INDEXback宮廷舞踏会 -芙蓉- 第01章 第10話next
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1. 「嵐来たりて夜も来る」


「よぉ」
「……ッ!!」
 執務室の扉をノックも無く開いた無礼なその男。その男の顔を見るなり、私は全身を総毛立たせました。
「どっ……なんっ……!」
 声が言葉になりません。
「何だよ、オレに逢えてそんなに嬉しいのか? そう慌てるなこれからゆっくり話す時間はあるあからな。――あ、カトラス、茶くれ」
「…………」
 カトラスも呆れています。
 私は右手で額を押さえて溜め息を吐きました。
「……どうして貴方がこんな所に居るんですか」
 仕事はどうしたんですか。仕事は。
 咎めた口調にも動じず、彼は飄々と答えました。
「休みだよ、休み。で、遊びに来た」
「遊びにって……。そんな簡単に来れる距離ではないでしょうに」
 彼の勤め先は、ここから南西に遠く離れた領地にあります。とても一朝一夕で来れるような距離ではありません。早馬を走らせても数日は掛かる距離を、遊ぶ為だけにどうして駆け抜けて来れるでしょう。
「ふ……甘いな。オレは――」
 男は右手の親指をビシッと自分に向けて言い放ちました。
「遊びに命を掛けられる男なんだ!」
「…………」
 そんな仕様も無い事を自慢して私にどうしろと仰るんですか。まったく……。
 私とカトラスは、揃って同じ表情を作って絶句しました。

 こんにちは。芙蓉です。
 東方王宮を覆う空は今日もお天気満点。心地良い風が吹いて街を撫で去ります。鳥は羽ばたいて、花は咲き乱れ、人が歩いて会話をして。イーストフィールドは今日も平和です。
 しかし、王宮内の、特に私の執務室にだけ嵐がやって来たようで……。
 ノックも無しに部屋に入ってきた彼の名はキール。イーストフィールドの南西にある領地の若き領主様です。ついこの間まで不良領主なんて呼ばれて蔑まれていたのですが、それも改善され、最近は良い評判も少しだけ耳に挟む様になりました。……しかしこの調子だと、不良領主の名前を返上するのは未だ未だ先みたいです。御本人はまったく気にしていないみたい。大らかと言えば聞えは良いですが、無頓着と言えば悪く聞えますね。どちらも現している者は変わりありませんが。
 そんな不良領主にお茶を出しているのが、私の直属の部下のカトラスです。長い髪を後ろで一纏め。緑色の丸縁眼鏡。眼光はやや鋭いですが、顔立ちは割と整っています。仕事も出来ますし、宮廷内では結構モテているみたい。騒ぐ女の子達の気持ちも解る気がします。
 そして、部屋の隅にあるソファで作業をしているのがディ。カトラスと同じく私の補佐役です。ディとは東方王宮に入宮する以前からの古い付き合いで、私と一緒に王宮に入宮しました。カトラスは信頼出来る部下ですが、ディは信用出来る部下です。それもまた、長い付き合いが在ればこそ、なのですが。


