱を測る機械です」
 脇で測る物もあれば口で測る物もあったり、様々な種類の体温計を私は知っていますが、カトラスは知らなくて当然ですね。風邪の時の目安になるだけではなく基礎体温で妊娠を知ったり出来ますから、あると便利だと思うんですけど、未だ開発されていません。もしくは市場に流通していないだけなのかも。どちらにしろ、体温計で体温を計測する事に慣れている私としてはこう云う時不便さを感じます。
「咳は未だ少し残ってますけど、後はもう熱さえ下がれば何とか明日には――」
 徐に、カトラスが眼鏡を外したかと思うと、私のおでこと自分のおでこをコン、と合わせます。顔が近いです。息が掛かります。何より、額からカトラスの体温が伝わってきます。
 な、な、な、な、なっ……!
 言葉を忘れて思わず硬直してしまう私。
 けれど彼は平然としたもので、当たり前の様にそれで熱の具合を診て、「大丈夫ですね」と診断を下しました。
「この分なら、明日の朝には下がっていると思いますよ」
 何ら変わった様子は無く眼鏡を装着します。
「はぁ……」
 心臓がばくばくしてます。
 ……もしかしてカトラスって、少し天然なんですか? 人を翻弄するだけしておいて、自分はのほほんとしているなんて……! いえっ、もしかして私が狼狽してるのを楽しんで見ているのかもしれません。そうですよ。表情はいつも通りでも内心もそうだとは限りません。実は私をからかってこっそり楽しんでいるのかも……!
「芙蓉様」
「何ですかっ」
 また私を翻弄する気ですかっ!?
「……何を怒ってるんですか」
 またこの人は訳の分からない事を……。
「カトラスが悪いからに決まっているでしょう!?」
 他にどんな理由があるんですか!
「何かした覚えはありませんが」
 天然!? やっぱりこの人は天然なんですか!?
「うぅ~……やっぱり粗塩なんだぁ~……」
 ぼたぼたと泣き出す私。
 今度はカトラスが慌てる番です。
「一体、何のお話ですか?」
 何を言っているんだこの人はと言いた気なカトラス。
 それはこっちの台詞です。天然と云えば塩と相場は決まっているじゃないですか! どうしてそれが分からないんですか!?
「……まだ熱がある様ですね」
 やれやれと溜め息をつかれます。
「ありませんっ」
「あります」
「ありませんっっ」
「ありますよ」
「無いったら無いんです!」
「何を言うんですか。さっき計ったばかりでしょう」
 計った……はかった……。おでこコツン、で。
「~~~~~っ」
 ぼたぼたぼたぼた……。
「――――ッ! とにかく休んで下さいっ」
 問答無用で寝かし付けられてしまいました。
 むー。話は未だ終わっていないのに。
「芙蓉様、夕食はもう済まされたんですか?」
「食べましたよっ」
 そんな子ども扱いしないで下さい。ご飯くらい一人で食べれます。
「では、薬は?」
「…………」
 大人だからって、出来ない事の一つや二つは当然あるんです。
「……ここにある薬は何ですか……?」
 背後に感じるカトラスの殺気。
 こっ……怖いっ……。
「飲んで下さい」
「嫌です」
 どうしてそんな不味いものを口に入れないといけないんですかっ。
「飲んで下さい」
「嫌ですっ」
「……飲みなさい」
「いーやーでーすー」
 ぷちっ。
「飲めと言っているだろっ」
「いーやー!」
 カトラスってば、遂に本性を現しましたね! やっぱり普段は猫被ってたんですか! 押し倒して無理矢理口開かせて飲ませようとするなんて野蛮ですよ!
 がちゃっ。
「――――…」
「…………」
「…………」
 予告も無く扉が開き、仕事帰りと思われるディが私達を見て硬直しました。
 ベッドに押し倒されて抵抗する私。
 力で押さえつけようとしているカトラス。
 目撃者、ディ。
「…………」
 リターン。
 あぁっ。
「ちょっと、何も見なかった振りして出て行かないで下さいっ」
 何をどう思ったか知りませんけど、少なくとも助けるのが普通じゃありませんか!? 見捨てるなんて非道です! そんな子に育てた覚えはありません!
「~~~~っ」
 ディがあんな事するなんて……! それもこれも、カトラスがぜーんぶ悪いんですっ!
 目に一杯涙を溜めて上に乗っかっているカトラスを睨みます。それから、
「ばかー!」
 ばちん、と、私の平手が炸裂しました。
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1.2.3.

3. 「後日談」


「ねぇ、聞いた? エリザ」
「当たり前でしょう、アデリア」
 ひそひそ。
「カトラス代理のあの頬っぺた、芙蓉様って本当かな?」
「そーじゃないの? 昨日、代理って芙蓉様の処にお見舞いに行かれたんでしょう?」
「火の無い所に煙は立たないって言いますしね」
「あらスコット、たまには的を得た事も言えるのね」
「エリザさん、それ酷いっす」
「……二人が仲良いのは今に始まった事じゃないかと……」
「え、そう? 何か、芙蓉様っていっつもカトラス様に怒られてるよね?」
「アデリアさん、それ、本人の前で言わない方がいいっすよ」
 ひそひそ。
 がっちゃ。
「うわっ――じゃない、お帰りなさい、代理!」
「おっ、お帰りなさいっ」
「お帰りなさーい」
「……お疲れ様です」
「ああ」
「代理、お帰りー。ねぇねぇところでその頬っぺた、芙蓉様にヤラレたってほんとー?」
 ピキッ。
「うわっ。ハロルドさん、駄目っすよ! ……って、何でおれを睨むんっすかー!」
1.2.3.
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