INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第03章 第06話next
1.2.

1. 「月と星と寝間着」


 私室の窓際でふっと息を吐きます。白い煙が夜の闇に紛れて見えなくなりました。
 これで何本目でしょう。今日はもうかなりの本数に火を点けました。夕方で一箱開けてしまうなんて初めてです。こうして部屋で吸う事も滅多にありません。これは思った以上に――、
「参ったなぁ……」
 今度は溜め息を吐きました。
 人生、何が起こるか分からないなんてよく言ったものです。
 織也の存在は確かに予想外でした。この私とした事が、丸一日翻弄されっぱなしで、今日はとても疲れました。
 そんな私を心配してか、私の傍らにディが居ます。私が溜め息を付くと必ず傍に寄って来てちょこんと隣に座るんです。特に言葉を掛ける訳でもなく――元から喋りませんが――、ただ傍に居るだけ。けれど心配してくれている事は十分に伝わってきます。
「心配掛けてばかりね。貴方にも……カトラスにも」
 要らないと言っているのに冷やすものを持って来たり、夕食を運んで来たり、甲斐甲斐しく世話をして貰いました。あれで結構、世話好きなのかもしれません。しかしその甲斐も虚しく、私の左頬はやや腫れています。あれだけ思いっきり叩かれたんですから当然かも。
 触ると痛いので、右手で窓の(へり)で頬杖を付く私。口から出て来るのは溜め息ばかりです。
 良い方法なんて全く思いつきません。そもそも解決する方法なんて無いんだから当たり前ですね。ただ彼らが帰るのを待つしかない。この私とした事が、白旗を振っている様で気に食わないのですが、何の手立ても打てない以上、負け犬に甘んじるしか無いんです。しかしそれまで保つかな……私。
「れーんげー」
 ……ん?
 微かな声で、聞き覚えのある声が聞えました。
 慌てて背後を振り返りますが、静かな室内が広がるだけで誰の姿も見受けられません。
 そんな私を隣のディが突付き、窓から下を指差しました。
 そこには、ぶんぶんと子どもの様に大きく手を振る織也の姿が。
「ん、な……っ! 何をしているんですか!」
 小さめの声で怒鳴ります。
 この建物は重役専用の私室館で、簡単に言えば宿舎です。東方王宮総取締役――つまり私を始めとし、上席調印議員、執務秘書官の方々等がここで寝泊りしていらっしゃいます。カトラスもここに住んでいます。それ故、ここは王族の私室がある内城並に警戒され、許可無き者の立ち入りは許されていません。客人がこの建物に入る場合は総取締役と会いに行く相手の許可が必要ですが、生憎、私は何も聞いていませんので、織也は不法侵入して来た事が想像できます。怒って当然です。
「見回りの兵はどうしたんですか」
「あの位の警備網、チョロイチョロイ」
 Vサインを送る織也。……呑気ですね。
 明日朝一番に、警備兵の配置についてマグワイヤ将軍に進言しましょう。一般人に破られたと知れば傷付かれるかも知れませんけど、本物が侵入して来た時を考慮すればそんな事も言っていられませんから。
「そっちに行きます。そこで大人しくしてて下さい」
 告げて、部屋を出て行こうとし、ふと思い留まりました。
 さっきお風呂に入ったので寝間着を着ています。普通の淑女はこんな恰好のまま人に会ったりしません。ま、私はそういうのあんまり気にしないんですけど、今日は何となく気になってしまいました。以前、この恰好のままでカトラスに会った事があったんですよね。アイリーン様とファングの関係がどうのこうの騒動していた時です。その時のカトラスの顰め顔が頭を過ぎって……。
 やっぱり、駄目、かな。
 手早く適当な服に着替えて、鏡の前でチェック。
 良し。
「貴方は先に寝てなさい」
 ディが素直に頷くのを確認し、私は部屋を出て行きました。
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1.2.