「辞令ですか?」
「んにゃ。――ただ、そういうコト考えてるって言われただけ。オレんトコの領地、一部は未だ混乱が残ってたりするからな。それの整備が終わって、落ち着いてからってハナシ」
 何だ。遊びだと言いながら、ちゃんとお仕事じゃないですか。
 キール様はマクラレーン様に呼び出されて東方王宮に御出でになられたそうです。しかもそれがそんな内容のお話だったとは吃驚です。
「大変ですね、これから」
「そうか?」
 あっけらかんとした答え。
「その気になれば騒動の名残なんて直ぐに収まるさ。何せ、オレと違って領民は生活かかってンだ。領地の今後の方向性をキッチリ決めて発表すれば、生活もキモチもそれなりに安定するさ」
 成る程。納得です。流石、マクラレーン様が素質を認めた御方なだけはありますね。よく見てるし、適切です。
「正式に辞令が下りれば、ここにもちょくちょく遊びに来れる様になりますね」
「おう」
 任務領地変更。領主総会の報告後、それぞれの領主様方の査定を行い、適切な領地へと転任させるこの時期の恒例行事です。
 キール様の場合、遠い南西の領地から、この東方王宮から一日行った所にある領地に変更になるとか。ただ、現在の領地をきちんと治めてからという条件付ですが、それが叶えば彼も晴れて高位領主となります。王宮の近く、あるいは税金率の高い領地を治める領主様方は一般的に格別扱いされるのですが、マクラレーン様はキール様をそのように扱おうと考えて移動させるのではないでしょう。――恐らく、仕事の手助けをさせる為。その後の展望をどうお考えなのかは解りませんが、将来的にはマスターのお傍での仕事を考えていらっしゃるのかもしれません。優秀な人材はなるべく傍に置いておきたいと思うのが人情ですから。
「ま、仕事の話は置いといてよ」
 ……。私、未だ仕事中なのですが……。
「飲みにでも行かねぇか?」
「外にですか?」
 念の為確認してみます。
「当然じゃん。ここじゃ、のんびり出来ねぇからな」
 ……それって、親交を深める名目で、単に外に遊びに行きたいのでは……。
 ちらっと、そんな考えが横切ります。
 ただ飲むだけなら、お部屋でも十分です。私の部屋でもキール様の部屋でも、侍女に言えばお酒の一本や二本簡単に出てきますから。もっと上等な、もっと沢山の量を飲みたいと言うのなら、御正妃レイチェル様の元へ行くと良いでしょう。嬉々として秘蔵のお酒を五十本出して頂ける事請け合いです。ですから、王宮の中でも十分に酒盛りは出来ます。
 ただ、キール様みたいな方には、王宮は少し窮屈なのかもしれません。「自由奔放」。やりたい様にやる彼を「不良」以外の言葉で表すなら、きっとそんな言葉になるんでしょうね。
「お付き合いは別に良いのですが、未だ仕事中ですから終わるまで待って下さい」
「サボれば?」
「部下が頑張っているのにどうして上司(わたし)がそんな真似出来ますか」
 ちらっとカトラスに目配せすると、
「んぁー」
 成る程、と、彼はカトラスを注視しました。
 ……そんな明ら様に見ないで下さい。カトラスが私を見てますから。
「じゃー、カトラスも一緒に来いよ」
 キール様が声を掛けると、
「――先に言っておきますけど、私は意外と強いですよ」
 ニヒルな笑みが返って来ました。
 おぉ……。てっきり、「お断りします」とか何とか、一刀両断されるものとばかり思っていたので驚きました。
「おー、そうだ。どうせなら皆誘っちまおうぜ」
「……皆?」
 怪訝な顔で聞き返す私を無視し、キール様は総取締役室(このへや)と、隣の取締室とを繋ぐ扉を開き、叫んでいました。
「喜べー! 今日は芙蓉のオゴリで宴会だぞー!」
「○×△□!?」
 んぁ!?
「ちょっと待って下さいっ! いつからそう決まったんですかっ!」
「今、オレが決めた」
「勝手に決めないで下さい」
 怒りを通り越して脱力してしまいました。だって、
「芙蓉様、有難う御座います!」
「御馳走になります!!」
「じゃあ、お店予約しておきますね!」
「はいはーい! いいお店知ってまーす!」
「よっしゃー! 気合入れて仕事終わらせるぞー!」
「おー!!」 ×人数分。
 ……今更、取り消せないですよ。
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2. 「夜へと繰り出して」


