INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第02章 第03話next
1.

1. 「その名に効力は無し」


 東方王宮総取締役。
 イーストフィールドの全ての中心である東方王宮の、その一切を取り仕切り、王宮内の全権を握る役職。現在、それを任じられているのが他でもないこの私です。
 名前は芙蓉。
 ――こんにちは。今日も、東方王宮は活気に溢れています。
 直属の部下の中でも側近の二人・ディとカトラスの内、カトラスとの一件に関わってから数日。未だに龍神の恵みは降り続いています。あれから幾分か雨脚は弱り、街には活気が戻ってきていますが、王宮の中は日増しに億劫な空気が立ち込めるようになりました。幾ら何でも、連日大雨では気分も滅入ってしまいますよね。
 かく言う私もアンニュイな気分です。仕事にも身が入らず、時々ボーっと書類を眺めてはカトラスに怒られています。
 カトラスは私と違って、雨が降ろうが槍が降ろうが仕事に支障を来たしません。いつも通りの作業効率でテキパキ仕事を終わらせます。
 そんな彼をボンヤリ眺めていると、ふと、彼と視線が合ってしまいました。
 ……。はっ! 怒られる!
 慌てて、止めていた手を動かします。
 しかしカトラスはそれでは納得していない様で、私の方に歩み寄ってきました。
 カトラスが執務用の机の前に立ちます。椅子に腰掛けて書類に目を落としながら、私は内心冷や汗を掻いていました。
 そんなに静かに見下ろさないで下さいっ。怖いですってば!
「あの」
 ドキィ!
 ……心臓が口から出るかと思いました。
「はいっ」
「この様な事をお願いするのは――何か、筋違いかとも思いますが」
 相変わらずのきっぱり声音で、そう前置きします。
 私は怪訝な顔で首を傾げました。
 まさか……何かとてつもなく難しいお仕事のお願いでしょうか。それとも私、何かやらかしてしまったのでしょうか。……何だか先生に呼び出された生徒の様な気分です。過去の様々な出来事が走馬灯の様に脳内を流れ、その中から何か不手際が無かったか必死に探します。しかし思い当たる物は無く、更に何事で怒られるのかと焦りを感じて……。それでもやはりそれらしきものは思いつかず、半ば諦めかけていると、カトラスが続きを口を開きました。
「名前を――教えて頂けませんか?」
「……………。は?」
 目を丸くします。
 名前? 名前って……え?
 恥らうように照れるカトラス。
 その表情が余りにも乙女ちっくで、更に疑いを深める私。
 これは何かの陰謀ですか? それとも画策でしょうか。……どっちも変わらない気はしますが、それ以外の理由が思いつきません。カトラスは一体何を考えて……。
「――先日、仰いましたよね。芙蓉様のお名前には、別の意味があると」
「……はい」
 言ってしまいましたね。
「私は、そんな名前で貴女を呼びたくはありません」
 強く、そしてはっきりと、彼は断言しました。
 それに圧倒され、言葉を失います。
「ですから、貴女の名前を。――本当の」
「…………」
 名前。……本当の、私の、名前。……ですか。
 ――『芙蓉』は、イーストフィールドマスター・マクラレーン様から頂いた、東方王宮総取締役を務める者の(なまえ)です。私、本来の(なまえ)ではありません。確かに私にはもう一つ名前があります。しかしそれは……。
「……貴方がどう思っているか十分に判りました。けれど、私は気に入っています。芙蓉で十分ですよ。そう呼ばれる事に躊躇ったり不快感を覚えたりしませんしね」
「私が嫌なんです」
「……私は好きです」
「貴女がどう思っていても、私には関係ありません。その名で貴女を呼びたくはない」
「そう思ってくれるだけで十分です」
 芙蓉の名を呼ぶ度に、カトラスが私の存在を認識してくれるだけで、何の問題もありません。名前とは、ただ個体を認識する為だけにあるもの。そこに深い意味を求める人も居ますけど、もし私が芙蓉に意味を求めるのなら、まさにそのままで――『不要』で十分です。そう呼ばれる度に、私は芙蓉(わたし)を自覚するでしょう。
 この東方王宮に馴れ合い過ぎない様に、肩入れし過ぎない様に、思い入れが過ぎない様に、名前を呼ばれる度にブレーキをかけられます。
 それは、痛みを伴った快感。
「私はそれが嫌なんです」
 けれど妥協しないカトラス。
 水掛け論ですね。
 カトラスは時折頑固になりますし、私は引く理由が無いので引きません。こういう時は、あれですね。――三十六計、逃げるが勝ち。
「――カトラス、私はマクラレーン様に書類をお届けしてくるので、後を頼みます」
 机の引き出しから書類を取り出し、席を立ちます。
「芙蓉様! ――あ」
 ふっ。
 迂闊な彼を笑う私。
「それで良いです。――どんな意味が含まれていようとも、その名が『私』って感じがしますから」
 カトラスの脇を通り過ぎ、扉を開けます。
 ふと思いついて、後ろを振り返りました。
「カトラス、何時も有難う」
「…………」
 今度は嫌味、言われませんでした。
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