2. 「今夜、月の昇る花園で」


 このまま建物の傍に居る訳にもいかなかったので、私達は中庭へと足を運びました。やや覚束ない足取りですが、月明かりのお陰でそんなに時間は掛かりませんでした。
 静かで人気の無い中庭。花の香りと、二人の影だけが今日の主役です。
「月って小さいな。前はもっと大きいものかと思ってた」
 空を見上げる織也。
 ネオンの光が無いここでは、夜に見事な星空を見る事が出来ます。授業で習った星座は見付けられませんけど、その面影は微かに伺えました。
「――当然ですよ。月は年間約五センチ遠ざかっているんです。今はもっと短くなっているでしょうけど……、単純に計算して少なくとも百メートルは遠くなっているでしょうから、小さくて当たり前ですよ」
 月が遠ざかる理由は月の引力と地球の自転によって引き起こされる潮汐(ちょうせき)が関係していますが、月が遠ざかれば同時に引力も弱まるので、現在の月が遠ざかる速度は緩慢になっていると考えられます。学者では無いので具体的に何センチとは云えませんが、それを大雑把に考慮して計算しても、私達の知る月からその位は遠ざかっているでしょう。遠ざかった分、星が奇麗に見える様になりましたが、同時に様々な弊害も起きています。海流が弱まる事によって小さな魚の数が減ったり、植物の成長速度が遅くなったり。相変わらず満月の夜は事故や出産が多いのは面白いと思いますが、出生率そのものの低下は否めません。
「珊瑚――知ってるだろ。さんご虫の石灰質の骨組みが集まった奴」
 さんご虫どうのこうのは知りませんが、珊瑚は知っています。ネックレスに宝石として使われたりしてましたから。
「これが結構、繊細な生き物でさ。ちょっと水質が変わっただけで全滅なんて良くあるんだが、何時の頃からか産卵しなくなって、あっちこっちで珊瑚礁が無くなっているんだ。オレんトコも、そう」
「そういえば、海沿いに住んでいるって聞きましたけど」
「そっ。アルフハイムが近いトコで、ミュゼの家族と一緒に移り住んだんだ。――って、あ。悪かったな、ココ」
 つんつんと自分の左頬を突付く織也。
 ああ。
「別に気にしてません」
 叩かれて当然の事を言ったんですし。それに、
「どうやら私は、貴方の妹分には嫌われる運命みたいですしね」
真凛(まりん)? 確かにミュゼと似てるな。気が強いのもそっくりだ」
 言って、彼は小さな月を再び見上げました。
「……逢いたいな」
 遥かなる想いを、月に託す様に、そっと呟く織也。
「会いたい、ですか」
 織也と真凛ちゃんのシスコン・ブラコン振りは有名でしたからね。
「あの日……、真凛がまだ家に帰ってないって聞いて、オレは必死でそこら中探し回った。頭の中に、お前の姿が過ぎって、真凛もお前みたいに居なくなるんじゃないかって不安だった。その所為かな? 気が付いたらお前んちの近くに居て、お前が住んでた家を見てたら――益々不安になった」
「馬鹿ですね」
「そりゃねーだろ」
「私の家の近隣は戦場にも危険区域にも近い所でしたから、戦域が拡大していればあの辺りも立ち入り禁止になっていたでしょう」
「だから忍び込むのが得意になったんだ」
 えっへん。
 ……自慢するような事ですか? それ。
「それに戦場が近いという事は、アルフハイムが近いという事です」
「――それは迂闊だったよ。けどあの当時、そんな事を考える人間はごく少数だったろ。戦争してるっつっても、それはテレビの中の世界みたいな感覚で、日常には何の差し障りもなかったし、オレ達は毎日普通に学校行って、普通に遊んでたし。エルフを敵だと認識してても、戦争だとかアルフハイムだとか考えもしなかった」

 ――そして迂闊にも触れてしまった。
 アルフハイムに。

「真凛を捜すのに夢中で、オレはアルフハイムに足を踏み入れた事に気付かなかった。気付いた時はもう手遅れでさ。エルフに周りを囲まれて逃げられなかった。――でっかい屋敷に連れて行かれて、そこで一番偉そうな奴が軍に引き渡すべきだと言ったんだけど、ミュゼがそれを反対したんだ。何でも、エルフ軍のトップは悪魔との混血らしくて、残忍だって言われていたから、そんな所に例え人間だろうと連れて行くのは駄目だって、小さな体張ってオレを庇ってくれた。――ミュゼはオレの命の恩人なんだ」
「…………」
 私は何も言いませんでした。
 もしミュゼ様が織也を庇わず、彼が軍に連れて行かれたとしても、命に別状は無かったでしょう。そして私達はもっと早くに再会していたでしょう。
 そんなニアミスをしていたなんて、何だか複雑な気分です。
「ミュゼが家族と一緒に人間界へ行くと聞いた時、迷わず付いて行ったよ。ミュゼに恩返ししたかったしな。――で、そこは珊瑚の死滅を食い止めようと研究する機関があって、ミュゼがそれに興味を持ったんだ。今はその手伝いをしている」
「珊瑚の研究? 専門は数学じゃありませんでしたっけ? 海洋学と数学じゃ、随分畑が違うでしょ」
「だから今は必死に勉強中だ」
 それは関心ですね。
「蓮華は? 今迄、なにしてた?」
 何、と言われても……。
「居候させて貰っていたから、自分の出来る範囲で手伝いをしてましたよ。尤も、客扱いされてましたから、録に手伝いなんてありませんでしたし、ウェブデザイナーがアルフハイムで役に立つ事なんて全くありませんでしたからね。仕方無いから色々勉強してたかな」
「勉強?」
「興味の向くままに色々と。社交、会話、マナー、ダンス、歴史とか、物理とか。音楽も少ししましたけど、全然才能ありませんでした」
「へぇ」
「他には体術、剣術、弓、槍。槍はあんまり上手くなかったかな。長い棒って重いから振り回すのに一苦労だったし。弓はかなりの所まで上達したけど途中で止めちゃったし。面白かったのは良い剣と悪い剣の見分け方。どう云った刀匠が有名だとか、あれは真面目に勉強してました」
「……いきなり殺伐としてきたな」
「でも、役に立ちました。アルフハイムを出てからは暫く旅をしていましたから。何処もかしこも平和でしたけど、武術の心得はあって困りませんでした」
 告げて、不意に、空気が変わりました。
「……戻って来た時、驚かなかったのか……?」
「――知っていましたから」
 そう。知っていました。
 アルフハイムで過ごした二年から三年の間に、人間界では二千年から三千年の時が過ぎ去っている事を。
「――織也は……知らなかったんですね……」
「――気付かないフリしてた。……気付きたくなかった」
 覇気の無い声でした。
 それで良かったのか、悪かったのか、私には分かりません。少なくともそれによって、真凛ちゃんがその後どうなったかを知る事は不可能になってしまいました。織也は多分、それを後悔しているんだと思います。
 真凛ちゃん、幸せだったと思いますよ。
 ――そう、声を掛ける事は簡単です。どうなったか分からないのなら、幸せだったんだと思えば良い。織也と兄妹で在った事、幸せだったと思いますよ、と。もう知る事は出来ないのだから、せめてそう思えば良い――と。
 しかし私には、それで織也が救われるとはどうしても思えませんでした。
 慰みの言葉や、安っぽい思い込みで、どうにかなる問題ではありません。
 過ぎ去った時間は戻らないんです。
 もう、二度と。
 ――…逢えない。

「……奇麗だな、星」
 空を見上げる織也に、
「……そうですね」
 私はただ、相槌を打つだけでした。
1.2.
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