 仕事を早めに切り上げて、皆でワイワイ連れ立って東方王宮を出ました。メンバーは私、ディ、それからカトラス。これはいつもの面子ですね。それからスコットとアデリアとエリザ。この三人は先日のキール様の事件で現場を手伝ってくれた三人です。エイジアンとハロルドは初対面ですね。取締室で一番の年長者がエイジアン。いつも顎に髭の剃り残しがあるのが特徴です。とっても背が高くて、一行の中でも頭一つ飛び抜けて目立っていました。ハロルドは逆に背が低いです。私と同じ位かな。くるくるカールの髪と、ぱっちりした目がとても可愛いです。名前は男性っぽいですけど、しっかり女性です。童顔なんですよね。それもまた可愛いです。そして、この一行の元凶となったキール様。憎たらしくも満面の笑みで私の隣を歩いています。
 合計が九人。人数が多いので、街中を歩くと結構目立ちます。
 到着した先は初めて見るお店でした。大通りの中央にある大きなお店です。中はほぼ満席で、前もって予約をしていた私達の分だけが空いていました。
 この街は観光客も多いので食事処は宿屋も兼ねているお店が大半なのですが、ここは建物全てのフロアが食事出来るようになっていました。個室もあるみたいです。お偉方の密談には最適ですね。
 因みに、私達の予約席は一階の奥。席の周囲には屏風が立てられていて、人目から隔離されています。窓の傍なので、外から見られれば一目瞭然ですが。きっと、お店の方の配慮なのでしょう。これならば仲間内で楽しめますね。少し離れた所にはカウンターがあって、そちらも満員になっています。半分が御年配の方々で、店主らしき人と楽しく話をしていました。常連さんの集団みたい。
 ……あれ?
「ゼロス……様?」
 その中のお一人の背中に見覚えがあり、声を掛けると、見知った顔がこちらを向きました。やはりゼロス様です。私の前任者。元、東方王宮総取締役の。
「やっぱり! お久し振りです!」
 城下にお住まいとはお聞きしていましたが、まさかこんな所でお会い出来るとは思いもしませんでした。
 他の者も彼に気付き、次々と挨拶をします。キール様もゼロス様を御存知でした。領主様は王宮に赴く事は多くありませんが、無い事もありません。しかし、キール様は最近領主になられたばかりです。一体何処で、ゼロス様とお知り合いになられたんでしょう?
「親父が総会に出席した時、何回か同行したからな」
 それなら、ゼロス様とお会いしていても不思議はありませんね。
 誰からともなく、私達のグループにゼロス様をお誘いする声が上がりました。始めは少し渋っておられたゼロス様も、大勢の元部下達の説得に応じざるを得ず、カウンターから私達の予約席へと腰を移動させて下さいました。

「みんな、グラス持ったー?」
「おー!」
 エリザの楽しそうな声に皆が答えます。
「じゃあ芙蓉様、お願いしまーす」
 促され、私はグラスを持って席を立ちました。皆も揃って立ち上がり、グラスを掲げます。
「それでは、日々の疲れを吹き飛ばしてくれる美酒と、久し振りの再会に」
「かんぱーいっ!」
 十のグラスが小気味良い音を立てました。
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3. 「過去に馳せる時」


 人の奢りだと思って、皆それはもう、遠慮無く飲み食いしてくれました。えぇ。特にカトラスとキール様です。
 宣言通り良い飲みっぷりを発揮してくれたカトラスが、盛り上がった周囲の音頭を受けて更に飲んでくれました。それがまた周囲を刺激し、店中を巻き込んでの飲ま飲まコール。煽られて更にペースを上げるカトラス。悪循環です。
 キール様がカトラスと張り合おうとしたのが駄目押しですね。
 あれよ、あれよと、あっと言う間に空の酒瓶が増えていきました。
 顔を引き攣らせる私の隣で部外者宜しく傍観するディとゼロス様。時々二人で酌を酌み交わしています。煽って盛り上がる部下達と店中の人々。……凄まじい盛り上がり様ですね……。外を歩いている人達が吃驚しています。足元に酒瓶を転がして、とにかく飲むだけのカトラスとキール様。顔、真っ赤です。

 暫くすると、キール様がカトラスにノックアウトされました。あららら。グルグル目が回っています。
 私は店員さんにグレープフルーツジュースを注文し、倒れているキール様を叩き起こして無理矢理気味にジュースを飲ませました。それでも未だ気持ち悪そうです。
「吐きます?」
 首を横に振るキール様。それから少し休む、と、かすれた声で言います。
 休むと言われても、ここには横になれる様な場所がありません。テーブルに突っ伏して寝せる事も出来ますが、それは少し飲み過ぎた時だけ。ここまで飲み過ぎている人をうつ伏せにしたりするのはちょっと危険です。嘔吐物を喉に詰まらせてしまうかも知れませんからね。
 店員さんに何処か横になれる場所を聞くと、二階の個室が空いているとの事でした。ならばそこに移動しましょう。
 ディとエイジアンの腕を借りてキール様を二階へと運びます。残っていた料理を少し私が持って、飲みかけの酒瓶をカトラスとゼロス様が持って場所移動を始めると、店のお客さん達が祭りが終わったかのように精算を始めました。一気にお客さんが減って、店はようやく落ち着きを取り戻します。
 二階に移動が終わると、アデリアとエリザが脱落宣言をしました。どうやら興奮が収まって、飲み過ぎた事を体が自覚したみたいです。キール様程ではありませんが、気持ち悪そうな顔をしていました。
 でも私、帰ろうとは言いませんでした。
 せっかくゼロス様にお会い出来たのに、さっき迄の騒ぎで余りお話していないんです。もっとゆっくりお喋りしたいです。
 それを察してくれたのか、エイジアンが二人を送って先に帰ると言ってくれました。有難う御座います。我が儘で、本当にすみません。
 三人が一足先に帰り、残ったのは私とディとゼロス様、カトラスとハロルド。そして悠々と寝そべっているキール様です。
 キール様ってば、本当に真っ赤な顔をしています。それに比べてカトラスは飄々としています。顔色に何ら変化は見られません。キール様よりも大量にお酒を飲んでいたのに、大したものです。今度、カトラスをレイチェル様の所に連れて行ってみましょう。酒豪対決、見物かもしれませんね。……ちょっと怖い気もしますが。

 それから私達は、先程とは打って変わって、とても静かにお酒を飲み交わしました。話題はやはり宮廷内のお話です。昔のお話から、最近のお話まで。カトラスがゼロス様に少し愚痴を零したりしました。
「まったく、手が掛かりますよ」
 あぁっ。バラさないで下さいっ。
 ゼロス様は静かに笑っていらっしゃいました。
 そうそう、手が掛かると云えばファングです。私は彼の話をしました。賭けの事、忍び込み事件の事、それから錬兵場での弟子にして下さい事件の事も。
「そこでオーレリア様を御見掛けしました。姪御さんと一緒で。――そう云えば、その姪御さんってマグワイヤ様の奥様だってお伺いしたんですけど――」
 嬉々として語っていた口調に、段々と力が抜けていきます。……な……、何なのでしょう、この雰囲気……。私、何か拙い事言いました?
 しかし、ここで話を打ち切るものまた変です。私は話題を無理矢理続けました。
「マグワイヤ様の奥様って、御名前は何でしたっけ」
「…………」
 うっ……。空気が更に重くなってしまいました……。やっぱりこの話題駄目みたいです。理由は良く分かりませんが、息苦しいのは確かです。何か話題を変えないと。えーっと、えーっと……。
「――アニー」
「……え?」
「マグワイヤの奥方の名前は、アニー。……懐かしいな……」
 目を細めて、ゼロス様。
 その表情は何処か遠くを見詰めた何処か遠い人の顔でした。
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4. 「追憶の恋人」


 ゼロス様とマグワイヤ様が初めて出会ったのは今から三十年以上も前の事。ゼロス様は既に王宮総取締役として高名を馳せ、マグワイヤ様は小隊長に成り立てだったそうです。今のファングと同じ地位です。マグワイヤ様にもそんな頃があったんですね。
 ゼロス様と仲の良かった現在王宮付きの医者であるローガンさんが二人を取り持ったとか。以前、ファングの骨折を診て貰ったあの先生です。当時、ローガンさんは軍医を務めていて、それの関係でマグワイヤ様とお知り合いになられました。
 三人の関係がどんなものだったのか詳しくは分かりませんが、随分と仲は良かったみたいですよ。事在るごとに一緒だったそうですから。私とディとカトラスみたいな感じなのでしょうか。……うーん、全然違いそうですね。

 時間と話題と事件の回数と共に絆は深まります。
 けれど終わりは必ず来るもの。
 ――破綻の日は、災害の多かった年の終わり頃に起きました。

 大雨で土砂崩れや洪水等が発生した村に派遣されたマグワイヤ様。村人の救出と保護の為です。大雨の降る中、マグワイヤ様とその部下達は懸命に村人達を助けました。ぬかるむ足元、難航する作業。駄目押しに大地が怒りを顕にします。――地震。大して大きな揺れではありませんでしたが、地盤の弛んだ土地には致命的なものでした。被害者は更に増えます。
 必死に村人達を助けるマグワイヤ様は、一つ、大切な事を忘れていました。
 危険だから、村人は絶対に近付かないと言われていた場所の確認を。
 そこに、迷子になった息子を捜しに来た母親が、地震によって崩れた土砂に埋もれていた事。
 その近くの川べりにある木に、必死になってしがみ付いている男の子が居た事。
 ――確認を怠ったマグワイヤ様が、それを知る筈がありません。
 二人は、雨が上がって七日目に見付かりました。……遺体で。

 その二人が、里帰り中のゼロス様の奥様とお子様だとマグワイヤ様が知ったのは、それから更に十日後の事です。

「――誰も近付かないと言われていても確認するべきだったと、何度も頭を下げられた」
 そう言うゼロス様のお顔はとても険しいものでした。
 許してなどいない。まだ、恨んでいる。――そんな顔です。
 逆に私はその話に胸につかえていた物が取れたように思えました。ゼロス様の外されていない結婚指輪。姿の見えない家族。本当に納得です。

 ぎこちなさの抜けない三人は、段々と離れてしまったそうです。とても長い間、特にゼロス様とマグワイヤ様の二人は、胸の内に複雑な想いを抱えたままだったそうです。

 そして、数年前。
 ゼロス様の元に、マグワイヤ様がアニー様をお連れになられました。
「こんな自分が家族を持っていいのかと、ずっと悩んでいた。だが彼女は一生を掛けて守りたいと思ったから」
 だから結婚するのだと。
 許してくれなくてもいい。認めてくれなくてもいい。ただ伝えておきたかった。

「――そんな姿を見せつけられて、文句を言えるはずもあるまい」
 確かに。
 やや怒気を孕んだゼロス様の言葉に、私は苦笑して納得しました。
 努力を積み重ねている人に、ましてや自分と同じ様に悩んでいた人に、怒りをぶつけるほどの分からず屋ではいられませんからね。
 ましてや、誰かを大切に思う気持ちが理解出来るのならば、誰かを愛した記憶が鮮明に残っていればいるほど、マグワイヤ様のお気持ちが分かってしまう筈です。そんなマグワイヤ様を認めないのなら、それは、過去に誰かを愛した自分をも否定してしまう事に繋がります。
 自分を否定する。
 それはとても悲しい事です。

「――話が暗くなってしまったな」
 言って、コップいっぱいのお酒を飲み干してしまわれました。
 いつの間にか起きていたキール様も、神妙な面持ちをしています。
 確かに、笑える話ではありませんね。
 私は顔を伏せたまま、呟きました。
「……私達は未だ、ゼロス様よりもずっと若いから、ゼロス様の深い人生経験にはとても及びませんが――」
 そう、前置きして。
「少なくとも私達は、若い私達なりに人の愛し方を知っています。誰かを大切に思う心もあります。……ゼロス様と比べてとても未熟ですが、それは確かに同じ形を持っています。だから……。――だから少しだけ、分かる気がします。……大切な人を失う痛みを、私達は、確かに知っていますから……」
 どんな過去になろうとも、消え辛い痛みを、私達は確かに覚えています。
 失った「大切さ」は人それぞれ違っていて、だから、痛みも違うだろうけど……。
「――でもそれは確かに、痛み、なんです」
「―――…」
 皆の視線が私に集まります。それは、言葉にはならない声で、
「君は……誰かを失った事があるのか?」
 そう、問い掛けていました。
 しかし私は何も言わず、視線に気付かない振りをして、静かに、瞼を伏せました。
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